第4話 消される殺人
五番街のスクラップ・ヤード。
そこは、巨大なプレス機が吐き出した金属の残骸が墓標のようにそびえ立つ、都市の排泄物溜まりだった。
パトロールカーが泥水を跳ね上げ、急ブレーキをかける。
降りしきる酸性雨の音が、ここではトタンや鉄板を叩く不協和音となって、周囲の静寂を塗りつぶしていた。
カイン・ヴィラールは、腰に差したベヒーモスの重みを掌で確かめながら、車外へと踏み出した。アノラックの裾が重く濡れ、足元のヘドロが不気味な音を立てる。
「……遅すぎたか」
現場に横たわっていたのは、三つの影だった。
それは、凄惨という言葉すら生温い光景だ。
マンティス・ブレードの超高周波振動による「一撃」で、肉体はバターのように分断され、断面からは内臓と人工回路が雨の中に撒き散らされている。
被害者は三人。
一人は初老の男。
一人は上品な装いの女。
そして、まだハイスクールに通っていてもおかしくない年頃の少年。
「……見ろよカイン。この服装、この掃き溜めには不釣り合いだぜ」
ラザロが忌々しげに顔をしかめ、フラッシュライト(懐中電灯)の光を遺体に叩きつけた。
彼らが身に纏っているのは、仕立ての良い高価なコートやスーツだ。
不法居住区やドラッグの売人が徘徊するこのエリアに、観光や散歩に来るような連中ではない。
カインは死体の傍らに膝をつき、右の生体眼球のフォーカスを最大まで絞り込んだ。
網膜上に展開されたスキャン・インターフェースが、遺体の表面を執拗になぞり始める。
「……スキャンを開始する。指紋、網膜、血管型データの抽出。Unified State Police Agency (USPA)メインサーバーへ照合」
青い光が骸を走る。
カインの電脳へ、膨大なログが滝のように流れ込み、瞬時に個人の特定が完了した。
だが、その結果を目にした瞬間、カインの思考回路に激しいノイズが走った。
「……何だと? おかしいぞ、このスキャンデータは」
「どうした、カイン。回路が熱暴走でもしたか?」
ラザロが銃を構えたまま、不審げに問いかける。
カインは網膜に表示されたウィンドウを、ラザロの視覚系へリンク(視覚共有)させた。
「照合が一致した。……男は海軍特務中佐。そして、横にいるのが妻と息子だ。……だが、ラザロ。このデータをよく見ろ。指紋、網膜、血管型……すべての生体認証値が『公式』に登録されている。なのに、統計的な整合性が全く取れていないんだ」
カインの声が冷たく響く。
それは計算の不一致がもたらす、底知れぬ違和感に対する拒絶だった。
「戸籍上は家族となっているが、シミュレート(再計算)の結果が出た。指紋の紋様パターン、網膜の血管走行、および遺伝子的な類似性。……これらすべてから導き出される、この三人が血縁関係にある確率だ」
カインの視界に、真っ赤な警告文字が躍る。
【Analysis Result: Statistical Discrepancy】
Kinship Probability: 0.003%
「家族である確率、0.003%。……事実上、あり得ない数字だ。赤の他人どころの話じゃない。この三人は、戸籍の上では完璧な家族として存在しているが、生物学的には何の関係もない個体の集まりだ」
「0.003%だと……? 海軍の中佐が、他人と家族のフリをしてこんな場所で惨殺されたってのか」
ラザロが声を荒らげる。
カインは、雨に濡れる海軍中佐の死顔を見つめた。
公式データが「真実」を語り、生体データが「嘘」を叫んでいる。この矛盾こそが、この現場の異常性を物語っていた。
「……軍が戸籍を書き換えたのか、あるいはこの街のシステムそのものが、この『家族』を承認するように作り替えられたのか。……どちらにせよ、俺たちがさっき見た『M』の試作品と、この偽りの骸は、同じ根っこから生えている毒だぞ」
カインはリヴァイアサンのボルトをゆっくりと引き、薬室にACHR弾(対サイボーグ重量弾)を送り込んだ。
金属の重厚な噛み合わせが、彼の掌に冷たく、確かな実感を伝える。
「海軍、軍用試作品、そして偽造された生体データ。……報酬を吊り上げなきゃやってられんヤマだぜ、これは」
雨足はさらに強まり、スクラップの山が泣くような音を立てる。
二人の捜査員の足元で、0.003%という数字だけが、消えぬ電子の火として明滅していた。
降りしきる酸性雨は、鉄の墓標が連なる五番街のスクラップ・ヤードを執拗に叩き続けていた。
トタン板を打つ不協和音は、街の排泄物溜まりに不気味な旋律を刻み、堆積したヘドロが腐敗したガスを吐き出している。
カイン・ヴィラールは、泥水に膝をつき、海軍中佐と呼ばれた男の虚ろな瞳を見つめていた。
網膜に焼き付いた「0.003%」という血縁確率は、この世界のシステムが吐き出した、最も精巧で冷酷な「嘘」の証明だった。
「……ラザロ、足元だ。雨に流される前に拾い上げろ」
カインの指示に、隣に立つ相棒、ラザロ・スタインが応じる。
ラザロは生身である右手の指先で、愛銃『コルト・ニューヨーカー M247 "ピースメイカー・リバイバル"』のスライド後端を確認し、使い込まれたホルスターへ収めた。
