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第9話 捜査

「……自分で運び出しておきながら、その行方を必死に探して私に依頼するなんて。やっぱり、どう考えてもおかしいわ」


 アリアは、自宅でワイングラスの縁を指先でなぞりながら、クロエにメッセージを送る。

 クロエが見ると同時にメッセージは徐々に消滅してゆく。

 電脳が弾き出した「89%の嘘」という数字と、目の前の映像に映る「ワンによく似た男」の堂々たる振る舞い。

 その二つのピースが、どうしても噛み合わない。


「ねえ、クロエ。この映像に映っている車……このトラックの行き先、追えるかしら? 街中の防犯カメラの動画データ、明日までに用意してもらえると嬉しいんだけど」


 クロエは少し困ったように眉根を寄せ、手元のデバイスを操作して、アリアから受信したメッセージに返信を送る。


「……簡単には言わないで。ロサンゼルスの公道カメラのログを個人車両の追跡のために引き出すのは、いくら私でも正式な捜査令状なしじゃ手間がかかるわ。でも、そうね。あなたがそこまで不自然さを感じるなら、私の個人的なバックドア(裏口)を使って調べてみる」


「助かるわ、チーフ。頼りにしてる」


「明日には、その『ワンのような男』がどこへ絵を運んだのか、おおよそのルートは判明するはずよ。……でも、アリア。もしその行き先が、あなたの想像以上に『真っ黒』な場所だったら……」


 クロエのメッセージに、アリアはいつもの可憐な、それでいてどこか冷ややかな微笑みを浮かべた。


「その時は、ただの可愛い探偵さんじゃなくなるだけよ。……今のところは、お金に釣られた無知な女の子を演じているんだから、まだ向こうも油断しているはず」


 アリアは立ち上がり、サンタモニカの夜風に髪をなびかせた。

 

 本人が運び出し、本人が探しているという矛盾。

 その歪んだパズルの中心には「何か」が確実に存在している。

 リブート(再起動のための睡眠)を終えたアリアは、明日届くであろう「車の行き先」という名の答えを待ちながら、深夜にも関わらず車を走らせた。


 夜の帳が下りたベバリーヒルズの裏通り。

 アリアは自身の車の中で、静かにワンの画廊を監視していた。

 明日のクロエからの連絡を待つ間の、私立探偵らしい地道な仕事だ。


 不意に、運転席の窓が激しくノックされた。


「おい、ネーちゃん。こんなところで何してんだ?」


 窓の外には、下品な薄笑いを浮かべた男。

 その手には9mm口径のオートマチックが握られ、銃口がガラス越しにアリアへ向けられていた。

 ロングマガジンという、チンピラには分不相応な装備。

 だが、アリアの電脳が瞬時に弾き出した弾頭データは、対サイボーグ用などではない、ありふれた鉛弾だ。


「……あら、怖い。私、ただの迷子なんですの」


 アリアは震える声を装い、力なく両手を上げた。

 男たちは彼女を車から引きずり出し、近くに停まっていたワンボックスカーへと押し込んだ。

 車内には他に三人の男。全員が「ナマモノ」――機械化の形跡が一切ない、ただの生身の人間だ。


 車が走り出す。

 アリアは怯えた少女を完璧に演じながら、震える声で彼らに問いかけた。


「……ワン様に頼まれたのかしら? 私、あの方に絵を探してほしいって頼まれているだけなんです。お願い、離して……」


 だが、網膜ディスプレイに表示された彼らの偽証率は、わずか「0.56%」。

 彼らはワンの差し金でも、軍の関係者でもなかった。


(……呆れた。本当にただのレイプ魔なのかしら?)


 連れて行かれたのは、古びた倉庫の一室だった。

 カビ臭い汚れたソファに座らされ、後付けのような不格好な鉄パイプに、後ろ手で手錠をかけられる。


 ナマモノが。

 かつて陸軍最強とまで謳われたこの私を、手錠一つで縛れると思っているの?

