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1.罪を騙る鐘

お立ち寄りいただきありがとうございます。




 ゴォン、ゴオオォォォォォ――――――ン………

 ゴォォン、ゴオオオォォォォ―――――――――ン……………



 陰鬱な鐘の音に、頭の芯が揺さぶられる。



 ゴオン、ゴオオ―――――――――ン………



 独特のリズムは、祝福のためでも、ましてや鎮魂のためでもなく。


 それは裁きの知らせ。


 神の名のもとに、忌まわしき大罪人が断罪される合図なのだ。




 ******




 クロエの真上で響いていたはず音が一瞬にして遠ざかったように感じたのは、決して気のせいではなかった。


(………? どこ、ここ。教会じゃ、ない……?)


 不快な鐘の残響に眉をしかめながら目を開けると、そこは見覚えのない部屋の中だった。


 教会前の広場で、たった今処刑されたはずのクロエがうつ伏せて座っていたのは、断頭台ではなく鏡台の前だった。

 身だしなみを映すための鏡が、なぜか無残に割り砕かれている。


 しかしクロエは鏡の惨状よりも、そこに映し出されている己の姿に理解が追いつかず、無意識にぽかんと口を開けた


(え…っと………? どういう………?)


 いまいち反応の鈍い身体を起こそうと力を入れると、右手に大きめの鏡の破片がひとつ握りこまれていることに気づく。

 逆の手は床に向かってだらりと下ろされ、手首(そこ)から滴ったと思われる鮮血がくすんだ床に小さな血だまりを作っていた。


 状況が指し示す事実の痛ましさに、クロエは思わず唇を噛みしめる。


 腕を持ち上げ確かめると手首から掌にかけて真っ赤に染まっていたが、出血自体は止まっているようだ。その理由に思い至り、クロエははっと息を呑んで掌に意識を集中させた。


 身体の奥深くから、馴染みある温かな感覚がなんの抵抗もなく湧き出てくる。

 手を汚していた血が清められて消え去ると、手首に小さな傷跡だけが残されていた。


(枯れたはずの『神聖力』が戻ってる………)


 クロエは少し疲れた笑みを浮かべて鏡を見つめた。


(………ごめんなさい、()()()の意思を無碍にするような真似をして。()()()が勝手に、治癒してしまったみたい)


 ひび割れた鏡に映った、クロエと同じ疲れた笑みを浮かべる人物に向かって、心の中で詫びる。


 栄養状態が悪く痩せ細ってはいるが、目鼻立ちの整った十四、五歳の美しい黒髪の少女だ。元々白い肌ではあるが、血を失ったためかますます青白く見えた。


 クロエは自分の身に起こった信じ難い現象を、しかし本能的に飲み込み、理性に言い聞かせるようにあえて言葉に乗せる。


「この身体の元の持ち主……エルカナさんっていうのね」


 自分の喉から出たはずの声は、聞き覚えのない声。

 自分の姿として鏡に映し出されているのは、まったく見知らぬ少女だったのだ。




 ******




 クロエはつい先刻、教会前の広場で斬首刑に処された………はずだ。


 処刑の瞬間、禍々しい宣告の鐘が打ち鳴らされたが、先ほどクロエがこの部屋で目覚めた直後にも、音量は小さかったが確かに同じリズムの鐘の音が聞こえていた。

 おそらくクロエの魂は、首が落とされて間を置かずにここへ()()のだろう。


 無意識に首筋を手で擦ると、身体が勝手にふるりと震えた。


 ただ心の方はどこかが麻痺してしまったのか、つい先程まで感じていた狂おしいまでの恐怖は、奇妙なほどきれいに消え失せてしまっている。


 想像していたような痛みや苦しみはなかったが、音もなく落ちた冷たい刃が首筋に触れた瞬間の絶望はあまりにも鮮明だった。


 間違いなく死んだと思ったのに。


(科せられた罪は確かに冤罪だったけど、死んだあとになって他人の身体を掠め取って生き返ってしまうなんて………今度こそわたしは、大罪人の名に相応しい罪を犯したのかもしれないね)


 クロエは椅子の上でぐったりと仰のき、深々とため息をついた。



 身体の持ち主『エルカナ』について、あまり多くのことはわからない。


 抜け殻となった彼女の身体からかろうじて読み取れたのは、クロエが今いるこの部屋が、なんと娼館の中にある一室であるということ。

 身内の裏切りによってエルカナはこの娼館に売り渡されたばかりで、なんの覚悟もできないままに今夜、初めての客を取るよう館主から命じられてしまったのだ。


(そして……彼女は屈辱と恐怖に耐えきれず、ひとり部屋に残されたあと恐慌状態に陥って鏡を割り、衝動的に手首を切ってしまった………)


 彼女(エルカナ)の人生は、すでに幕を閉じてしまっていた。

 彼女が最期に抱いたのは、圧倒的な無力感と無慈悲な現実からの強い逃避願望だった。


 エルカナの魂は速やかにこの世を離れた。

 彼女の身体が、生命としての機能を完全に停止する前に。

 それが処刑と同時刻だったためか、空になった器を埋めるように、クロエが滑り込んでしまったということらしい。


 二人に生前の接点は一切なかった。

 それが、死の瞬間になってこんな形で運命の重なりを見せるとは。


 ―――片方は「死にたい」と願い、

 ―――片方は「死にたくない」と願った。


(どうして……なんて考えるだけ無駄よね。こんなおかしな現象、大聖典でも読んだことないし。神のみぞ知る………ううん、ひょっとすると神さえご存じないのかもしれないわ)


 うっすらと残った手首の傷跡を見つめる。

 神聖力を取り戻した今なら跡形もなく消すこともできる。しかしこの傷痕こそが、エルカナの生前の意思を証明しているような気がして、積極的に消そうという気にはなれなかった。


 血を吐くほどの祈りも届かないと思い知らされたばかりのクロエだったが、それでも静かに両手を組み、旅立ったエルカナのために鎮魂の祈りを捧げる。


(身体を借りることになってしまってごめんなさい。………あなたの苦難は終わったわ。もう、現世の困難に背を追われることはないでしょう。解き放たれたあなたの魂が、どうか永遠に安らかでありますように)


 エルカナは二度と戻らない。

 そしてクロエ自身も、元の身体に戻ることは叶わない。


 クロエの身体は今この瞬間も、首と胴が離れたまま教会前に晒されているだろうから。





お読みいただきありがとうございます。

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