第13話は来島家(久留島家)です
第13話は来島家(久留島家)です。来島家は村上水軍の一族で、戦国時代の通総さんの時に村上氏から来島氏に、江戸時代に入って通春さんの時に久留島氏に改めています。今回は、来島通総さんと来島長親さんの話です。
瀬戸内海の芸予諸島で活動していた村上水軍は、能島村上家、因島村上家、来島村上家の三家に大きく分かれます。戦国時代に入りますと、能島村上家は大内家、因島村上家は小早川家、来島村上家は河野家とそれぞれ大名家と結びつくようになります。
村上通康は、河野家から正室を迎えており、河野家の重臣を務めていました。また、通康の娘が毛利元就の四男である穂井田元清の正室に入るなど、毛利家とも縁戚関係となっています。
村上通総(後の来島通総)は、永禄4年(1561年)に村上通康の四男として生まれています。永禄10年(1567年)に父通康が亡くなると家督を継ぎ、来島城主となります。
村上通総は天正9年(1581年)に中国地方への勢力拡大を図る織田信長の家臣である羽柴秀吉の調略を受け、翌天正10年(1582年)主家である河野氏より離反します。当時河野氏と毛利氏は同盟関係にあり、村上通総は毛利氏の命令で能島村上氏等の水軍衆から攻撃を受けることになり、天正11年(1583年)来島城は落城し、村上通総は秀吉を頼って、逃げます。
本能寺の変の後、羽柴秀吉が台頭してくると、秀吉さんと毛利家は和睦します。秀吉さんから毛利家に対しての依頼で村上通総に旧領が返還されます。このころ、姓を村上から来島に改めています。
天正13年(1585年)秀吉による四国征伐では、伊予方面担当の小早川隆景の指揮下で参陣しており、論功行賞で伊予国風早郡1万4千石の大名となります。
その後、天正15年(1587年)の九州征伐や天正18年(1590年)の小田原征伐に従軍します。
慶長2年(1597年)からの慶長の役に従軍しますが、鳴梁海戦で李舜臣(隣国では救国の英雄といわれています)率いる朝鮮水軍との会戦で大敗し、戦死します。
来島長親は父来島通総の死により、家督を継ぎます。そして、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍に付きます。しかし、西軍が負けたため所領没収で流浪の身となります。
その後、妻の伯父である福島正則の取りなしで徳川家の重臣である本多正信に働きかけ、慶長6年(1601年)豊後国森に1万4千石が与えられます。幕府成立後、森藩初代藩主となります。
2代目来島通春の時に姓を来島から久留島に改めます。その後、久留島家の森藩は明治維新まで続きます。
これはあくまで筆者個人の感想ですが、来島通総さんは天下の情勢を判断して秀吉さんに寝返ったのですが、そのため一族から攻撃されてしまいます。また、秀吉さんと毛利家が和睦したため旧領に復帰し、大名にもなれたのですが、そのため朝鮮の海で戦死してしまいました。少し悲しいものを感じました。
これで、第13話は終わりです。また、第14話でお会いしましょう。