 あまりの滑稽さに、アリアは思わず「コロコロ」と鈴の鳴るような声で笑ってしまった。


「……あはは! ねぇ、本当に冗談がきついわね」


「あ? 何がおかしいんだ、このアマ!」


 リーダー格の男が、下品な罵声を浴びせながらすでにズボンを降ろし始めている。

 その瞬間、アリアの右目が冷徹な戦闘モードへと切り替わった。


――右手首、一回転。


 カチリ、という硬質な音と共に、玩具のような手錠が内側からの圧力に耐えかねて弾け飛ぶ。

 アリアは自由になった右手の人差し指と中指で、まるでリボンを解くかのように、可愛らしくパチンと残った金属片を弾いて見せた。


 そこからの時間は、生身の人間には知覚不可能な領域だった。


 0.5秒。

 一番近くにいたリーダーの右太ももを、右手の指先がかすめる。

 小指で優しく撫でただけ。

 だが、コードM(軍用規格)の出力は、その皮膚を裂き、肉を割り、骨の表面を薄く削り取った。


 さらに、足元に落ちた手錠の残骸を、次の男の脛へと蹴り飛ばす。

「あら、少し力を入れすぎちゃったかしら」

 鈍い音と共に、男の右脛から下が文字通り切断され、血が噴き出した。

 凄まじい勢いで弾けた足が壁に汚いシミを作る。


 0.6秒。

 まだ何が起きたか理解すらしていない残りの二人へ、左手がひらりと舞う。

 ネックレスをジャラつかせた男の第三肋骨に、急所を避けて正確な深さ5cmの切創を刻む。

 さらに、顔中にピアスを埋め込んだ男の鼻を、邪魔だと言わんばかりに横一文字に切り飛ばした。


「私ね、女の子を乱暴しようとする男の人には、絶対に容赦しない主義なんですの」


 アリアはワンピースの汚れを払うように立ち上がり、床でのたうち回る男たちを見下ろした。

 その瞳には、怯えた光など微塵も無い。


「ああああ! 本当に無駄足だわ! 明日のための大事な準備中だったのに……本当に余計なことしてくれたわね。あんたたち、タクシー代くらいよこしなさいよ!」


 男たちが震える手で差し出した財布から、合計3000ドルの紙幣を抜き取る。


「3000ドル……。まあ、今日のところはこれで許してあげるわ。レイプ未遂の慰謝料にしては、随分と安上がりなんだから。感謝しなさい」


 アリアは優雅に倉庫の扉を開け、夜の空気の中に踏み出した。


「……もう。車を取りに戻ったら、もう朝じゃない。せっかくの時間が台無しだわ」


 ヒールの音を夜道に響かせながら、アリアは不機嫌そうに唇を尖らせた。

 難事件を追う彼女にとって、あまりにも低俗で、あまりにも退屈な寄り道だった。


 サンタモニカの午後、いつものカフェ。

 アリアの前には、宣言していたはずのコーヒーではなく、深いルビー色の赤ワインが注がれたグラスが置かれていた。

 サイドメニューには、少し癖のあるブルーチーズの盛り合わせ。

 アリアの機嫌は、その色の濃さに比例するように、どん底まで沈み込んでいた。


「……信じられないわ。タクシー代として3000ドルもぎ取ったところで、全然割に合わない」


 アリアはフォークでチーズを乱暴に刺し、不機嫌そうに口へ運ぶ。

 向かいに座るクロエは、親友のその様子を見て、何も言わずにハーブティーを一口すすんだ。


「お疲れ様、アリア。夜通しチンピラ相手に時間を潰した挙句、朝帰りで今の時間だものね。……で、本題の『消えたトラック』の件だけど」


 クロエがテーブルに置いた端末の画面は、残酷なまでに「空白」を示していた。


「公式の防犯カメラに、一切のログ無し。公共の交通管制システムを隅から隅まで洗ったけれど、あのワンの画廊を出たトラックは、数ブロック先で忽然と姿を消しているわ。サーチAIをフル稼働させて、周辺のあらゆるノイズを除去して追跡させた。見逃しなんて、100%ありえない」


「……消滅、したってこと?」


 アリアはワインを一口含み、転がすように味わう。芳醇な香りが鼻を抜けるが、脳内の霧は晴れない。


「そう考えるのが合理的ね。物理的な破壊か、あるいはより巨大なキャリアトラックに車ごと飲み込ませて、センサーの網をすり抜けたか。……どちらにせよ、私の権限で追えるルートは、そこで完全に断絶したわ」


「所詮は推測、ね。成果はゼロ。あんなに前金を積まれたのに、ワン様に報告できることが何もないなんて、探偵失格だわ」


 アリアは自嘲気味に笑い、ワイングラスの脚を指先で回した。

 だが、彼女の苛立ちの正体は、追跡の失敗だけではなかった。


「ねえ、クロエ。もし……万が一、その絵が見つかったとして。私、あのワンにそれを返していいのかしら? ただの19世紀の名画、のはずなのに。私の『中』にある警鐘が、ずっとうるさく鳴り止まないのよ」


「……あなたの直感は、一度も外れたことがないものね」


「そう。流通ルートを裏表、洗える限り洗ってみたけれど、どこにも影がないの。普通、あれだけの代物を金に替えたければ、裏のオークションにだって話が流れるはず。それすら無い。……まるで、この世からその『存在』自体が抹消されたみたい」


 アリアはチーズの最後の一欠片を口にし、ワインを飲み干した。


「明後日は、ワン様に中間報告の日。……『表も裏も、流通の形跡無し』。せいぜい、そう伝えるのが精一杯ね。……ああ、もう! 本当に癪に障るわ。あの小汚い太った画商の、あの脂ぎった笑顔に、何も持たずに会いに行くなんて!」


 クロエは、アリアのワインをお代わりするように目配せした。


「今はまだ、相手の土俵に立たされているだけよ。……流通していないということは、まだ『誰か』がそれを握りしめて、表に出るタイミングを待っている証拠。私たちはその瞬間を待つしかないわ」


「……わかってる。わかってるけど、お腹が立つのよ」


 アリアは不機嫌そうに頬杖をつきながら、届いた二杯目の赤ワインを睨みつけた。

 二人のワン。

 これ見よがしに消されすぎている痕跡。

 その正体が掴めないもどかしさが、赤ワインの渋みと共に、彼女の胸の奥に重く溜まっていった。

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