表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/9

第1話 雨

 2489年、ニューヨーク。

 かつて自由の象徴と謳われたこの街は、今や重金属の毒素を含んだ雲に覆い尽くされていた。

 降りしきる酸性雨は、摩天楼が放つ暴力的なネオンの光を乱反射させ、澱んだ路面に極彩色の死骸をぶちまけている。


 カイン・ヴィラールは、その色彩の濁流の中に佇んでいた。

 鼻腔を突くのは、焦げたタンパク質の臭いと、加熱されたシリコンオイルの鼻に付く悪臭。

 それらを強引に上書きするのは、今しがた放たれたばかりの、重厚な硝煙の香りだ。


 足元には、頭部の左半分を「消滅」させた、かつて女だったモノが転がっている。

「……無様なもんだな」

 カインが低く呟く。

 頭蓋の裂け目からは、赤黒い生体血液と、粘り気のある人工血液クーラントが混じり合い、ヘドロのような汚泥となってアスファルトの隙間へ吸い込まれていった。


 カインは、愛用する対サイボーグ重量弾リボルバー『シュタイナー・アームズ SA-89 "ジャッジメント・リヴァイアサン"』のサムラッチを、手袋越しに力強く押し込んだ。

「ガチリ」という重厚な金属音が、静まり返った路地裏に冷たく響く。

 左手でシリンダーをスイングアウトし、慣れた手つきでエジェクターロッドを叩く。

 熱を帯びた二つの真鍮薬莢が、重力に従ってシリンダーから吐き出された。


「カチン……、カチン……」


 硬質なコンクリートを叩くその音は、まるで一人の人間の命が「無機質な廃棄物」へと変わったことを告げる弔鐘のようだった。


「――良くやった、カイン。完璧なタイミングだ。コンマ数秒、お前の演算が遅れていたら、今頃その自慢のアノラックには、お前自身の生体血液がぶちまけられていたぜ」


 隣に立つ相棒、ラザロ・スタインが、低く掠れた声で言った。

 ラザロは生身である右手の指先で、愛銃『コルト・ニューヨーカー M247 "ピースメイカー・リバイバル"』の撃鉄を静かに下ろし、使い込まれたホルスターへ収めた。

 そして、大きな手でカインの肩を無造作に叩く。


 カインはそれに応えず、第二次世界大戦時のナチスドイツ軍アノラックを彷彿とさせる、重厚なミリタリーコートの襟を立てた。

 彼の左眼――最近、多額の行政許可費用を投じて換装したばかりの「生体パーツ」の眼球は、まだ興奮状態にあるのか、視界の端で微細なエラーログを流し続けている。

 その奥に組み込まれた照準補助システムは、カインの脳神経と直結し、腕部パーツのサーボモーターへミリ秒単位の修正データを送り続けていた。


 カインの網膜が記録した、殺害の瞬間。

 それは一切のノイズを含まない、冷徹な「適正執行」の証拠データとして、無線通信を通じて統一国家警察局(Unified State Police Agency )のメインサーバーへリアルタイムで同期されている。


