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3.虚飾の聖女



 変わり映えのしない日々が淡々と過ぎ、クロエが十九歳になったある日のこと。


「はじめまして、影の聖女様」


 枢機卿に伴われクロエの部屋を初めて訪れた女性は、ペールブルーの華やかなドレスの裾をつまみ、ふわりと貴族令嬢らしい優雅なカーテシーを見せた。


 プラチナブロンドに輝く髪と綺羅星のような青眼を併せ持つ美貌の伯爵令嬢ジュスティーヌは、能力の発現が通常よりやや遅く、今年十八歳を迎えてから新たに認定された聖女だ。


 備える神聖力の量こそ少ないが、ジュスティーヌが発現したのは『傷ついた人の心を癒す力』という珍しい能力なのだそうで、彼女と話せば荒れていた者も落ち着きを取り戻し、歌声を聴けば得も言われぬ安らぎを覚えるという。

 すでに社交界ではかなりの有名人で、彼女に恋焦がれアプローチする名家の男性も多いようだ。


 聖女は聖職者ではあるが、恋愛や結婚を禁じられてはいない。

 類稀な美貌と良家の血筋を兼ね備えた聖女ジュスティーヌの誕生は、教会がかねてから望んでいた、貴族社会、ひいては国政へより深く勢力を伸ばすための切り札となったのだ。


「神の御心をあまねく知らしめるため、影の聖女様の力をお借りしたいのです」


 ジュスティーヌは希望に満ちた眼差しで、やわらかく微笑む。


 抜群の知名度がありながら微弱な神聖力しかない彼女をクロエの神聖力で補い、『完璧な聖女』を作り出そうという計画。

 このような役割を果たすためにこそ十一年前表舞台から遠ざけられたのだと、クロエはなんとなく理解した。


「そういうことだ、影の聖女。君は表に出ることを苦手としているし、その役目を彼女が担ってくれるのなら君にとっても悪い話ではないはずだ。今後の聖女ジュスティーヌの功績と栄誉は、影の聖女のものでもあると言っても過言ではない。君の献身は、必ずや神の御心に適うだろう」


 大仰に頷く枢機卿の言葉に、クロエは黒いヴェールの奥で表情を変えなかったが、頬に手をあて小首を傾げた。


(わたしは別に、奉仕活動が苦手なわけではなかったんだけどな………。ただ、患者さんが抱いている『聖女は若くて美人』っていうイメージに沿うことができなくて、一方的にガッカリされてしまうってだけで。まあ、枢機卿にとってはどちらでも同じことなのかな)


 影の聖女と呼ばれるようになって上から「庶民のような言葉遣いは慎め」と注意され、畏まった言葉を遣いを使い慣れないクロエは自然と口数が減っていった。

 だから特に言葉を返さないクロエに構うことなく、枢機卿は満足顔でジュスティーヌに笑いかけている。 


 そしてクロエにはいつもと変わらず、命じられたことを引き受ける以外の選択肢はなかったのだ。




「いつもありがとう、影の聖女様。わたくし、今日もあなたの分まで頑張ってくるわね」


 ジュスティーヌは正式に聖女の称号を得てからも伯爵家に生活拠点を置き、清廉な祭服ではなく可憐なドレスを纏って、伯爵令嬢でありそして聖女でもある者として幅広く活躍している。

