第3話 非番
執行の夜が明け、ニューヨークに光を遮る重苦しい「朝」が訪れた。
非番を告げるアラートが網膜に表示される。
カイン・ヴィラールは、相棒を家に送ると、血と泥にまみれたアノラックを脱ぎ捨て、自身の殺風景なアパートへと戻った。
生体パーツのメンテナンスモードを起動し、半ばシャットダウンに近い深い眠りに落ちる。
夢は見ることは無い。
ただ、網膜に焼き付いた「M」の残像が、暗闇の中で時折ノイズとなって走るだけだった。
数時間後、強制再起動がかかったように目を覚ましたカインは、シャワーで硝煙の残滓を洗い流すと、再び夜の気配が色濃くなり始めた街へと踏み出した。
向かう先は、アンバー・マクレーンの実家。
「ジャンズ・ダイナー」から数ブロック先、古びたレンガ造りの外壁をチタン合金の防護シャッターで固めた無骨な店――ガンショップ『アイアン・フラワー』だ。ここは法執行機関の人間だけが知る、ニューヨークで最も「信頼できる死」を売る店だった。
電子ロックが解除され、店内に入ると、オイルの匂いが凝縮された重厚な空気がカインを包んだ。
「……来やがったな、カイン」
カウンターの奥で、タバコの煙をくゆらせながらニヤニヤと笑う大男がいた。
アンバーの親父、バレット・マクレーンだ。
その分厚い胸板と、傷だらけの無骨な腕は、彼がかつて最前線で「怪物」を相手にしてきた元捜査官であることを物語っている。
「アンバーから聞いたぜ。今朝、面白い獲物を仕留めたらしいな」
「仕事だ、バレット。それより……例の『ベヒーモス』を見せてもらおうか」
カインが単刀直入に言うと、バレットは「せっかちな野郎だ」と肩をすくめ、カウンターの下から重厚なアタッシュケースを引き揚げた。
バレットが三つの電子ロックを解除し、ケースを開く。
そこには、鈍いマットブラックの輝きを放つ、美しくも禍々しい鉄塊が収まっていた。
「ヘカトンケイル・アームズ LV-04 『ベヒーモス・バスター』。対サイボーグ用EX弾頭――ライフル規格の20mm徹甲炸裂弾(20mm Anti-Cyborg APHE (Armor Piercing High Explosive)を、こいつは四発飲み込む」
バレットがケースからその銃を抜き出し、カウンターに置いた。
拳銃と呼ぶにはあまりに巨大。
極太のバレルと、手動操作を前提とした無骨なボルトアクション・ハンドル。
それは洗練という言葉を嘲笑うかのような、暴力の結晶だった。
「四発装填のボルトアクション……。反動で俺の腕部パーツのサーボが焼き切れなきゃいいがな」
カインが手を伸ばし、その冷たいグリップを握る。
その瞬間、彼の生体眼球が自動的に銃のリンクポートをスキャンし、膨大な性能諸元を網膜に映し出した。
「ニヤニヤすんなよ、バレット。……こいつは、ただの銃じゃない。本物の『死神の鎌』だ」
「ああ。……『M』の刻印を持つ連中を相手にするなら、それくらいの鎌は必要だろうぜ」
バレットはそう言って、さらに新しいタバコに火をつけた。
バレット・マクレーンは、カウンターに置かれたその鉄塊を愛おしそうに、あるいは呪わしいものを見るような目で見つめた。
彼は分厚い指で、ベヒーモスのマットブラックに処理されたスライドを撫でる。
「いいかカイン。こいつは『銃』じゃねえ。……手持ち式の『野砲』だ」
バレットはそう言うと、ケースの隅から一発の弾丸を抜き出した。
それは通常の拳銃弾とは比較にならない、化け物じみた代物だった。
「20mm対サイボーグ用EX弾頭。……弾殻の中には、最新の安定化ニトロが凝縮されている。先端のタングステン芯が装甲をぶち抜き、コンマ零数秒後に内蔵された炸薬がターゲットの内部機構を『全損』させる。……一発、2000ドルだ。外せば2000が闇に消えると思え」
カインはベヒーモスを手に取った。
ずしりと、生体パーツの腕部にさえ警告が出るほどの重量が伝わる。
「重いな。……バレット、ボルトの引きが少し硬い気がするが?」
