第2話 脱走
仁がアードとして生まれ変わってから4年が経った。
すくすくと成長したアードは、この世界の言葉を覚えて会話や読み書きができるようになっていた。
アードは英語を覚えたと勘違いしているが⋯⋯。
身体も成長し、今では屋敷内を自由に歩き回ることもできる。そこでアードは屋敷の広さに驚いた。
図書室のように大きな書斎。
古代ローマ風の大浴場。
アンティーク調の装飾が施された家具。
教室サイズのオールステンレスキッチン。
「うひゃ〜〜、大金持ちだな〜、石油王か〜?」
さらに、アードは美少年に育っていた。
彼が鏡に映る自分の姿を初めて見た時、あまりの美しさに思わず見惚れてしまったほどだ。前世の姿と比べるのも烏滸がましいほどに美しい。
髪色は光沢感溢れるホワイトブロンド。
同じく金色の瞳はどんな宝石よりも輝いている。
眉は細くて少しヤンキーみたいになっているが、イケメンだから問題ない。
「こりゃまるでハリウッドスターだなぁ!ハッハッハッ!」
鏡を見ながら高らかに笑う金髪美少年アードを、周りのメイド達は困惑しながら見守る。
アードは美しく整った顔をさらに美しくしようと思い、屋敷の女性陣が使用している美容品をこっそり借りて肌のスキンケアを徹底している。
その結果、アードはこの屋敷の誰にも負けないほどの美肌を手に入れていた。
しかし、容姿が美しく生まれ変わっても、その魂は変わっていなかった。
この屋敷には家族の他にもたくさんの使用人が住んでいるのだが、アードは周りの人と関わろうとしないので、家族の名前すら知らない。
家族や使用人達が話しかけても素っ気ない返事ばかりで、メイド達が気を遣う始末だ。
通常、貴族の子供はメイド達が身の回りの世話をしてくれるのだが、アードは他人を頼らないので身の回りの世話をする必要がなかった。
そもそもアードは前世を含めると22歳なので、そのことを考えると不思議なことではない。
しかし、周りから見れば、4歳の子供が他人に頼ることなく淡々と生活する姿は異様だった。
アードとの会話は必要最低限しかなく、1度の会話が3往復以上続くことはない。
家族や使用人達の中には、アードに嫌われているのではないかと不安に思う者もいた。
前世でもそうだった。
仁には姉がいたが、ほとんど会話をしなかった。
お互い嫌っているわけではなく、仁の冷たい態度に姉が気を遣って距離を置いていた。
仁のほうも、早く独り立ちして1人で生きていきたいと考えていた。
家族と暮らすのも悪くはないが、家族といっても気が合うわけではない。
姉のように人に会うことで元気が出る人もいれば、仁のように人に会うと疲れる人もいる。
誰かが悪いのではなく、価値観の相違だ。
姉は仁から嫌われていると思っていたようだが、実際は姉に興味がないだけで嫌ってはいない。
地球では、仁は死亡したことになっているので、この誤解が解けることは永遠にない。
そんなアードが興味を持ち、名前を覚えている人物がこの世界に1人いる。
乳母を務めた爆乳メイドのセリアだ。
セリアは茶髪のポニーテールで、その結び目は高め。
年齢は35歳だが、肌が綺麗でツヤツヤしていて若く見える。
さらに、彼女はメイドでありながら料理長も兼任している。
味が薄いのでアードの口には合わないが、王都で店を出せるほどの腕前らしい。
アード以外の人は大絶賛だ。
しかし、アードは料理が口に合わないからといって文句は言わない。
料理を作ってくれることに大感謝の毎日だ。
◇
顔良し、肌良し、パーフェクトルックスのアードには疑問が1つあった。
それは〝日本〟を知る人が誰もいないこと。
(鎖国でもしてんのか?)
本気でそう思うくらい何も知らない。
英語は通じないし、そもそも日本すら知らない。
(だいたいツーダブル王国なんて聞いたことないぞ。俺が知らんだけかもしれんが⋯⋯)
そんなある日、アードは気付いた。
「あれ?なんで漢字が書いてあるんだ?」
アードがこっそり使っている美容品の説明は全てセルリアンの言葉で書かれているのに、そのロゴマークには、『美』という漢字が入っていた。
アードがメイドに色々と聞いてみた結果、次のことがわかった。
美容品は《ユーナ研究所》で製造・販売されていて、そのユーナ研究所のシンボルマークが『美』というデザインである。
そのユーナ研究所は隣街である《イーサ》にあり、この街からだと馬車5時間の距離。
何の疑問も持たずにアードは確信した。
(これは日本人が作ったロゴマークだろう。この研究所に行けば日本人に会えるかもしれない。もしかしたら、俺と同じように生まれ変わった元日本人かもしれない!)
