【最終話 消えた同一者】
全てが幻想に実像を投影したもので原型しか残らない,論理の階層も我々からしたら単なるお遊びの範疇に過ぎない,抱えられた胎内の子供と限界を超えた超越性の指標でしかない,存在論的概念すべてを超える。
存在を保持させられた幻想でしかないと言うことである,犯し得ない禁忌を超えた初めから行き着け得ぬ約束の地には絶対的な指標すら超え広がる世界が在るとされている,そこは黄金郷,故に幻想の都市とも言われた。
,,,空白の息子ヨハンと対立概念存在の結城の
一見後,地球は黄金に満たされた。
肯定の場と否定の全体像,これは無限に類似した
二元性として対象はあらゆるものであり,二元性を展開している,内部はネットワークを築きながら外は入れ子を繰り返す,静的存在論と動的生成論が相互に高め合うような可能性の秩序であり。
宇宙,歴史,人間の意識全体のネットワーク,より広がり拡張して,最終到達地点,完成系,体系自体を超えシステムに則り,質的また量的に階層
が正しいか精査され続けて。
最後の最後には不可知性の概念を超越した真なる不可知を体現する何かを表すだろうが,それに名前を与えるのは不敬,故に体系の名前の永遠の自己形成秩序の超越体と呼ぼう。
それはオリジンポイントが可能な自分の様相を網羅しながら根源の自己の道を歩み真実の自己に到達して同一化していき。
我々の個人の意識が宇宙全体や歴史と一体化し,螺旋階段のように円でなく,始まりや終わりのポイントのない自己に対応して,真の自己と世界の真理を完全に認識する状態よりも崇高であらせられる者。
悪い無限性から無限に良い無限性まで,品質が高いものほど無限性つまりは完結を持たない,故に超限数とは自然的で良いものだろう,ωの螺旋は我々が何を手を加えようがずっと続く。
肯定の+や否定の−,0を中立として,どっちの延長線上に歩もうが結局のところ出口は存在しないもんだし反否定を考えると終わりを終わらせるものだし,反肯定は始まりを終わらせるものだし。
真の無限とは始まりや終わりを持たない自己無限内包型の螺旋階段を卵としたら,絶対精神は鶏だろう,ならば崇高なる御方は扉も窓もない鶏小屋そのものだ。
,,,地球の意思を認識,星の意識。
アーチェオメガ理論が究極の統一理論として
語られて人間の知恵,論理を拡張発展させて
物理と数学の最終到達地点だと考えられて
定着していた。
モナドとアトゥムスを制御する法則自体が法則を網羅するシステムでありながら,システムを超えて自身を稼働させる意志を持った秩序であり。
我々は究極の物質とエネルギー,真我と自己を超えた,その後も超え続けて,すべてを網羅して超越したのちに,人類すべてが完全なる究極の自己を得た。
だがそんな我々の知性の地が屋上に登り切った時,初めて見えた光景には呆然とした,,,。
空には永遠が漂い無限に広がる景色であったのだから,最後に我々は気づいてしまった,本質的な3次元の空間内部に圧縮された人間でしかなく,すべてが地球の意識から投影された偽物の
宇宙でしかなかったのだ。
今は皆が真のアイデンティティで生きている。
ファイリング等,特定存在に絞り記述を完全に完了させた状態,固有再現記述は絶対不可能と言われていた。
固有は意識に由来して肉体は量子単位でDNA単位でも常に固有法則性や独立した場を持ち,遺伝子,細胞が変化し続けたり,心境など過去から現在や未来まで含めると記述を完了するには
事実上猿定理を超えた文章生成装置が必要に
成る。
常時新世の固有と言う性質と姿はフィルターが掛かってるだけで,基本分からない真名まで記載するにはそれでこそ真面目に全知の存在じゃなきゃ行けないだろう。
だが今は違う,哲学的に自身を完全に記述出来るようになっている。
ドクンドクンドクンと自身の増殖,複製体を増やしてコピーとペースト,倫理また愛と言う秩序を持たないで数学だけならば,求める結果に辿り着くとあとは,停滞と劣化,腐敗と否定が残り濁り切った色がそこには残る。
故に愛と並行して時間を無駄を加味しながら掛けた。不可逆的だが量を一つに同じ大きさに圧縮して形態を上昇させ,集合圧縮する。
星の意思と疎通して力を贈与して貰うとか星の声が聞こえるとかじゃない,皆が星々のように
