ニッポンクレーター~空飛ぶ「奥歯」に乗りこんで隕石を砕く仕事~
ある記者の言葉
アレの名前?なんだあんた外地から来たのか。あれはTOOTH。歯だよ歯、奥歯。形まんまだろ。でも記事にするときは「四つ脚」って書くことが多いな。
あの形も理にかなってるらしいぞ。ベクトル制御ノズルが4本で、フライバイワイヤの技術が最も効果的なのがあの形で、とかなんとか。開発者かデザイナーの趣味だと思うがな。なんにせよ、あんなふざけもんに守られてるんだ、この国は。
まあ。本質的な話をするならあれは「棺桶」だよ。正気じゃないんだ。あんなのに乗って飛ぶ奴らは。
9/3 AM07:12 空
青白んだ空に、一筋の切れ目が走った。やがて切れ目は楕円に広がり、黒々とした穴となる。そこから黒い影が勢いよく飛び出した。岩石のように角張り、湿度を含んだ光沢を放つ「それ」は、まだ冷たい早朝の空気の層を突き破り、地上へ急降下していった。
9/3 AM07:12 地上 SAFE本部 管制塔
モニターに映し出される一連の様子を眺めていた宝前昭はおもむろに振り返る。
「B8から12ブロック、NET展開」
そう命じたられた隊員は、操作パネル上で素早く指先を動かす。十数秒の後、制御室を激しい揺れが襲った。蛍光灯が明滅する。やがて揺れは収まり、誰かが安堵の吐息を漏らした。
「対象、消滅を確認。電力安定、防壁支柱損傷なし」
防壁の操作を行った隊員が告げるも、宝前は顔色を変えない。
「次は?」
宝前が問うや否や、空を映すモニターを覗いてた測量班の男が声を上げた。
「第二波、来ます!110秒後、数はおよそ60!」
管制室にどよめきが広がる。宝前は上着を脱ぎ、隣に控えていた補佐官に手渡した。
「50越えは久々だな」
「会見準備をしておきます」
表情一つ変えず補佐官がそう言うと、わずかに口角を上げた宝前はすぐにしかめ面に戻り、声を張り上げた。
「TOOTHを出す。伊賀隊、山本隊、馬場隊、射出用意」
それを合図に、各員が慌ただしく動き始める。補佐官は手元のタブレットをいじりながら、ため息を吐いた。
「毎日毎日、何十年も。飽きもせずよく来ますね」
「いつの間にか雨より増えたな」
そう言うと宝前は鬱陶しそうに舌打ちをした。
「当たり前になっちまった」
「……慣れましたか?」少し声を落としてそう尋ねた補佐官に対し、
「馬鹿言え。今もちゃんと胸糞悪いし、ちゃんと怖い」
宝前は真顔でそう答えた。
30年前の春、1つの隕石が日本列島を貫いた。東経138度、北緯36度。狙いすましたかのように日本の中心に巨大なクレーターが出来上がった。追いかけるように、数千の黒い塊が地上に降り注いだ。地震による地殻変動が大陸を引き裂き、インフラは瓦解。主要都市は瓦礫の山と化し、交通網も途絶え、通信は沈黙した。各国政府もまた、被害によりその機能をほぼ失い、世界は無秩序と混乱の中で生き残りを図ることを余儀なくされた。
生き延びた学者や技術者達は隕石の回収と分析を急いだ。結果、それが地球上に存在しない物質で構成されていることを突き止めた。石なのか、鉱物なのかも明言できない。宇宙からの飛来物ですらなく、空間を引き裂いて突然そこに現れるもの。全てが不明。故にそれは「アンノウン」と銘打たれた。
アンノウンの内部に封じ込められた高密度の熱量、その出力はこれまでの地球上のあらゆる資源を凌駕し、原子力や化石燃料に代わる可能性があった。滅びかけた世界に、エネルギー革命が到来したのだ。復興は叶うかと思われた。
だがアンノウンは昼夜を問わず何の前触れもなく降り注いだ。結局のところ、発見された未知のエネルギーは、何よりもまず人類の盾として利用された。各国がそれぞれの領土内でアンノウンの破片を回収し、それぞれのやり方で運用の道を探った。
最初の被災国である日本列島は無数の島々へと断裂しており、「日本群島」として新たな地形が形成されていた。
日本群島においてアンノウンの対策、研究を主導した組織が「SAFE」である。被災からわずか10か月で立ち上がったこの新興組織は、自発的に集まったボランティア達が中心人物であった。アンノウンのエネルギーを活用し、日本群島全域に全長600mの塔を打ち立てた彼らは、電磁防壁「NET」を上空に張り巡らせた。
それだけに留まらず、空中でアンノウンを破砕する為の兵器として、「未確認飛来物破砕用航空機」通称「TOOTH」の運用を開始した。被災からわずか5年後のことである。
乗り込むパイロットもまた、当初はボランティアで集まった者達だった。