「よし!独り立ちしよう!」
アードは決意した。
死んでしまったとはいえ、前世を含めるともうすぐ23歳だ。もう働かなきゃいけない。
外見が子供なので厳しいかもしれないが、中身は大人なので事情を話せば働かせてもらえるかもしれない。
アードは高校生の頃に、清掃業のアルバイトをしていた。高校を卒業したら1人暮らしをすると決めていたので、高校3年間は馬車馬のように働いた。その経験が活きるだろう。
実家を出て一人暮らしをしたい、自立したいという気持ちは死んでも変わっていなかった。
そもそも、アードはこの屋敷を家だと思ったはない。
家は日本にあり、家族は日本にいる。
そして、名前はアードではない。光石仁だ。
生まれ変わってから、ずっと他人の家にいる気分だった。
他人と家族のフリをして過ごしてきた。
屋敷の住人達を嫌っているわけではない。むしろ感謝している。5年近く衣食住を提供してくれたから。
だから自立してお金を稼いだら、5年分の恩返しをしようと誓った。
◇
この屋敷での最後の夕食を終えた仁は、厨房にいたメイド達に感謝を伝える。特にセリアへ。
「今日も美味しかったです。ありがとうございました」
仁は笑顔で嘘をつく。美味しかったことはたったの1度もなかった。
それでも、感謝の気持ちは嘘ではない。
仁はメイド達とあまり会話したことがないので、セリアを含むメイド達は驚いている様子で、少しアタフタしているようにも見えた。
(なんでそんなに慌ててるんだ?)
不思議に思いながらも、仁は明日からの旅支度をしなければならないので、特に気にせずに部屋へと戻った。
部屋に戻った仁は、部屋を綺麗に掃除して、鏡を丁寧に磨く。
「毎日美しい姿を映してくれてありがとう」
旅立ちは明日の明け方。
誰にも言わずにこっそりと屋敷を出る。
誰かに言えば、おそらく止められるだろうから。
お金をいくらか持って行きたいが、金銭トラブルなんて起こしたくない。
お金は全て置いて行く。
「そもそも俺が稼いだお金じゃないしな」
着替えの服も置いて行く。
今着ている服だけで充分だ。
今着ている服もいつか返そうと決めた。
明日は長旅になるかもしれないので、仁は明日に備えて早めに寝ることにした。
◇
夜が明けて目が覚めた。
時計を見ると午前4時を少し過ぎている。
予定よりも起きるのが遅くなってしまったが問題ない。
心配をかけないように、仁は机の上に置き手紙を残した。
まだ皆は寝静まっているはず。
屋敷を出るなら今のうちだ。
仁は音を立てないように、抜き足、差し足、忍び足で歩く。
屋敷から外に出るには門番のいる門を通らなくてはならない。
門番はしっかり起きている。
(バレちゃうな⋯⋯)
仁が周りを見回すと木箱が乗った台車が置いてあった。
その木箱には大量のゴミが詰まっている。
メイドがいつもゴミ捨て場に運んでいた台車だ。
まだゴミが台車に乗っているということは、これからゴミ捨て場に捨てに行くのだろう。
ゴミ捨て場は屋敷の外にある。
仁は閃いた。
近くに積んである空の木箱を1つ持ち出し、ゴミの入った木箱と置き換える。
そして、仁はその空の木箱の中に入る。
まるで箱入り男だ。
体が小さいので余裕だった。
そしてメイドが台車を押して屋敷の外まで連れて行ってくれた。
ガタンッ!ガタンッ!ゴンッッ!
仁は何度か頭をぶつけた。
(ぐっ!!痛ぇッ!!!)
痛みに耐えた仁は、箱から出る。
「そういえば街の外は初めて見たなぁ」
仁がこの街を見るのは、実は今日が初めて。
今まで屋敷の外に出たことはない。
街は壁に囲まれていて、レンガ造りの建物がぎゅうぎゅうに建ち並んでいる。
城郭都市というやつだ。
街には活気があって、まだ朝の5時なのにたくさんの人が街に出入りしている。
街の出入口にある大きな門にも門番がいて、1人ずつ何かチェックしている。
(たぶん俺って怪しいよな〜)
仁は大人の陰に隠れて、こっそりと街を脱出した。
(そういえば隣街ってどっちだろう)
大量の野菜を運んでいる農家らしき男性に聞いてみた。
どうやら目の前に見えている森を抜けた先にあるらしい。
道は整備されているが危ないらしく、大人と一緒に行くように勧められた。
農家らしき男性に礼を言った仁は、忠告を無視して森へ入る。
(俺はもうすぐトータル23歳だ。もう大人だし、1人でも構わんだろう)
そうして仁は1人で森へと入っていった。
意図的に「仁」と「アード」を切り替えています。