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なんとか残った外様の小大名の話(歴史雑談)  作者: 伊丹 美鈴


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第7話は讃岐国丸亀藩 京極家です

 第7話は京極家です。近江国の佐々木源氏の一族が戦国時代に内部抗争と国人領主の台頭で領地を失ったものの、復活する話です。

 京極家のルーツはというと、近江国佐々木源氏です。平安時代中頃に宇多源氏の一族で近江国蒲生郡佐々木庄に下向した源成頼さんです。さらに、鎌倉時代に北近江6郡と京都の京極高辻の館を継いだ氏信さんの一族が京極氏と呼ばれるようになります。

 足利尊氏に仕えた佐々木道誉(京極高氏)さんが、数か国の守護を兼務し四職になる等活躍したのが有名です。

 戦国時代になりますと、京極氏は内部抗争と国人領主の台頭で衰退します。京極高吉(高次の父)と兄の高延との家督争いが起きますが、高延には浅井亮政らの国人領主の支持があり高吉は敗れてしまい、近江国から追放されます。しかし、その後今度は兄の高延も追放されます。

 その後、高吉は北近江に迎えられます。浅井久政の娘(京極マリア)を妻に迎えます。しかし、浅井氏の傀儡であったため、再び近江を離れます。

 永禄3年(1560年)、高吉は六角氏と結んで浅井賢政(後の長政)に対して挙兵するも敗れます。その後は、足利義昭の将軍擁立に尽力するものの、義昭さんと信長さんが対立するようになると子の高次を人質として信長に差し出し、隠居します。、

 京極高次は、織田信長の人質となった後、信長に仕えるようになります。

 天正10年(1582年)に本能寺の変が起きると、京極高次は明智光秀の足利幕府復活・守護の復権に呼応して、羽柴秀吉の居城である近江長浜城を攻めます。しかし、山崎の戦いで光秀が負けると秀吉さんに追われる身となります。柴田勝家を頼って越前に逃れるも賤ヶ岳の戦いで勝家さんも敗死してしまいます。

 しかし、妹の竜子が秀吉の側室になり、竜子の嘆願により許されます。その後、秀吉に仕えるようになります。近江高島城2500石を皮切りに、大溝城1万石、近江八幡山城2万8千石、近江大津城6万石と加増されていきます。

 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、大津城に籠城して東軍として戦います。毛利元康、立花宗茂、小早川秀包等の軍勢に攻められ、降伏します。一命は助かったたものの高野山へ蟄居します。しかし関ヶ原本戦で東軍が勝利したため、高次の軍功(西軍を足止めし、関ヶ原本戦に間に合わせなかった)ことが評価されて、若狭一国8万5千石に加増転封されます。さらに近江高島7100石が加増されます。高次は小浜城の築城や城下町の整備に着手します。慶長14年(1609年)に亡くなります。

  その後の京極家ですが、高次の嫡男忠高は大坂の陣で外堀を埋める工事奉行を務めます。その功績や徳川秀忠の四女初姫を正室に迎えた関係が考慮され、出雲・隠岐2か国松江藩26万石に加増移封します。しかし、忠高も嗣子なく亡くなったため改易の危機を迎えますが、これまでの武功等が考慮されまして、減知となり、甥の高和が播磨龍野藩6万石を与えられ京極家は残ります。その後、讃岐丸亀6万石に国替えとなり、明治維新まで続きます。


 京極家がなんとか残ったのは、浅井氏が旧主の命までは取らず、長浜城を攻めた時も竜子さんのおかげで秀吉さんに許され、大津城の戦いで開城・降伏した時も立花宗茂の配慮で一命を助けられたりと不思議な力が働いているような感じです。第7話はこれで終わりです。では、また第8話でお会いしましょう。

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