第9話は 播磨国 赤穂藩 森家です
第9話は最終的に播磨国の赤穂藩となった森家のお話です。織田信長に仕えた森可成、森長可、森成利(蘭丸)が有名ですが、彼らは3人とも戦死しています。彼らの死後、森家はどうなっていったのかというお話です。
森家は、源義家の六男で相模国森荘に住した源義隆の子孫と称しています。そして、戦国時代に美濃国に土着した一族が土岐氏の被官となります。しかし、土岐頼芸が斎藤道三に美濃国から追放される頃、森可行(森可成の父)は、尾張国の織田信秀(織田信長の父)と誼を通じて、織田家に仕えることになります。
森可成は、織田信長に仕え、尾張国内の清須城攻め(織田信友を討つ)、稲生の戦い、浮野の戦い、桶狭間の戦いなどに参加しています。また、美濃攻略戦の功績により、永禄8年(1565年)に美濃金山城を与えられています。その後、近江宇佐山城も与えられています。姉川の戦いの後、織田軍が本願寺との戦い(野田・福島の戦い)で釘付けになっている隙をついて、浅井・朝倉連合軍は琵琶湖の西側を南下して、宇佐山城を攻撃してきます。森可成は、この宇佐山城の戦い(志賀の陣)で討死します。
森長可は、父可成の死去に伴い、家督を継ぎます。伊勢長島一揆鎮圧、長篠の戦い、甲州征伐等に従軍します。そして、信濃国海津城20万7900石を与えられます。この時、美濃国金山5万石は弟の成利(蘭丸)に与えられます。しかし、天正10年(1582年)の本能寺の変で織田信長と成利(蘭丸)・長隆(坊丸)・長氏(力丸)も討死します。旧武田領においては、周辺大名及び真田氏等国衆による領地争奪戦が起こります(天正壬午の乱)。長可は信濃国から撤退し、美濃国に戻ります。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いに羽柴秀吉軍として参加し、戦死します。
森長可の戦死を受けて、弟の森忠政が兄の遺領美濃金山の領地を相続します。その後、慶長5年(1600年)信濃川中島に移封します。関ヶ原の戦いでは、東軍として参加します。戦後の論功行賞により、美作国津山18万6500石に加増移封されます。森忠政の男子3人は早世したため、重臣の関盛次の長男長継を養嗣子として迎えます。
元禄10年(1697年)第5代藩主森衆利が、将軍に拝謁のため江戸へ向かう途中に失心したため、津山藩は一旦改易となります。その後、隠居の元藩主(2代目)の長継に隠居料備中国西江原2万石が改めて認められて、森家は存続を許されます。そして、宝永3年(1706年)西江原藩2代目藩主長直の時に播磨国赤穂藩2万石に移封します。赤穂藩というと浅野家のイメージが強いのですが、浅野家が改易となった後は、永井家が5年、森家が165年治めていました。
津山藩第5代藩主の森衆利の失心というのは、生類憐みの令が発布された時に、江戸中野村に広大な犬小屋の普請総奉行を森家が命令されていて、犬小屋で浪人が犬を殺す事件の責任を取って家臣が切腹した事件について不満を漏らしたことが幕政を批判したとされたのですが、本人の精神がおかしいことにされてしまったようです。そんな事で改易になるとは、気の毒な話ですね。
第9話はこれで終わりです。では、また第10話でお会いしましょう。