そして、大きな手でカインの肩を無造作に叩く。
「……分かってるよ。だが、この泥濘からホシの欠片を探すのは、干し草の山から針を探すより骨が折れるぜ、カイン」
ラザロがフラッシュライトの鋭い光軸を移動させると、泥濘の中に、一筋の不自然な生体有機物反応が混じっていた。
カインは右眼のフォーカスを最大まで絞り込み、微細な有機物の組成を解析し始める。
「新しいDNAデータだ。現場に残留していた表皮組織と血液……。照合を開始する」
カインの電脳内蔵プロセッサが、USPAの暗号化されたクリミナル・レコード(犯罪歴)を高速でクロールする。
「ヒットした。……ショーン・ハリス。31歳、男。前科二犯――傷害、および公務執行妨害。特筆すべきは親への虐待歴だ。人格破綻者の典型だな」
「身体換装歴は?」
「行政許可済みの正規パーツ。両脚部ユニット『サイダイン L-G5』、および脊椎安定化パーツ『アトラス・スピン S-2』。……だが、照合率は23.45%。低すぎる。雨によるDNAの分解か、あるいは意図的なノイズによる偽装か。意味があるデータかも分からん」
カインが言葉を切り、ふと視線を上げた。
その刹那、カインの強化眼球に備わった「動体予測アルゴリズム」が、赤色の警告サインを網膜に投影した。
240メートル先。廃墟同然の古びたアパート、その四階の窓際。カーテンの隙間から、冷たい金属の光沢――スナイパースコープの対物レンズが放つ微かな反射光が覗いた。
「――伏せろ!」
カインの叫びと同時に、全身のサーボモーターが最大戦闘出力へと跳ね上がる。
敵が構えているのは、『ボリアス 7.62mm Bf106対人狙撃ライフル』。
サプレッサー(消音器)を装着しているが、その威力は並のサイボーグであれば頭蓋すら一撃で貫通する。
「ターゲット確認。行政不許可換装パーツ、頭部骨格モデル『タイタン-V3』。イリーガルだ。武器型式、照合完了。……適正執行を開始する」
カインはアノラックの裾を跳ね上げ、腰のホルダーから愛銃『SA-89 リヴァイアサン』を抜き放った。
この距離、そして相手の装甲厚。
20mmの怪物『ベヒーモス』を抜く必要はない。
リヴァイアサンに装填されたACHRで十分だ。
銃身が雨を切り裂き、狙撃ポイントへと吸い込まれるように固定される。
――ドォォォォン!!
夜の静寂を、リヴァイアサンの咆哮が粉砕した。
一発目のACHRが、アパートのレンガ壁を爆砕しながら窓枠ごと内部へ食い込む。
間髪入れず、補正された座標へ二発目。
狙撃ライフルが火を噴くコンマ数秒前、カインの放った重量弾が、ライフルそのものと狙撃手の『タイタン-V3』製頭部を同時に粉砕した。
遠方で、オレンジ色の小さな火花が散る。
強化セラミックの頭蓋が、凄まじい運動エネルギーによって、内側から弾け飛ぶのが見えた。
「……チッ、あっちにもいやがったか!」
隣でラザロが、反対側のアパートに向けて『M247 ピースメイカー』を連射していた。
オートマチック特有の乾いた銃声が連続し、空薬莢が雨の中に踊る。
ラザロの.45口径弾が、隠れていたもう一人の観測手の肩を削り、闇の奥へと退かせた。
「なるほど……。どうやら俺たちが、この上なく『邪魔』らしいな」
カインは、熱を帯びた『リヴァイアサン』のシリンダーをスイングアウトし、硝煙の立ち上る空薬莢を泥の中へ排出した。
真鍮が泥濘に落ち、鈍い音を立てる。
背後では、先ほどまで「家族」の形を成していた三人の遺体が、異臭を放ちながら崩れ始めていた。
「……時限式の酸か」
遺体の内側から噴き出す白煙。
それは、バカな富裕層が掴まされるイリーガル・パーツの典型的な「付加機能」だった。
組織の意にそぐわぬ動きを見せれば、体内に仕込まれた高濃縮酸カプセルが弾け、本体ごと証拠を融解させる。
裏社会では、もはや使い古されたクリーン・アップ(隠滅工作)だ。
「この死体を、これ以上調べられたくないということか。軍の不祥事か、あるいはもっと巨大なシステムのバグか。どちらにせよ、即座にこれだけの『掃除屋』を差し向けてくるあたり、この遺体は俺たちが思っている以上に重要らしいな」
カインは、ドロドロと形を失っていく「家族」だったものを、感情を排した眼球で淡々と見下ろした。
カインは新しいACHRを装填し、リボルバーを閉じると、その重厚なラチェット音を響かせた。
彼の視覚系には、まだアパートの四階で粉砕された「0.003%の真実」の残像が、消えぬ電子の火として明滅していた。
「ラザロ、ここを離れるぞ。本部の鑑識が来る前に、死神たちが二陣を送り込んでくる」
「ああ、分かってるよ、カイン。……だが、こいつは愉快じゃねえ。次は、その腰に差した『ベヒーモス』で、本物の化け物をお相手しなきゃならねえ予感がしてやがるぜ」
ラザロは、再びピースメイカーのスライドを引き、初弾を装填したままホルスターへと収めた。
二人は背を向け、闇の中に沈むパトロールカーへと急ぐ。
酸性雨は止むことなく、ニューヨークの嘘と真実を、すべて同じ汚れとして塗りつぶし続けていた。