「そりゃあ、それだけ密閉率を高めてるからだ。こいつはガス圧を一切逃がさねえ。火薬のエネルギーをすべて、その20mmの弾頭に叩き込む設計だ。見てみろ、このボルトアクション・ハンドルの形状を。……グローブ越しでも確実に指がかりするように、荒目のチェッカリングが施してある。一発撃つごとに、お前は自分の手でこのボルトを引き、ガラ(空薬莢)をブチ開け、次の『死』を装填しなきゃならねえ」
バレットはニヤリと笑い、銃の各部を指し示した。
「型番はLV-04。……この『バスター』シリーズの四代目だ。最大の特徴は、このサイズで五発の装弾数を実現している点にある。通常、この手の20mmの化け物はシングルショット(単発)が限界だが、ヘカトンケイル社の変態どもは、ボルトアクションの極致をここに詰め込みやがった」
「見ての通り、固定式のインテグラル・マガジン(内部弾倉)だ。ボルト操作で次弾を競り上げる方式を20mm弾で再現しやがった。バレルの下にチューブを這わせるような無骨な真似はせず、レシーバーの剛性と装弾数を両立させるために、内部機構を極限まで削り出している」
カインの指が、冷たいレシーバーの縁をなぞる。
「クリップ給弾こそできないが、一発ずつこの巨弾を押し込む時の手応えは、他の銃じゃ味わえない。……もっとも、五発も撃ち切る前に、並のサイボーグなら反動で肩のサーボモーターが焼き付くだろうが」
カインがボルトを後方へ引くと、重厚な金属音が店内に響いた。
精緻に組み上げられたパーツ同士が、隙間なく噛み合っている感触が腕の神経系に伝わる。
「いいか、警告しておく。こいつのリコイル(反動)は、お前の生体パーツのリミットを簡単に超えてくる。……撃つときは、腕のサーボ(自動制御システム)の安全装置を2ランク落とせ。遊びを作っておかないと、衝撃でお前の肘のボルトが内部から弾け飛ぶぞ。……つまり、こいつは『自分自身を壊しながら、相手を消し飛ばす』ための道具なんだよ」
バレットはタバコの灰を床に落とし、声を落とした。
「……軍用の『M』、マンティス・ブレードを仕込んだジャンキーを相手にするなら、それくらいの覚悟がいる。SA-89リボルバーは名銃だが、あれはまだ『対イリーガル用』の域を出ねえ。だが、このベヒーモスは違う。……こいつは、鋼鉄と油の化け物を屠るための、現代の『神罰の槍』だ」
カインはベヒーモスのトリガーガードに指をかけた。
冷たく、重い感触。
近い未来の自分の網膜に映る「適正執行」の文字。
この銃を使えば、もはや「射殺」ではなく「消滅」になるだろう。
「……弾も四発、貰っていくぞ。バレット」
「ああ、ツケにしておいてやるよ。……アンバーが、お前が死ぬとツケが回収できねえって泣いてたからな」
バレットはそう言って、ガハハと下卑た笑い声を上げた。
カインはその重厚な鉄塊を、自分の腰のホルダーへ――その重みに耐えうる特注のハードポイントへ――ゆっくりと収めるとともに、左腕をカウンターの金属片に掲げて支払いの七割を済ませる。
店内に、軽やかな電子錠の解錠音が響いた。
カインが腰のハードポイントに『ベヒーモス』を収めたその時、背後から柔らかな熱が飛び込んできた。
「捕まえた!……ねえカイン、今日は非番でしょ? 付き合ってよ」
アンバーが、カインの逞しい左腕に、自分の両腕を迷いなく絡めた。
最新の擬似皮膚に包まれた義手の指先が、カインの重厚なアノラックをぎゅっと掴む。
カウンターの奥で、バレットの目が険しく、それでいてどこか楽しげに細められた。
「おいおい、店先でベタベタすんじゃねえよ……。まあいい、カイン。そいつをツケで持ってくんだ。娘のお守りぐらいしてもらわなきゃ割に合わねえからな」
バレットが煙草を指先で弾き、ニヤニヤと笑いながら言う。
カインのスケジュールは、明後日の日勤開始まで完全にフリーだ。
断る理由は、彼の論理回路のどこを探しても見当たらなかった。
「……ああ、分かっている。どこに行くんだ、お嬢様」
「ADDストリート行こうよ! 買い物付き合って」
「……あそこのダイナーの、ブルーベリーソースかけのアップルパイにバニラを添えるのも、悪くはないな」
