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1話 偽りの王子様 4

 呆れたように言い放つ彼女がわざとらしく大きなため息をつく。わたしの方がひとつ年上で、一応、この会社だって二か月は先輩だ。それなのに、この彼女の態度。どうかと思うわたしを置いてけぼりにして、彼女は「あ!」と大きな声をあげる。


「そういえば、明日からハワイですね!」


「あー……卓也、出張入ったんだって」


「ええ、またですか! 本当にあの男、信用できません! お金持ちで家柄がいいって言っても、一般人の思考と違いすぎて、わたし本当に無理です! お父様が代議士だからって」


「まあ、そうよねえ」


「いつも自分中心で綾乃さんのことを振り回しすぎです。綾乃さんのこと全然考えていないくせに、綾乃さんの優しさには甘えるし。今度の相談があるっていう話だって、なんかもったいぶってえ!」


 デスクをバンバンと叩きながら怒りを露わにする彼女を見て、思わず笑みが溢れたけれど、「笑ってる場合じゃないですよ」と本気で睨まれて、なぜか小さい声で謝罪の言葉を漏らしてしまう。


「あの男、この期に及んで、プロポーズでもしてきたら許さないから!」


 荒ぶる栞ちゃんの頭を撫でながら、なんとか切り出す。


「ないない。この前、電話きてね、秘書になってほしいって言われたの」


 突然ご機嫌取りのようにハワイに行こうと言い出して、相談したいことがあると続けた卓也。でも、数日前の残業中に電話をしてきて、しゅんとした声でわたしの名前を呼んで「秘書になって」と続けた。いつものことでしかなくて、何も驚きはない。それくらい日常のこと。


「秘書って、ディアブロのですか?」


「イタリア語も英語も話せないって言ったんだけど、ディアブロだけじゃなくてコンサル会社の方を手伝ってもらいたいらしいわ。国内の調整とか書類とか。まあ、二か月だけよ」


「……ディアブロかあ。車はカッコよくてLegacyにぴったりな感じなんですけどねぇ。CMとかやらないかな」


 高級外車の代表ともいわれるイタリアのディアブロ社。卓也がM&Aを担当し、その後、役員の一人になったらしい。正直、 M&Aなんていうものはわからない。


 卓也に一度聞いたことがあるけれど、会社と会社を合体させて綺麗な形にしていく作業だと言われた。整えるというよりは、ハサミで切っていく感覚に近いと言われて、更に頭の中にクエスチョンマークが浮かんだことがある。


「また手を出して女の方が騒いで辞めたんですよね、絶対。なんか賛成できないんですけど……でも、直前になってやっぱりやめたって言いだしそうですもんね」


 やっぱり彼女も卓也という人間をよくわかっている。その気まぐれな男は、有言不実行。会わせたことはないけれど、ここまで理解していれば十分。わたしが発する言葉は、「そうね」これだけでいい。


 時には三3か月ももたずに卓也の秘書たちは辞めていく。悪びれもせずに「他にも女がいるってばれた」と笑う男を最低だと思いながらも、わたしは男の腕の中。


 自分の中の隙間を埋めたいだけ。その隙間の正体もわからないのに、ただ埋めたくて、その腕の中に落ちていく。重ねれば重ねるほどに虚しくなることはわかっているのに。


「綾乃さん? ハワイ、どうするんですか?」


 ふと顔を上げた先、目の前には栞ちゃんの顔。横に視線をずらせば、自分のパソコンがある。その中にはわたしの数年間のデータが詰まっている。


「せっかくの退職祝いなのに」


 栞ちゃんのその一言が、胸の奥の小さな(とげ)に触れた。そう、今日はわたしの退職日。人生の区切りの日だ。それなのに、わたしはまた、あの男の都合で惨めな思いをするのか。


(……嫌だ。今回だけは)


 携帯電話を握りしめる手に、じわりと力がこもる。プラスチックがきしむ音が静かなオフィスに響いた。


「栞ちゃん、わたし——」


 顔を上げる。自分でも驚くほど、声は震えていなかった。


「一人で行ってくる」


 返事なんて待たずに、送信ボタンを押す。画面が暗転し、自分の顔が映り込んだ。 その表情は、久しぶりに少しだけ、生きているように見えた。


 デスクの上のすべてをバッグに詰め込むと、ヒールの音も高らかに、栞ちゃんと一緒にオフィスを後にした。

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