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6.まじょのかんがえたさいきょうののろい?



 後ろ手をついてルーウェンは気怠げに笑った。


「欲しけりゃやる。まあ、持っていたところでなんの益にもならないだろうがな」

「後悔しない?」

「………後悔なら、もうしてるさ」

「………………」


 彼がこれほど荒れている様子を見せるのは初めてで、クロエは少なからず戸惑いを覚える。


 ルーウェンの足元へ手を伸ばすと、彼は無言で足を退けた。

 クロエは踏まれていた聖証を拾い上げ、軽く土埃を払う。


 ブーツで勢いよく踏みつけられたはずの聖証はどこにも歪みがなく、変わらない美しい造形を保っている。

 生半可な衝撃では聖なる銀(ミスリル)を傷つけることができないのだ。

 まるで教会の権威の強固さを見るようで、クロエは思わず苦笑を浮かべる。


 そんなクロエをいつの間にか見ていたルーウェンが、唐突にぽつりと呟いた。


「目」

「? め?」

「目の色………お前の。………珍しいな」

「……ああ。目、ですか」


 言われて無意識に目元に手を置き、思い出した。

 この身体の容姿は地味な聖女クロエとなにひとつ似たところがなかったが、不思議なことに目だけは元のクロエの色を引き継いだのだ。


「確かに、そうかもしれませんね」

「俺は他にひとりしか知らない。だから………見たときは驚いた。遺伝か?」

「さあ? どうでしょう。血縁者に会ったことがないので何とも………」

「………そうか、悪かったな。まあ、俺も似たようなもんだが」

「気にしていないので、大丈夫ですよ」


 ルーウェンは安易に境遇に踏み込んだことを率直に詫びたが、クロエも屈託のない笑みを返した。

 クロエはこれまで自分の血縁者についてあまり深く考えたことがない。

 幼い頃から教会で大人に囲まれて生活し、奉仕活動で孤児院の実態なども承知しているクロエは、いつか愛情深い血縁者が自分を迎えに来てくれるなどという幻想を抱くこともなかったからだ。


 ルーウェンは物憂げに溜め息をつき少し俯いた。

 額から流れた血が顎先から滴ったが、手で拭うこともしない。落ちた雫が白銀の制服に赤い染みを作っている。


「俺の知っていた唯一の黄金色の瞳は、教会にあった。だが………」


 ルーウェンはそれ以上を言葉にすることを躊躇い口を閉じた。ゆっくり振り返り、教会の尖塔を見上げる。

 さっきまで見えていた火葬の煙はいつの間にか消えていた。

 クロエが独り言のように呟く。


「………処刑された聖女?」

「………」


 ルーウェンは尖塔を見上げたまま、言葉を絞り出した。


「神聖力が盗まれたなんて話、俺などに真偽はわからん。だがそれでも………あの方が、自分の欲のために誰かを傷つけるような真似をなさったはずがない」


 ルーウェンは顔を歪めて笑った。


「それが、よりによって大罪人って………いったい何の冗談なんだ?」

「信じるの? 魔女として断罪された聖女の無実を」


 クロエに言葉を返そうとしたルーウェンは、一瞬苦しげに喉を震わせた。


「っ………ガキの頃、失明しかけてあの方の治癒を受けたことがある。俺は、その恩を返すために守護騎士になった。だが結局、肝心な時にこのザマだ………」


 振り返った柘榴色の瞳に滲んだものがひとしずく、血と混じって頬を滑り落ちた。


 クロエの心に、遠い昔の光景が鮮やかに蘇る。

 突然時間が遡ったような感覚に陥り、強い眩暈を覚えた。


(……まさか、()だったなんて………!)


 最後の孤児院の慰問で、クロエが治癒を施した柘榴色の瞳の男の子。

 あの少年が教会の守護騎士となってクロエのすぐ傍にいたなんて、考えたこともなかった。


「あの方は………クロエ様は、あんな風に死んでいい方じゃなかった………」


 それ以上は言葉にならず、ルーウェンは大きな手で目元を覆い身体を震わせる。

 クロエはその姿を見て、胸がぎゅうっと締め付けられたような気がした。


(誰も、信じなかったのに)


 誰にも届かなかったと思っていたのに。

 ここに、ひとりだけいた。

 大罪人と呼ばれたクロエの無実を信じ、死を悼んでくれる人が。


 処刑されてから凍りついていた心に、確かな温もりが生まれる。

 クロエが黄金色の瞳を細めてアッシュグレイの髪にそっと手を置くと、彼は少しだけ肩を揺らしたが振り払うことはしなかった。


「………聖女クロエは、こんな結末になるなんて思いもしなかったのよ。ただ聖女としてお勤めをこなしていただけで、それがまさか首を落とされることになるなんて」


 どこから間違えてしまったのだろう。

 なにがいけなかったのか、わからないまま。

 悔しい、と。

 無念だと。

 さっきまでは確かにそう思っていた。


 ルーウェンの想いを聞くまでは。


「ねえ、守護騎士様。聖女クロエは、復讐を望むと思う?」

「………なに?」

「彼女は自分を都合よく利用した相手を、ひどい目に遭わせたいって考えると思う?」

「…………いや……。どうだろうな………」


 ルーウェンは少し考え込んだあと首を振り、苦く笑った。


「俺なら間違いなく死んでも相手の首を掻き切ってやろうと考えるが。あの方は……そうは思わないかもな」

「ふふ、そう? あなたがそう言うのならそうなのかもね。……それじゃあ善良な聖女サマの代わりに、わたしが魔女っぽい復讐を考えてみるのはどう?」

「なんだと?」


 唐突に『魔女っぽい復讐』の提案を始めたクロエに、沈んでいたはずのルーウェンも気を削がれて唖然とする。


「んー……………よし! まずね、教皇様は一晩眠るごとに、三行ずつ大聖典の記述を忘れていく」

「はあ?」

「でね? 枢機卿猊下は毎朝目が覚めた瞬間に必ず、以前にあった嫌な思い出がひとつ頭に思い浮かぶの」

「………へえ」

「そして聖女ジュスティーヌは気を抜いていると時々、王太子殿下の名前を他の男性と呼び間違えてしまうの。 ………どう?」

「自信ありげにどうと言われても。………だがまあ、一生続くと考えると、意外と最悪か?………いや違う、そうじゃない」


 馬鹿馬鹿しく突拍子もない『魔女の呪い』を聞いてルーウェンは表情を少しだけ崩したが、あることに気づきはっと息を呑んだ。


「なぜお前は……そいつらが聖女クロエの復讐を受けるべき相手だと思うんだ?」


 真意を問う昏い瞳に、クロエは寂しげな笑みを向ける。


「………彼らは己の欲のために真実を曲げてしまったから、どんな形であれ、いずれは自らの行いを清算しなければならない時が来ると思うわ。だから………あなたももう、そんな顔をしないで」


 ルーウェンの血と土埃に汚れた痛々しい額をそっと撫で、クロエは手に神聖力を灯した。





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