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なんとか残った外様の小大名の話(歴史雑談)  作者: 伊丹 美鈴


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戦国時代のマイナーなお話です

はじめに

 戦国時代の大河ドラマや小説等では、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康といった三英傑や武田信玄・上杉謙信といったメジャーな大名が取り上げられることが多い。なので、どうしても主人公の立場で物事を見てしまっている。

 今回、取り上げるのは戦国時代をなんとか生き抜いて、江戸時代に小大名として残った武将・大名家のお話です。有名な大名家でも僅かな領地に減らされていたり、信長さんや秀吉さんに仕えて少ない石高といえ大名として残った方々です。そういう方々を取り上げて、もしあの時この事件が起こらなかったら等考えて、個人の感想を雑談風に書いてみたいと思います。興味があればおつきあいください。


 

 第1話 丹波柏原藩 織田家

 第1話なので、超有名な方の一族のお話からはじめていきたいと思います。丹波国にあった柏原藩の話です。現在の兵庫県丹波市柏原です。筆者は、兵庫県在住なので、史跡を見に行きました。JR福知山線で柏原駅で降りて、徒歩10分ぐらいのところに、柏原陣屋跡、織田神社、柏原歴史民俗資料館がこじんまりとあります。

 柏原藩の歴史ですが、第1次と第2次があります。第1次は織田信長の弟である織田信包さんが慶長3年(1598年)に配置されたのが始まりです。信包さんがどういう方かというと、武功ではあまり目立ったものがないのですが、信長さんの伊勢侵攻の際に長野氏の養子になっています。戦国時代にあるお家のっとりの手法ですね。その後、織田姓に復しています。信長さんからは伊勢安濃津15万石の領地を与えられており、それなりの地位にはあった方です。しかし、本能寺の変が起きて、その後秀吉さんが天下人となると、小田原攻めで秀吉さんに意見をしたことで、怒りを買ってしまいます。伊勢の領地は取り上げられますが、しばらくして柏原3万6千石の領地となります。信包さんは慶長5年の関ヶ原の戦いでは西軍の丹後田辺城攻めに参加します。領地が丹波だったので、周囲に合わせて仕方なくだと思われます。本来ならば、改易になるところでしたが、許されて領地もそのままです。信包さんは慶長19年の大坂冬の陣の前に亡くなっています。その後信則、信勝と続きますが、信勝さんが慶安3年(1650年)に嗣子なくして死去したため、廃藩となります。

 第2次は、元禄8年(1695年)、信長の次男である信雄さんの五男高長さんから始まる大和宇陀藩の織田信休さんが2万石の転封でやってきます。信休の父である織田信武さんが、家臣を殺して自らも自害するという「宇陀崩れ」を起こしたために減移封されたものです。

 その後は、途中で養子を迎えたりしながら明治維新まで10代続いています。柏原藩は財政窮乏に苦しんでいたようで、百姓一揆や打ち壊し騒動が起きたりしています。

 

まとめ(個人の感想)

 本能寺の変がなかったら、織田政権ができていて、信包さんも信雄さんも徳川御三家の50万石クラスの大名になってたんだろうなと思うと、残った織田家の方々は苦労されたんだなと思ってしまいました。

 これで、第1話は終わりです。では、また第2話でお会いしましょう。

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