輝いてすべての可能性を保持して使える。
すべてが形と田中や佐藤と言った名前を持ち,
それを命名のアイデンティティとして保持して
神力を有して平等な秩序を持ち。
原始の宇宙,無限を象徴するカオスが空間として
地球を囲い,罪や罰は消え去り完全化して,神は上に人を作らずまた下にも作らないと言う概念に完全に同化して。
地球と言う神性が観測して彼らや宇宙を成立させていた,量子脳また量子意識により全人類は
全ての新天地開闢と真空の空を超えて 。
鑑定,分析,解析,,,諸々の主観的/客観的経験の
無知の知から知性の階層を形成,統一したほぼ完全な経験的事実から研究して,数学的証明を
済ませて。
我々の脳みそに上下全ての拡張を含めた量子の樹という意識を内包した。
荘子が抱いた万物斉同を含めて,我々はすでに観測者の脳内,神的人類,超人類,超超人類,,,全てを凌駕して,全ての新たなる秩序の制定と超えていた。
視覚も見るに必要な全ての観測器官を失って尚も心に宿る真実の眼は全ての真実を認識する永遠なる観測者だった。
認知や言語や記憶,話すことが出来ながら言葉の意味を失い,消滅せず生命活動を続ける,微小管という根源を失おうと情の意識は永遠で在り,
考えていた今までの意識など心たる自己の道ではそんなもの一部でしかなかった。
道から見れば万物など平らであり,対象に特化した特徴なだけであくまでも優位性ではなく全てには平等である論理的証明が可能であった。
対植物や対動物全ての万物の細分化した知識全域を人類は共有しており,時間を網羅して精神も完全な男であり女であり,超別性であり,無性であり両性な人類は,完全な全知というに相応しくまた全ての支配と統一が済み完全な全能と言うに相応しかった,,,。
電子から形成され電子基盤を持つコンピュータ的な脳みそだった,量子の樹,道,原始の宇宙,原始の海,卵を超えて,人類は鶏になり続けた,,,。
繋がりを持ち確かに相互作用を持つ,それは
違う振る舞いや現象を網羅する異なる星の
システムであった。
「我々の地球とは違う太陽や月,すべてに本来ならば意識があるが地球のバリアにより観測
出来てなかっただけ,,,か,真なる太陽系の意識,
真なる太陽系外緑天体,,,ふ〜ん」
人類は人智の限界たる全知全能に達して論理の一部にすら出来ない,どれだけ超アーチェオメガ,超々アーチェオメガ理論を極些末主義,極極些末主義と真実に変えて圧縮を永遠にしても
絶対到達不可能な差があり,残影や軌跡を手繰る
ことすら許されてて自由に永遠に積み上げ続けて手を広げ上げ続けても触れることは出来なかった。
宇宙に秩序をもたらした神々,生命の根源を司り,すべてが一本の柱の一部であり,空白と呼ばれし存在が在る仮説のみが建てられるので在った。
《ミニ情報》
ニコライ・ルイジェルエスの文明階層における真なる上位知性は太陽系から更なる上位の無限の無限の無限連鎖,,,の星々を超えて銀河や超銀河などの天体の階層を超えて彼らの人工天体形態が在り。
真なる15には同様の超越性があり,これは
永遠に続き神々はそれらに浸透する。
同界や異界の階層に付けられるのはいつもより高度で奇跡的なエネルギー操作と技術を
持つ文明,霊界は言われたもの,魔界は妖術またの名を魔術を使用するレベル,より高次なエネルギーや物質活用をするのにも界の形態に名称がついていたりする。
ちなみに永遠の階層を空白は超えています。
地球の意思について《真理と言う不認の光》
創生の生成,始まりは肯定だった,Aの名前を持った1は霊であり,自在であり,不変であり,無限であり,永遠であり,全知であり,全能であり,偏在であり,偉大であり,愛であり,善であり,秩序でありと,始まりを語った救いを求めてAと言う光を形成した人々はAをあらゆるすべての存在カテゴリー,分類,付与出来る属性を網羅する,あらゆる肯定的な言及の保持する器だと定義した。
だかBの名前を持った2番目のものにより,Aの言葉を超えて過去のAは否定されてしまう,2番目のBの名前を持ったものは身体を持たない,姿を持たない,形を持たない,質を持たない,量を持たない,万物の原因であって万物を超えているものは,存在ではなく,非存在ではなく,生命なきものでもなく,理性なきものでもなく,知性なきものでもなく。