「あなた、いつもそれじゃない! でも良いよ、それは私も食べたいから!」
アンバーが弾けるような笑顔を見せ、カインの腕をさらに強く引いた。
ADDストリート。
かつての五番街を彷彿とさせるこの目抜き通りは、ホログラムの広告が踊り、最新のファッションに身を包んだ人々が行き交う、この街で数少ない「光」の領域だ。
カインはアノラックの襟を少し下げ、アンバーの歩幅に合わせてゆっくりと歩いた。
彼の強化眼球は、無意識のうちに周囲の潜在的脅威をスキャンし続けている。
だが、隣で楽しそうにショーウィンドウを覗き込むアンバーの横顔が視界に入るたび、冷徹な演算には甘いノイズが混じった。
「……今、スキャンしてたでしょ? デート中にスキャンをやめないなら、その『ベヒーモス』、私が回収しちゃうからね」
図星を指され、カインの視界の端でエラーログが跳ねた。
腰のハードポイントに収まった重量感――手に入れたばかりの「最強の牙」を、未払いと称して取り上げられるわけにはいかない。
「それは……勘弁してくれ」
カインは困ったように肩をすくめ、降参を示すようにスキャンモードをオフにした。
最強の執行官も、自分の獲物の構造を熟知している彼女の宣告には、手も足も出ないらしい。
「よろしい。じゃあ、約束のアップルパイ、行きましょう!」
ADDストリートの喧騒を一本裏へ入った角に、その店はある。
『パティスリー・ネオン・ルージュ』。
2400年代の無機質な街並みにおいて、そこだけが古き良き時代の温もりを湛えた、レンガ造りのテラス席を持つカフェだ。
運ばれてきたのは、この店の看板メニューである『焼きたて紅玉のアップルパイ』。
何層にも折り重なったパイ生地は、最高級の合成バターが熱で弾け、琥珀色の光沢を放っている。
その上には、滴るほど濃厚なディープ・ブルーベリーソース。
そして、まるで熱風に抗うように鎮座するスノー・バニラアイスが、ゆっくりと、芸術的な曲線を描いてパイの熱に溶け出していた。
アンバーが、その繊細な指先――擬似皮膚に包まれた義手の指でフォークを握る。
彼女はパイの最も柔らかい芯の部分をバニラと共に掬い取ると、カインの唇の数センチ先まで運んだ。
「ほら、カイン。あーん、して」
「……自分で食える。俺の手は壊れていない」
カインは低く拒んだが、その声にはいつもの鋭さがない。
隣り合うアンバーの肩から伝わる、かすかな体温。そして彼女の首筋から漂う、安っぽい石鹸と甘いリンゴの混じり合った香りが、彼の論理回路をじわじわと麻痺させていた。
「だーめ。非番の時は、私の『命令』に従うこと。……はいっ」
アンバーが少しだけ身を乗り出すと同時に手がワキワキと動き、『ベヒーモス』に伸びる。
彼女のイタズラを楽しむような瞳が、カインの強化眼球を真っ直ぐに見つめる。
周囲の着飾ったカップルたちの、好奇と羨望の混じった視線。
カインの頬が硬く強張る。
だが、ベヒーモスを「人質」に取られている以上、戦術的な退路は断たれていた。
カインは観念したように、重い唇を開いた。
口内に滑り込んできたのは、暴力的なまでの甘美だった。
熱を帯びたリンゴの酸味が舌の上で弾け、続いてキンと冷えたバニラのコクが、それを優しく包み込む。
ブルーベリーの渋みが後味を鮮烈に引き締め、鼻腔を抜けるのは、シナモンのスパイシーな余韻。
「少し……甘すぎる」
「嘘。顔が笑ってるよ、カイン」
アンバーはクスクスと笑いながら、今度は自分の分を口に運んだ。
彼女が唇についたクリームをペロリと舐めとる。
その何気ない、あまりに「生身の人間」らしい仕草に、カインの電脳の『人間部分』は、エラーメッセージを吐き出しているような錯覚を覚えた。
硝煙、オイル、酸性雨、そしてサイボーグたちの焦げた肉の匂い。
それがカインの「日常」というデータの全てだった。
だが、今この瞬間。
フォークを通じて手渡される甘い報酬は、彼の冷え切った内部機構を、内側から熱く、狂わせていく。
「カイン、鼻にソースついてる」
「……なっ」
アンバーが、指先で彼の鼻筋をそっと拭う。