9/3 AM07:14 地上 SAFE本部 一番格納庫
空調が壊れたままだ。狭苦しいコックピットの中、伊賀千里は肩をすくめて二の腕をさすった。そういえば、医務室の子がブランケットを薦めてくれていたな。断ったのを少し後悔した。
正面のディスプレイには格納庫内カメラの映像が表示されている。列を成した「奥歯」がベルトコンベアで運ばれていく様は実に奇妙だった。その内の一つに自分が乗り込んでいることも奇妙だ。
全高2mの歯、一人乗り。アンノウンを噛み砕く巨人の歯!なんてコピーが20年前は付いていたらしい。無くして正解だ。
格納庫に並んでいたTOOTHは射出の為のサージスペースへと向かう。シートから伝わる振動はカウントダウンだ。地上から空へと、伊賀は意識を徐々に切り替えていく。17歳でパイロットになって、もう15年。これの繰り返しだ。
TOOTHは射出台へと固定された。コックピット内の全方位に、外の様子が映し出された。透明のガラスケースを頭からかぶった気分だ。この仕組みを宇宙服のヘルメットに例えた時、あれは後ろ側が見えないようになっている、と部下に言われたことを思い出した。確かに、と頷いたことも覚えている。あの子が死んでから、もう1週間が経つ。
頭上から光が差し込む。見上げると、サージスペースの天井部が開いていくのが見えた。
『射出します』
オペレーターの声を合図に、強烈な力の波が伊賀の身体を襲った。瞬く間に視界が開け、伊賀を乗せたTOOTHは上空へと放り出された。推力が途切れ、数秒、その場に留まる。周囲の空間が一瞬静まり返ったように感じられた。青空が広がっている。そうか。もう朝だったか。
伊賀が操縦桿を捻ると、四本の脚部に備わったスラスターが火を噴いた。仲間達のTOOTHも空中で姿勢を整え隊列を組む。9つの機体は目標地点へ勢いよく飛んでいく。しばらくして、左側から部下の声が聞こえた。
『目的地です。12m上、きます』
伊賀達のさらに上空に、ひっかき傷のような線が出現している。傷は徐々に穴へと変貌し、空間に不気味な影を落としていた。
「カトちゃん、後ろをお願い」
『了解』
隣でホバリングをしていた部下の機体が後方へと飛んでいく。
「おいで」
伊賀は唇をほとんど動かさずにそう呟く。穴の中から黒い塊が飛び出し、伊賀たちへ向けて急降下した。
「接敵。破砕活動を開始する」
操縦桿を握り直し、伊賀は前傾姿勢をとった。
9/3 AM07:20 地上 友釣島
「今日はきっと大漁だぞ!」
屹立した岩の上を、友釣宗也は跳ねるように進んでいく。天を仰ぎ足元には一切意識を払っていない。対照的に足元を注意深く睨んで歩を進めていた友人は、呆れたように首を振る。
「もう戻ろう?避難命令聞こえたでしょ」
そうはいかない。ジャンク拾いを生業としているのに、最近は落とし物がほとんどない。運よくNETをすり抜けたアンノウンの破片も、すぐにSAFEに回収されてしまう。宗也は立ち止まり、人差し指を突き立てた。
「待ってたらだめだ。生きてく為に、拾いに行く!」
その時、2人の上に影が落ちた。見上げるとNETのわずか数m上空を1機のTOOTHが飛んでいる。宗也は眉をしかめた。
「なんだあの四つ脚。こんなとこ飛ばないぞ普通」
TOOTHはNETの上を滑るように疾走していた。流線形のボディ。四本の脚。ボコボコとした天辺。その外見は「奥歯」そのものである。滑稽でありながら、同時に恐ろしいほどの力強さを、見る度に宗也は感じていた。脚部から噴射されるスラスターの青白い光が空に線を描き、その後を追うように、音が遅れて宗也のもとに届いた。
「かっけぇ…‥」
思わずそう呟いた宗也の真上で、「奥歯」は急停止した。その真白なボディに切れ目が走る。ギン、という短い駆動音がした後、刃を取り付けたアームが展開される。感嘆の声を漏らす友人をよそに、宗也は眉をひそめた。
「やっぱ変だ」そう言って少し考え込むと、宗也は友人を振り返った。
「避難所行け、今すぐ」
「え、ああ、うん。そうするけど……宗ちゃんは?」
「もう少し様子見ていく」
去っていく友人の背を一瞥し、宗也は再び天を仰いだ。
9/3 AM07:20 空
『大丈夫ですかぁ伊賀さん』
馬場の浮ついた声がコックピット内に反響する。
「ええ、問題なし」
伊賀は機体を起こすと、その場で静止させた。眼下には緑色の網目が広がっている。ここまでNETに近づくのは始めてだ。
『わかっているでしょうけど、そこタブーラインです。あと1分いたら始末書ですよ』
