7.幸せになるのでお構いなく!
最終話です!
「少しだけ、じっとしていてくださいね」
翳した掌に膨大な神聖力が宿る。
ルーウェンが荒れる感情に任せて打ち付け傷ついた額が、たちまち癒えていく。
流れた血の汚れさえ拭い去られ、跡形もなく消え去った。
クロエはようやく心残りが解消できて、満面の笑みを浮かべる。
「………神聖力? どう………え………? 聖女、なのか………?」
「ふふ。『聖女』じゃなくて『魔女』、らしいですよ?」
起きていることを上手く飲み込めず呆然としているルーウェンに構わず、クロエはさっさと立ち上がる。
瞬間、目眩がしてよろめいたが、スカートについた土埃をぱたぱたと払ってみせることで誤魔化した。
「ふぅ。さて、わたしはそろそろ行きますね。あまり長い時間とどまっていると捕まってしまうかもしれないので」
「捕まる? ……教会に?」
「教会? いいえ。実はわたし、娼館から逃げ出してきたばかりの娼婦なんです」
「………は? 娼婦? ………娼婦⁈ お前がか?」
「ええ、ほら」
肩から掛けていた派手なカーテン生地をはらりと広げてみせると、ルーウェンは噴き出しながら目を剥いた。
「バッ………お前、ガキのくせになんて恰好してやがる! とっとと仕舞え!」
「失礼ですね。好きでこんな格好してるわけないでしょう? 他に着替えも見当たらなかったし、急いでいたから仕方がなかったんです。だから追手がかかる前に、もう少し距離を稼いでおかないと。というわけで」
ルーウェンに、聖女クロエの守護騎士だった人に、別れの笑顔を向ける。
「それじゃ、守護騎士様もどうかお元………うぎゃ⁈」
お元気で、と言い残して立ち去ろうとした瞬間、ルーウェンが唐突にクロエをひょいと抱え上げた。
「ちょっ⁈ なんです⁈ わたしを娼館に突き出すんですか⁈」
「そんなわけあるか」
「じゃ、じゃあ誘拐⁈ 拉致監禁⁈」
「違う! ……お前、行く宛はあるのか?」
「え?」
「身を寄せる場所は決まっているのかと聞いている」
「いえ、それは……特に?」
「なら問題ないな」
ルーウェンは勝手に納得し、スタスタと歩き出した。
(さっきまで立ち上がれないほど無気力だったのに、どういうこと⁈)
あわあわと腕の中でクロエが暴れてもルーウェンはビクともしない。
「まずはその服どうにかするぞ。それと……お前、ちょっと軽すぎるぞ。飯食ってるのか?」
「え、ご飯?」
迫力のある顔でじろりと睨まれて思わず目が泳ぐ。
聖女クロエが二日ほど食事を与えられていなかったのは確かだが、さすがにこの身体の食事事情までは把握していない。
今、空腹感があるのかないのかもよくわからない。
ただ喉が渇きすぎているのは確かで、おまけにひどく身体が怠かった。
「お前……いつ食べたか覚えがないって顔に見えるんだが」
(おや、鋭い)
クロエはへらりと笑った。
「笑って誤魔化すんじゃねぇ。……顔色も悪い。さっき立ちくらみを起こしていただろう。さっさと行くぞ」
しっかりバレていたようだ。
ルーウェンはクロエを抱き上げたまま、不機嫌そうにズカズカと大股で歩いて行く。
(なんだろう。すごく………心地良い)
雑なようでいて、ルーウェンの抱き上げ方はとても優しく慎重だった。
壊れやすい大切な宝物を腕に抱えているかのように。
クロエは歩き続けるルーウェンの腕の中で力を抜き、ほうっと息をついた。
見に覚えのない罪を着せられてからずっと張り詰めていたものがほろほろと解けて、瞬く間に夢と現の境目が曖昧になる。
「………名前」
「………?」
「お前の名前、聞いてなかった」
「……………ま…え………」
深い声に微睡み始めた意識を揺り戻され、そこに柘榴色の瞳を見つけてクロエはふにゃりと笑った。
「…………あな、たの、なま……は、ルーくん、でしょ………?」
「……………………!」
ルーウェンの驚愕を置き去りにしてクロエは束の間の眠りに落ちる。
泣き笑いの顔で呟いた彼の言葉は、彼女の耳には届かない。
「……っ………。あとで全部聞かせてもらいますよ……クロエ様…………」
もうこの場所に、振り返るべきものは残されていなかった。
まだ何色にも染まっていない未来は輝くばかり。
かくして、教会に断罪された影の聖女と教会を見限った守護騎士は、古き柵を捨て去り新天地を求めて、ともに旅立った。
******
大罪人が処刑されたにもかかわらず、聖女ジュスティーヌの神聖力は発現からわずか一年で完全消失した。
ジュスティーヌは容姿だけを見ても十分に美しい。
しかし神聖力の宿った彼女の蕩けるような『声』には惹かれても、『話の内容』には特別な魅力があったわけではなかったと気づいた一部の者たちは、悪夢から覚めたように徐々にジュスティーヌから離れていった。
やがて盛大な婚約式を行った王太子との不仲が囁かれるようになると、聖女と教会に対する不信は徐々に国全体に広がっていった。
また、教義を無視するような言動が目立ち始めた教皇が資質を疑問視され早期退位の可能性が高まると、有力な枢機卿たちは次期教皇の座を競って暗躍を始めたが、奇妙なことに彼らは彼らで情緒に落ち着きがなく、不用意な失態を繰り返した。
ついにある日、雲ひとつない空に轟音とともに幾筋もの雷が落とされ、美しかった教会の鐘が尖塔ごと真っ黒に変色した。
それを見た人々がようやく、かつて行われた聖女クロエ処刑の正当性に疑問を抱き始めたが……。
ーーーもう関係ないので、どうぞお構いなくーーー
その頃、遠く離れた国で旅を続ける黄金色の瞳のお気楽な魔女は、おかしな小鳥の形に造形された聖なる銀製の首飾りをかけたアッシュグレイの髪の男性を見上げ、幸せいっぱいに微笑んだのだとか。
《完》
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守野ヨル