第32話 高槻・青龍寺攻略
永禄11年(1568年)――京の街
織田信長の軍勢が京の街に入ったのは、冷たい秋風が吹き抜ける10月のことだった。
足利義昭を奉じた信長は、二条御所に義昭を入れ、室町幕府の再興を宣言した。
しかし、京の支配権を完全に掌握するにはまだ障害が残っていた。
その一つが、高槻城の和田 惟政(35歳)と青龍寺城の三好三人衆(三好長逸(48歳)、三好政康(41歳)、岩成友通(40歳))である。
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京から西に位置する高槻城。
和田惟政は京周辺の国衆たちを束ねる実力者であり、織田軍の京支配を脅かす存在であった。
信長は京に入った翌日、家臣の明智光秀と滝川一益を呼び寄せた。
「光秀、一益。高槻城を押さえよ。
和田惟政がここに牙を剥けば、京の治安は保てぬ。」
光秀は深く一礼し、京の町を見渡した。
(信長様の京支配を盤石にするには、まず和田を抑えねばならぬ。)
織田軍は夜襲を仕掛ける形で高槻城を包囲した。
和田惟政は城の天守から織田軍の規模を確認し、家臣たちに指示を飛ばしていた。
「織田軍の狙いは京の支配。ここを取られれば、京は完全に奴の手に落ちる。何としても防ぎきれ!」
しかし、織田軍は事前に和田家臣の一部を調略しており、城内から密かに門を開ける者が現れた。
「門が開いたぞ!」
「織田軍が攻め込んできた!」
高槻城は内外から攻められ、和田惟政は奮戦したものの、ついに敗北を喫し、城は織田軍の手に落ちた。
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青龍寺城は、三好三人衆が拠る堅城であった。
彼らは松永久秀と結託し、義昭の室町幕府再興を妨害していた。
信長は義昭を二条御所に送り届けた後、家臣の丹羽長秀、柴田勝家、羽柴秀吉を呼び寄せた。
「三好三人衆が青龍寺城に籠もり、我らの動きを監視している。奴らを叩き潰せ。」
信長軍は周囲の山々に砦を築き、青龍寺城を徹底的に包囲した。
丹羽長秀の軍勢が正面から攻撃を仕掛ける一方、秀吉軍は夜陰に紛れて城の背後に回り込んでいた。
「この城の背後は急な崖だが、奴らの守備が手薄だ。」
秀吉は手勢を率いて、断崖を登る。
その夜、青龍寺城の背後から突如として秀吉の軍勢が現れた。
「突撃せよ! 信長様のために!」
「織田軍だ! 城内に織田軍が入った!」
三好三人衆の一人、岩成友通は刀を振り回して応戦するも、秀吉の軍勢に包囲され、ついに討たれた。
城内は火の手が上がり、三好長逸と政康も逃亡を余儀なくされ、城は完全に織田軍の手に落ちた。