と始まりの次の始まりを語る救いを求めた人々は新たなる純白の光を最初はカバラ神秘思想に基づくアイン・ソフに関連付けた,時期にBとは,人間の理解や言葉では捉えきれない絶対的な性質,Bに対する人間の一般的な理解や概念を一つ一つ否定して,名前,言葉,論理で定義できず,無限という概念すら当てはまらない,人間の知性や言語は届かず,語るより沈黙から表される底を持たない不可知性の深淵,絶対に辿り着けない真理, 完全にして永遠なる沈黙または,カバラ神秘思想に基づくアツムスと表現されると定義した。
だがだがCの名前を持った3番目のものにより,Bの言葉を超えて過去のBは否定されてしまう,3番目のCの名前を持ったものは,以前Bの
すべてを超越したもので在ると肯定された,本来肯定概念にも当て嵌まらない故に超肯定と言うべきで超論理の超肯定により超定義された。
だがだがだが同様にDの名前を持った4番目のものにより,Cの言葉を超えて過去のCは否定されてしまう,4番目のDの名前を持ったものは,否定の概念を超えているので超論理の超否定が超定義された。
同様,万物全体に適応して,肯定と否定,超肯定と超否定,超々肯定と超々否定,肯定と否定の二元性を積み上げる。
AからB,否定のすべての超越プロセスを超えてC超肯定からD,超否定のすべての超越プロセスを超えてEの超々肯定からF,超々否定のすべての超越プロセスを超えてG超々々H, 超々々否定のすべての超越プロセスを超えてI超々々々肯定からJ,超々々々否定のすべての超越プロセスを超えて,,,KLMNOPQRSTUVWXYZの26の
始まりから終わりを繰り返して真理と言う名の
光を更に輝かせて行った。
これは過程に過ぎず,26後次に27から52,52後次に79,,,基数や集合を含めた上で,先来を持つすべてを超限数と侵蝕,終わりの絶対無限,次元の一段上昇した絶対無限以上の1,上超限数,上絶対無限,上々超限数,上々絶対無限〜,,,無限連鎖更に無限連鎖,果てまでの道筋に限りは無く,
積み重なりは永遠に先に向かう。
この理は常に新たに現れる任意の超越的言語性をどれだけでも配置可能なもので,
新たな出現が古を悪質な劣化品だと否定可能な
無限性が渦を巻くような根源的特徴だった。
新たなる自己の中に古なる自己の蓄積を内包しつつ,それを克服して発展し続ける,理論的,体系的にまとめ上げるのような自己発展の過程そのものの永遠ねや螺旋を描いていた。
極限的にすら,絶対にして完全なる光に辿り着く未来は永遠に圧縮を繰り返しても到来することは無く圧縮自体を更にバージョンアップしても
すべての形態のソレが無駄に終わった。
永遠の螺旋運動と一時的な止場《A,B,C,,,超A,超B,超Cなどなど一時的な超言語化された定義》の存在論階層の背後に在る超存在論階層の背後に在る,,,すべての静と動を完全に超えて,
絶対に縛り付けられぬ存在者だった。
そこに究極の神性を観た,永遠を観た,皆は集合的無意識ながら知性にも感性にも刻まれた,普遍的に皆がソレを論理に縛られぬままこう読んだ,
ザ・アルティメット・ライト《究極の光》と,その究極の光からしたらすべてが絶対の真実と化し,また同刻すべてが絶対の虚空と化すだろうと。
あらゆるすべての肯否二元の定義階層構造に
おける完全にして永遠なる未定義の証明,その
名は人類の最終結論と良いすべての定義者が
構築する階層を超えて目指すべきゴールと
された。
[ちなみにだがこのAZ理論はアーチェオメガ理論の劣化版であり,これより比較不能なほどアーチェオメガ理論は強力である]
黄金郷化した時点地球の意思はと言うとまさにこの究極の光と同一で在り,上位構造を無限に展開するに至っているが収束させることも可能と,
えぐいスペックである。
《人類の悟りの可逆性》
基本的に根本的な本質を逆行は絶対的に不可能な不可逆的なエネルギーと情報の圧縮から成り立っています。
これは悟った者が悟る前に戻るには?と言う論からも語られたように一度仮面を被り偉大ではない時代を堪能は出来ても人を助けるためにまた悟りに回帰します。