「証拠は完璧だ。……こいつも、脳まで電脳麻薬『N.O.(ノー)』に焼き切られてやがった。もう、人間ナマモノとしての意識なんて、一欠片も残っちゃいなかったんだ」


 カインが吐き捨てると、ラザロの視線が、獲物を狙う獣のように鋭く細められた。

 ラザロの左手、特注の強化骨格と高密度人工筋肉で固められた鋼の腕が、ギリ、と抑制の効かない音を立てて軋む。

 彼は古流柔術の達人でもある。その腕にかかれば、強化チタンの骨格すらも乾いた小枝のようにへし折られる。


 二人が追い続けている薬物ルートの元締め、通称レッドスコルピオン(赤い蠍)。

 目の前の死体は、その強大な組織が吐き出した、たかが一本の使い捨ての毒針に過ぎないのだ。


「行くぞ、ラザロ。本部が次の座標を送りつけてきた。一息つく暇も与えないのが、この街のやり方らしい」


 カインは予備の重量弾をポーチから抜き取ると、一発ずつ、その重みを確認するようにシリンダーへ滑り込ませた。手首を鋭く返すと「ガチリ」とシリンダーが収まる。

 それは、次の死刑執行へと向かう、処刑人のための冷酷な合図だった。


 十五分前まで、この女は確かに「生きて」いた。

 カインとラザロがこの売人を追い始めてから、すでに三時間が経過していた。

 五番街の喧騒をすり抜け、廃棄されたサイボーグパーツが山をなす下層のダクト網を這いずり、ようやくこの行き止まりの路地裏まで追い詰めたのだ。


 逃亡者の背中は、遠目にはどこにでもいる金髪に黄色の瞳を持った若い女だった。

 しかし、その偽造されたしなやかな皮膚の下に隠された加速装置は、リーガルパーツの限界出力を遥かに超え、オーバーヒート寸前の熱量を大気中に撒き散らしていた。


「止まれ!ACC (New York Police Department - Anti-Cyber Crimeニューヨーク市警、対サイボーグ課)だ!」


 カインの怒声が、激しい雨音を切り裂いた。

「直ちに全回路をスタンバイ・モードに移行せよ。さもなくば――執行する」


 統一国家警察局USPA公式の警告プロトコル。

 だが、女の答えは言葉ですらなく、ただの獣じみた咆哮だった。

「ア、ハハ……あああ、熱い、熱いよぉッ! 最高だ、脳が……魂が融けていくッ!」


 女の黄色い瞳が、不自然なほど鮮やかな真紅へと変色する。

 電脳麻薬『N.O.』が、彼女の脳細胞を爆発的な快楽と共に焼き尽くそうとしていた。

 次の瞬間、女の右手が、白い肌を内側から弾けさせて変貌を遂げた。

 バキバキと音を立てて剥き出しになる、黒い生体金属。

 それは節足動物の脚を思わせる、鋭利なカマキリのマンティス・ブレードだった。


「チッ、イリーガルの『マンティス・タイプ』か! 趣味の悪い換装してやがる」


 ラザロが忌々しげに吐き捨て、腰を落とした。

 本来、行政許可が下りるはずのない殺傷用パーツ。女はその鎌を、物理法則を無視した初動速度で振り下ろした。


カインの視界に、赤色のスキャン結果が点滅する。

 網膜上のインターフェースが、女の頸椎付近から漏れ出す異常なパルスを捉えていた。


【Scan Result: Positive】

Substance: Neural Overdrive (N.O.) Detected.

Concentration: 92% (Critical Overload)

Condition: Brain Tissue Collapse. Irreversible.


「薬物使用確認……。脳組織の崩壊率、回復不能。……ラザロ、執行許可が出たぞ」


 カインの網膜システムが、Unified State Police Agency の認証局と0.02秒でリンクを完了した。 

 彼の視界に「EXECUTION AUTHORIZED(執行許可)」の文字が焼き付く。

 それは、この映像を記録した瞬間、彼が裁判官と処刑人の両方の役割を果たすことを意味していた。


 女が鎌を突き出し、カインの喉元へ肉薄する。

 常人には銀色の閃光にしか見えないその軌道を、最新鋭の眼球システムがスローモーションのように捉えた。

 腕部パーツが眼球からのデータを受けて、リボルバーの銃身をミリ単位で補正する。


――ドンッ! ドンッ!


 鼓膜を震わせる、暴力的な二連発。

 対サイボーグ重量弾が、至近距離から女の眉間と心臓部コアを正確に粉砕した。

 衝撃で女の体は後方へ跳ね返り、コンクリートの壁を凹ませてから、二度と動かぬ機械の骸へと成り果てた。


 現在。

 二人は覆面パトロールカーの中にいた。

 窓を叩く雨音と、エアコンの無機質な駆動音だけが、戦場だった路地裏の余韻をかき消そうとしている。


「おい、カイン。さっきのジャンキー女の腕パーツだ。本部のデータから回答が来たぜ」


 ラザロが強化左手の指先で、車内のコンソールパネルを叩いた。

 空中にホログラムのウィンドウが展開され、先ほどの網膜ログの解析結果が表示される。

 そこには、赤く点滅する一つのアルファベットが記されていた。


「……『M』だぜ。見ろよ、このコード」


「深いな……」

 カインが、その不吉な文字を凝視したまま呟く。

「M……ミリタリー(軍用)。若しくは、軍用試作品プロトタイプとしての手配登録コードだ。本来、極東や中東の内戦地帯でしか見かけないはずの代物だぜ」


「ああ。それがニューヨークの裏通りで、ドラッグに溺れたガキの右腕に収まってた。行政のライセンス偽造なんてレベルじゃねえ。軍の兵器庫に直接パイプがあるか、あるいは……」

 ラザロが忌々しげに、生身の右手で自分の顔を拭った。

「軍そのものが、この街を実験場にしてるかだ」


 狭い車内での捜査会議には限界があった。

 肺に溜まった硝煙の臭いと、終わりの見えない陰謀の予感が、二人の精神を削っていく。


「……腹、減ったな。ラザロ」

 カインがポツリと漏らした。それは、自分がまだ「機械」ではなく、代謝を必要とする「人間」であることを確認するための言葉のようでもあった。


「ああ。ハンバーガーでも食おうぜ。脳に糖分を回さねえと、この謎を解く前に俺たちの回路が焼き切れちまう」


 カインは、ダッシュボードの中央にある「電子脳非接触端末」に、そっと右手をかざした。

 彼の電脳内に埋め込まれたチップが端末とワイヤレスで同期し、膨大なデータが青白い光となってやり取りされる。

 即座に車両のAIが反応し、パトライトの点滅が消え、車内に収納されると同時にステアリングが自律走行モードへと切り替わった。


「座標セット。馴染みのダイナーへ向かう」


「……カイン。あの『赤い蠍』のタトゥーと、この軍用パーツ。無関係だとは思うなよ。奴らは、俺たちの想像以上に深いところに毒を回してる」


「分かっているさ。……薬物、軍、そして蠍。点と点が繋がり始めたら、この街は本当の戦場になるぞ」


 カインはアノラックの襟をさらに深く立て、雨に濡れた窓の外をじっと見つめていた。

 パトロールカーは、二人の「死神」を乗せたまま、雨に煙るネオンの海を滑るように進んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