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第8話 行き詰まる捜査

 アリア・シズク・ウォーカーは、ワンから聞いた「盗難に遭ったとされる絵画を入手したオークション会場」を訪れていた。

 ロサンゼルスの中心部に位置するその会場は、歴史ある建築物を改装した荘厳な場所だったが、アリアがどれほど目を皿のようにしてスキャンを繰り返しても、そこに「事件」の香りはひとかけらも漂っていなかった。


(……おかしいわね。ここも、昨日見た画廊と同じ)


 アリアは、お気に入りの白いワンピースの裾を揺らしながら、エントランスのホールをゆっくりと歩く。

 網膜ディスプレイに流れるログは、退屈なほどに平穏だ。

 当然だが、不法な侵入の形跡もなければ、警備システムが突破されたログ(記録)もない。

 昨日ワンが見せた、あの必死に絵を求める「反応」がなければ、最初から盗難など起きていないのではないかと疑いたくなるほどの、完璧なクリーンさだった。


「……やっぱり、自分の目で見るだけじゃ限界があるわね」


 アリアは小さく独り言を漏らすと、内腿に潜ませた相棒の重みを確認し、会場を後にした。


 その日の夕刻。

 アリアは、ロサンゼルス市街を一望できる静かなラウンジで、クロエ・フォン・ヴァレンティーヌと合流した。

 クロエは、国家刑事局のチーフとしての鋭さを隠すように、ゆったりとしたシルエットのブラウスを纏っている。

 彼女はアリアが注文したノンアルコールのカクテルが届くのを待ってから、懐から一本の暗号化されたデータメモリを取り出した。


「……アリア。あなたが欲しがっていた、ワンの画廊周辺の防犯カメラ動画よ。周辺三ブロック分をすべて押さえたわ」


「助かるわ、クロエ。現場をいくらスキャンしても、驚くほど『何もなかった』のよ。ワンが掃除したって言っていたけど、物理的な証拠が一つも見つからないなんて、逆に不自然でしょう?」


 アリアは、受け取ったメモリを自身のデバイス(電脳)に非接触接続した。

 同時にリンクした、クロエの携帯端末にも映し出される。

 瞳の奥に、昨日の真昼間の映像が流れ始める。そこには、皮肉なほどに堂々とした光景が記録されていた。


「これ……ワン、じゃない?」


 映像の中、白昼堂々と画廊の裏口から、数人の男たちが大きな木枠を運び出している。

 その中心で指揮を執っているのは、痩せているように見える男。

 男は帽子を深く被り、顔の細部までは判別できない。

 だが、アリアの電脳が映像から抽出した歩行グラフィック、体格比率、そして特有の動作といった「個人特徴データ」を、クロエからもらったデータリンクと照合すると、無慈悲なほどに一つの結論を弾き出していた。


[Analysis Complete: Target Matches Wang Weifan]

(解析完了:対象はワン・ウェイファンと一致)

[Confidence Level: 99.8%]

(一致率:99.8%)


「……自分で自分の店から、白昼堂々と運び出したっていうの? 泥棒に盗まれたなんて大騒ぎをして、私に大金を積んでまで? しかも……体格が明らかに違う」


 アリアは、可愛らしい唇を噛み締めた。

 昨日のスキャンでは、ワンが「絵を探していること」に嘘はなかった。

 それは電脳が保証した「真実」だ。

 だとしたら、自分で運び出し、自分で行方を探しているという、支離滅裂な状況が出来上がる。


「画像からはワン本人だとは断定できないわ。でも、データは彼自身だと告げている。……アリア、これはただの『自作自演』にしては、あまりに杜撰ずさんすぎると思わない?」


 クロエの声には、冷静な不審感が混じっていた。


「ええ。まるで……この画像の男がワンではない?……それに、昨日のスキャン結果を合わせると、もっと奇妙なことになるわ。決まりよ。明日は、このカメラ映像を元に、もう一度庭の痕跡をトレース(追尾)してみる」


 翌日。

 アリアは再び、抜けるような青空の下、画廊の庭に立っていた。

 お気に入りの白いワンピースの裾を揺らしながら、観光客を装って建物の周囲をゆっくりと三度、四度と回ってみる。


(……おかしいわね。防犯カメラに映っていた現場のトレースをしようと思ったのに、痕跡が全くない……。いえ、これは土を慣らして痕跡を消している。明らかに足跡を消した者がいる)


 網膜ディスプレイには、退屈な平穏の裏側に潜む「不自然な加工」が表示されていた。


[Alert: Intentional Ground Manipulation Detected]

(警告:意図的な地形操作を検知)

[Probability of Trace Erased: 83%]

(足跡消去の可能性:83%)


「……あまりに不自然だわ。足跡を消す必要なんて、どこにあるの? 警備システムは沈黙したまま、強制侵入の形跡もない。だとすれば身内の犯行しかあり得ないけれど、わざわざ痕跡を消す理由は?」


 その刹那――アリアの電子網膜が、視界の隅に小さな違和感を捉えた。

 黒ずんだ土に混じる、ごく微かな「赤」。


 即座に血痕トレースモードを起動する。

 網膜ディスプレイ上に、周辺の土壌に染み込んだ微細な血の粒子が、蛍光色で浮かび上がった。 

 しかし、あまりにも微量すぎて、それが何を意味するのかまでは特定できない。

 アリアは小さく息を吐き、微物凍結補完ケース(サンプル容器)を取り出すと、慎重にその土を採取して封印した。


 その日の夕刻。

 アリアは再び、オレンジ色に染まっていくロサンゼルスを見下ろすラウンジで、クロエと向き合っていた。


「……物理的な不審点が見つからないのは、それが『システムそのものによって上書きされた現実』だからかしら」


 アリアはお嬢様のような可憐な微笑みを浮かべてカクテルを啜る。

 クロエは、アリアの手に自分の手を重ねた。

 生身の温かさが、アリアの人工皮膚を通じて伝わってくる。


「まずは防犯カメラのワンと、貴女が会ったワンのどちらが本物か、という事よね。体格が違うのでしょう?」


 アリアは、クロエが持ってきた映像データと、自分の記憶の中にあるワンの姿を重ね合わせようとして――そして、すぐに諦めた。


「……ねえ、クロエ。私、彼をスキャンしたけれど、その生体データをわざわざ『保存』なんてしていないの。そんなこと、いちいちすべてのお客様にしていたら、私のメイン・プロセッサ(電脳)がパンクしちゃうわ」


 アリアは困ったように眉を下げ、自嘲気味に笑った。


「だから、物理的な証拠を持って『イエス』とは言えない。でも、この刑事局の解析データは、彼がワンだと言っている。それが一番の不気味さなのよね」


「ええ。頼れるのはこの行政データだけ。そして映像の男は間違いなく、登録された個人特徴と一致している。……でもアリア、あなたが感じた『嘘』と、この『堂々とした搬出』。パズルのピースが歪んでいる気がするわ」


「もしワンが二人いるとして、今のワンが本物なら、このカメラに映るワンは泥棒。それとも、カメラの映像データそのものが改竄されている……? 」

 アリアの電脳に映し出されている男は、精査しなくても別人に思えた。


「わかったわ。明日、またあの画廊に行ってみる。今度は庭以外もくまなく見て、この映像から搬出路の痕跡の未来予測をサーチ(探索)してみるわ」


 アリアは立ち上がり、ふわりとワンピースの裾を整えた。

 右手首のオルトロスも、右内腿のリボルバーも、今はまだ沈黙を守っている。

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