 クロエの力を受け取ったあと、手入れの行き届いた白魚のような手でクロエの手をきゅっと握り、ジュスティーヌは優しく微笑んだ。

 美しい彼女に真っ直ぐに見つめられ、眩しさに押されるようにこくりと頷く。


 幼い頃からクロエは自己顕示欲が希薄だ。だから自分の力が誰かの役に立ち、あるいは誰かを救うことに繋がるのなら、それがどんな方法でも構わなかった。

 それは敬虔な信仰心や崇高な思想などという大層なものではなく、言ってみればそれがクロエの性分というだけの話だ。


 しかし悠長に構えていたクロエの想像を超えて、ジュスティーヌの名声は日に日に高まっていった。

 社交場で大勢の貴族と談笑し、教会のミサで庶民を前に賛美歌を独唱し、心を癒す『完璧な聖女ジュスティーヌ』は身分を超えて人々を魅了した。


 そうして半年が経った頃、聖女ジュスティーヌと王太子が恋仲になり婚約も間近だという噂が流れ、喜ばしい話題に国中が大いに沸くこととなった。


 しかし―――。




「ジュスティーヌ様………ごめんなさい。どうしても付与が上手くいかなくて」


 クロエは申し訳なさでぺこりと頭を下げる。


 その頃から、これまでどの聖女よりも安定していたクロエの神聖力が揺らぎを見せ始めたのだ。

 自身の神聖力が徐々に弱まってきただけでなく、ジュスティーヌに力を分け与えることも難しくなっていった。


 無尽蔵に思えたクロエの神聖力にもついに減衰期が訪れたのだとその場にいた誰もが感じたが、それをはっきりと口に出して現実を直視しようとする者はいなかった。


 詫びるクロエにジュスティーヌは戸惑い表情を曇らせたが、「気にしないで。今は少し調子が悪いだけよ。きっとまたできるようになるわ」とクロエを励まし、気遣う微笑みを残して、不機嫌そうな枢機卿とともに部屋を出ていった。


 そんなことが幾度が繰り返された後、ある日を境に、ジュスティーヌや枢機卿だけでなく誰ひとりとしてクロエの部屋を訪れる者はいなくなった。



 そして。

 その日は突然訪れた。




 ―――未来の皇太子妃にして偉大なる大聖女ジュスティーヌから忌まわしき能力で神聖力を掠め取り、神と教会を冒涜した罪。

 不正に我がものとした神聖力を悪用し、国を転覆させようとした罪。

 以上を持って、()()クロエを公開斬首刑に処す―――




 神聖力が枯れ使い物にならなくなったクロエは、生贄となったのだ。

 教会上層部が企てた、ジュスティーヌの美貌とクロエの能力が前提条件だった『完璧な聖女』という偽りを清算するために。



 クロエの両手には神聖力を封じる重い手枷が幾重にも嵌められていた。

 こんなものがなくても神聖力が尽きかけているクロエが何もできないことを、教皇や枢機卿たちはわかっているはずだ。

 だからこれは、クロエはもう神聖力を使って悪さをすることはできないと人々に知らしめるために必要な演出なのだろう。


 なにも話せないように猿轡を噛まされ、屈強な守護騎士たちに引きずるようにして広場まで引き立てられる。


『ジュスティーヌ様を害した魔女に神罰を!』


『ああ……神聖力を盗むなんて、なんて穢らわしく恐ろしい所業だろう』


『薄汚い魔女め! とっとと死にやがれ!』


 いきり立った群衆から注がれる蔑み、嫌悪、憎悪の眼差しに思わず身が竦む。

 敬愛すべき聖女ジュスティーヌを傷つけた魔女を擁護するものなど皆無だ。

 どこからか飛んできた石が鈍い音を立てて脇腹にぶつかり、激痛が走る。

 再び投げ込まれた石は頭に当たって、一瞬意識が飛びかけた。


 どんなに叫んでも、どんなに縋っても、救いが現れることはない。

 神が気まぐれにクロエを見放したからではない。

 人間が、確かな悪意を持ってクロエを陥れたから。


 処刑台に上がるまでには、涙も気力も枯れ果てていた。



 教会前に設えられた特別席で、豪奢な衣装をまとった王太子らしき人物が怒りに満ちた眼差しでクロエを傲然と見下ろしていた。

 その隣で、神聖力を魔女に奪われた被害者である聖女ジュスティーヌは王太子の腕に縋り、星のような青い瞳からはらはらと悲しげに涙をこぼしている。


 王太子に大罪人クロエの減刑を懸命に願っているようにも見えるその姿は、あまりにも哀れで、儚げで、美しかった。



 しかしジュスティーヌの可憐な唇から、それは冤罪であるという言葉が出ることは、最後までなかったのだ。





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