その指先の、機械とは思えないほど柔らかな弾力。
カインは反射的に彼女の手首を掴みかけたが、その直前で力を抜いた。
掴めば壊れてしまいそうな、あまりに細い腕。
だが、この細い腕が、重いリヴァイアサンを整備し、カインの魂をこの「人間」の世界に繋ぎ止めている。
二人の間に流れる空気は、溶けかけのバニラアイスのように甘く、そしてどちらが先に踏み出すべきか分からないほどに、危うく停滞していた。
――このまま、時間が止まればいい。
戦闘用サイボーグとしての電脳には不要なはずの「人間の感情」が、カインの胸の奥で、静かな拍動を刻んでいた。
幸せな空気は、一瞬のノイズによって破られた。
雑踏の中から飛び出してきた男が、アンバーの肩に提げていたバッグを強引に奪い取った。
「っ、泥棒!?」
アンバーが声を上げた瞬間。
カインの全身のサーボモーターが、休止状態から一気に戦闘出力へと跳ね上がった。
男が背を向けて一歩を踏み出すよりも早く、カインの巨体が動いた。
常人の視覚には、彼が「消えた」ように見えたはずだ。
0.5秒。
男の足が空を切る。
カインの鋼のような右手が男の襟首を掴み、逃走の慣性をそのまま利用してアスファルトへ叩き伏せた。
ボキリ、と男の手首が不自然な方向に曲がる。
カインの膝が男の脊椎を完璧にロックし、自由を奪った。
「……動くな。現行犯で制圧した」
あまりの速さに、周囲の客は悲鳴を上げる暇さえなかった。
カインは片手でバッグを拾い上げ、呆然としているアンバーに手渡すと、即座に本部へ連絡を入れる。
シュッ、という鋭い金属音と共に、ワイヤーハンドカフ(ワイヤー式手錠)が男の手首に食い込んだ。
一度噛みつけば肉を裂く、法執行官からの「呪いのブレスレット」だ。
数分後、けたたましいサイレンと共に一台のパトロールカーが滑り込んできた。
車から降りてきたのは、当番勤務中だった同僚のジェシカとライアンだ。
「おいおい、何の騒ぎだ……って、カインじゃない! 何、非番なのに残業?」
ライアンと共に現れたジェシカが、地面に転がる男の腕を無造作に引き寄せ、手錠をかけ直した。
カインが使用したエクスキューショナー専用の『サイボーグ用ワイヤーハンドカフ』は、もし、対象が暴れればチタン合成骨格フレームすら拉ぎ切る代物だ。ただのひったくりに使うには、いささか酷すぎる「処置」と言えた。
ジェシカは、男のねじ曲がった手首を一瞥し、それからカインと、その隣で顔を真っ赤にしているアンバーを交互に見た。
「……やりすぎじゃない? カイン。これじゃあ、本部の報告書に『過剰な制圧』って書かなきゃならないわ。まあ、暴れたなら仕方ないけど。それとも何、愛する彼女の前で格好つけたかったわけ?」
「偶然だ。買い物中にひったくりに遭っただけだ。それに彼女は『馴染み』の娘ってだけだ」
「へぇー、買い物ねぇ」
ライアンがニヤニヤしながら、カインの肩を小突いた。
「デート中に犯人制圧なんて、相変わらず熱心だね。このまま式場まで連行しちゃうつもりか?」
「ジェシカ、ライアン。からかうのはよせ」
「いいじゃない、カイン! お似合いよ」
ジェシカがウィンクを飛ばす。
「結婚式には、私たちも絶対呼んでよね。受付は私とライアンでやってあげるから!」
「……早くそのジャンキーを連れて行け」
カインが追い払うように手を振ると、二人の警官は笑い声を上げながら、男を乱暴に後部座席に放り込んで去っていった。
静寂が戻った通りで、アンバーがクスクスと笑い始めた。
「……何が可笑しい」
「だって、カイン。あなたの耳、さっきから真っ赤なんだもの。私に照れてるの?」
アンバーが、生身の温かさを持った手で、カインの大きな掌をそっと包んだ。
「ありがとう、カイン。……でも、次はもう少し加減してあげてね」
カインは返事の代わりに、彼女の手を握り返した。
「助けたわけじゃない。ただの仕事だ」
腰に差した『ベヒーモス』の重みとは違う、羽毛のように軽くて温かい重みが、彼の掌を通じて冷え切った『電子脳の人間部分』へ、確かな幸福のデータを送り続けていた。




