4.死を見つめる魔女
凄惨だった刑場を思い返し、寂しい笑いが零れる。
広場でクロエに向かって石を投げた者たちの中には、見覚えのある姿もあった。
(確か、あのおじさんだった気がする。両足骨折の治癒で……初めはわたしが本当に聖女なのか疑ってたけど、きれいに治したらすごくビックリした顔でお礼を言ってくれた。………でももう、向こうはわたしのことなんて覚えていなかったのかもしれないね。それとも………覚えてたからこそ……だったのかなぁ)
クロエはやりきれない気持ちで目元を覆う。
教会にとって長年使い勝手の良い道具だった『聖女クロエ』は、空っぽになるまで利用し尽くされ、ついには不用品として処分されてしまった。
ここにいるのはもう聖女ではなく、かと言ってエルカナでもない。
(今のわたしは………いったい何なのかな?)
割れた鏡に映っているのはエルカナの姿だ。
しかし一か所だけ、元のエルカナと異なるところがある。
身体に残された記憶から読み取った彼女の瞳は明るい緑色だったはずだ。
けれど今鏡に映っている瞳は、とろりとした黄金色。
それは間違いなく、クロエ本来の色だった。
クロエは振り返って、閉ざされている部屋の扉を見つめる。
周囲は思ったより静かだ。まだ陽が高く、昼夜が逆転している娼婦たちは眠りについているのかもしれない。
だから、鏡が割れた音を誰にも咎められずにすんでいるのだろう。
しかしこのままここにいては、今夜客を取る羽目になるのはクロエだ。
窓から見える青空は明るく美しいが、窓枠には無粋な鉄柵がぎっちりと嵌め込まれている。
腕は通るが、頭は通らない。
侵入者防止ではなく、娼婦の逃亡防止のためだろう。
大きく三度深呼吸する。そして頬を両手でぺちぺちと軽く叩き、気力の萎えかかっていた己を叱咤する。
(さあ、まずはここから出ないとね!)
クロエは鉄柵に向かって真っすぐ手を伸ばした。
******
娼館からの脱出は、拍子抜けするほど難なく完了した。
窓枠にガッチリ固定された鉄柵に向かって「どうやって抜け出そう? ああ、これが飴みたいに溶けて曲がってくれたら頭が通るのに!」と文句を言いながらぎゅっと引っ張った途端に、本当に鉄柵がくにゃりと曲がったのだ。
呆気に取られてクロエは黄金色の瞳を真ん丸に見開いたが、長く考え込んで時間を無駄にすることはしなかった。
くにゃくにゃと自在に形を変える鉄柵だったものを窓辺から垂らし、神聖力を使ってコントロールしながら誰にも見つからずに裏通りへの脱出を為し遂げた。
ちなみに鉄柵はちゃんと元通りの形に戻しておいたから問題ない。
人目を避けながら黙々と道を歩いて娼館から遠ざかり、うらぶれた下町の区画から離れ、その後は逆に人混みに紛れるようにしてひたすら歩を進める。そうして二時間ほど歩き続けたところで、ようやくクロエは足を止めた。
石壁に背を預けズルズルと座り込み、深く息をつく。
体調が優れず疲労はかなりのものだったが、それでもどうにかここまで距離を稼ぐことができた。
「ふぅ、クラクラする。喉乾いたなぁ。お水が欲しい」
白い掌を翳すと、歩く間に少しずつ西へ傾き始めた陽光が指の隙間から眩しく差し込む。ずっと教会に籠って過ごしてきたから、壁に囲まれていない外の景色はずいぶん久しぶりだ。
(それにしても不思議。単に神聖力が戻っただけじゃなくて、金属の形を自在に帰られたり、歩いてる途中で折れちゃった靴のヒールを直せたり……色々わけがわからないわ)
クロエは折れたことなどないようにキレイにくっ付いているヒールを胡乱な目で見ながら、頭の片隅に埋もれていた知識を掘り起こす。
(昔読んだきりあんまり深く考えたことがなかったけど……もしかすると、大聖典の『不具合を修正する力』っていう言葉、こういう意味だったのかな………?)
『神聖力』と『治癒の力』はしばしば同義のように扱われるが、実際にそのような定義があるわけではない。
大聖典には神聖力についての詳細な記述はなく、ただ『神が無力な人間に施した慈悲』であり、『不具合を修正する力』であるとのみ記されている。
現在ではその『不具合』が『病や怪我』を、『修正』が『治癒』を指すという解釈が一般的となっている。
なぜなら、その解釈の範疇を越える事象はこれまで確認されていないからだ。
(けどこれがもっと………例えば人間じゃなくて、神の視点での『不具合』という意味なのだとしたら………?)
クロエの青白い顔から更に血の気が引く。
(いやいや! それはないかな! 神が創世のときに行使された力とか、そんなの人間が使えたら危なすぎるし、さすがにそれはない!)
恐ろしい発想の飛躍は早々に頭から追い出した。
とはいえ戻ってきた神聖力は桁外れに量が増えただけでなく、これまでの神聖力の解釈だけでは説明のつかない事象が起こっているのは間違いない。
「んー、そういえば………。十四、五歳って、神聖力の発現時期に相当するよね……?」
もしかするとエルカナは、潜在的に神聖力を持っていたのかもしれない。二人分の神聖力が一つの身体に納められることで、元々異質な面があったクロエの能力をさらに大きく変容させたと考えれば………。
そこまで考えて、クロエはふっと表情を曇らせた。
こんなことになる前にエルカナの神聖力が発現していたら、何か違っていただろうか。
しかし今となっては、教会に行くことがエルカナの幸せとなったのか自信は持てない。クロエはもう、長年の住処だったはずの教会が、己の利益のため冤罪を生むことを厭わない恐ろしい場所であることを知ってしまったから。
(教会が仇敵だなんて………ふふっ。もしかしなくてもわたし、名実ともに魔女になっちゃったかな)
娼館脱出時に拝借した派手な柄のカーテンをもう一度しっかり羽織り直して、露出度の高いワンピースの胸元を隠す。だいぶ奇妙な格好だが、替えの服がないから仕方がない。
「………は……。なんだか、疲れたな………」
溜め息を吐き、ほろ苦い笑みを浮かべる。
膝の上に置いた両腕に黒髪の頭を預け、目を瞑った。
神聖力を盗んだりしていない、むしろずっと譲り渡していたのにと心で叫んでも、猿轡を噛まされ言葉にすることは許されず、結局すべての汚名を負わされ教会の目論見通り首を落されてしまった。
それは確かに無念で、到底受け入れることなどできそうにない。
しかしクロエにとって、そのあと生き伸びてしまったことは奇跡というより事故のようなもので、死の間際に確かに感じた焼け付くような生への渇望も、今となっては死への恐怖とともにどこかへ消えてしまっていた。
エルカナの身体を粗末にはできないから娼館から脱出できたのはた幸いだったが、正直なところ、このあと生き続けるべきかさえ決めかねている。
クロエはゆっくり顔を上げ、目を逸らしていたものを視界に入れた。
低い建物が多い開けた場所に来たために、距離はあるが教会の尖塔の上部が見える。
気味が悪いほどの無風の中、細い煙が真っ直ぐ天に向かって立ち上っていた。
しきたりに従い、断罪された魔女の身体を火炙りにしているのだろう。
「まさか、自分が焼かれるのを見る日が来るなんてね………」
クロエは少しだけ笑い、唇を噛み締め、喉を震わせた。