伊賀はモニターを操作し、TOOTHの側面からブレードアームを展開させた。
「すぐ戻るよ、馬場くん」
通信を切ると同時に、伊賀機の周囲を取り囲むように宙に亀裂が走り始める。
『隊長!』上空を飛ぶ部下が叫ぶ。
「大丈夫。そっちに集中し」
伊賀が言い終わる前に、アンノウンは亀裂を押し広げて顔を出した。穴から弾き出された複数の黒い塊が急速に伊賀へと迫る。
「伊賀機、接敵、数8」
だが伊賀は動じない。現況を冷静に仲間達に報告しつつ、スラスターを細かく切り替えてアンノウンの猛攻をかわした。空中で激しく姿勢を変えながら、伊賀はアンノウンを次々と斬り刻んでいく。
「破砕7……」
目視できる最後の1つが、伊賀機の脇を抜けて地上へと向かった。伊賀は機体を急旋回させると、さかさまになりながらアンノウンを袈裟斬りにした。空中に散った破片がNETに触れ、一瞬で跡形もなく焼き消える。
「破砕8。片付きました」
通信機越しではあるが、他隊の者が言葉を失っているのが分かった。
『……上も終わりましたよ。帰還隊列を組むので戻ってください』
馬場からの通信が途絶え、スラスターの噴射音だけが後に残る。伊賀は深呼吸をした。上空はうるさい。次々と襲い来るアンノウン、それを砕くレールガンの音、ブレードの音、管制塔の実況に、各隊の通信。どれもこれもがうるさくて、気が滅入った。
「静かだな」
NETの下に、朝陽を受けてきらきらと光る水面が見えた。海は好きだ。空よりもずっと好き。
「ここにいられたら」
『伊賀さん!』
馬場の声が聞こえた。同時に視界の端で何かが閃く。衝撃音と共に伊賀の機体が激しく揺れた。後方から飛び込んできたアンノウンが直撃したのだ。警告音がコックピット内に鳴り響く。機体は錐揉み回転を始め、無防備に落下していく。遠心力が伊賀の体をシートに押し付けた。
「あっ」
血の滴る伊賀の口から、声がこぼれた。揺れ動く視界の先に円形の何かが迫っている。張り巡らされたNETを支える支柱。人類の安全を守る防壁の要。その天蓋部だ。なすすべなく、伊賀機は天蓋部に激突し、展開していたブレードが内部に配置された電気系統を斬り刻んだ。周辺のNETが数度点滅しやがて消失する。支柱の先から爆炎が上がり、爆風を正面から浴びた伊賀の機体は大きくひしゃげた。スラスターは完全に停止している。伊賀機はバランスを失い、地上へと落ちて行った。
全身を激痛が襲う中、伊賀は遠ざかる青空を見た。
ああ、よかった。
そう安堵したところで、伊賀の意識は途絶えた。
9/3 PM 12:05 地上 SAFE本部 3階会見室
「そもそも人が乗っていなければ事故も起きなかったのでは?」
挙手した手を神経質に宙で揺らす記者を、宝前は鋭い目で睨みつける。
「アンノウンの軌道は日に日に予測が困難になっています。無人機では対応しきれないことは20年前にも、つい4か月前の公開演習でも実証済みです」
「パイロットの命を軽視するのか!」
「防壁支柱の復興はいつ終わるんです?」
「伊賀千里隊長の安否は!」
矢継ぎ早に叫ぶ記者達を前に、宝前は冷静な表情を崩さない。
「破損した支柱の修理は職員を総動員して進行中です。遅くとも18時頃にはNET展開テストを行う予定です。その間、小柱島、友釣島上空にはTOOTHを待機させています」
宝前は淡々と続ける。
「伊賀隊長の捜索は依然続けております。衝突の際に機体とスーツの信号が途絶えた為、安否は確認できておりませんが」
そこで宝前は言葉を切った。記者達が息を飲む。
「彼女は日本防衛の要です。必ず、彼女を見つけます」
宝前は悲痛な面持ちで言葉を紡ぐ。
「事故は不幸な偶然が重なった結果であり、任務そのものに問題があったわけではありません。国民の皆様には、どうか安心していただきたい。そしてどうか、伊賀隊長の安全を祈っていただきたい」
会見場は静まり返っている。宝前は報道陣を見回した後、隣に控えていた補佐官に合図を送った。補佐官は前へ進み出ると、記者達に会見の終了を告げた。
9/3 PM 12:30 地上 SAFE本部 代表執務室
「上出来だろう」
上着を丁寧にハンガーにかけながら、宝前はぼそぼそと呟いた。
「さすがです。懸念事項は1つ消えましたね」
束ねられた記者のリストを眺めながら補佐官は答えた。宝前は来客用ソファに腰かけると「伊賀は?」と尋ねた。その声は冷めきっており、補佐官の顔にも緊張が走る。
「馬場隊、桜庭隊、笠原隊が捜索にあたっています。機体の一部が海中で発見されましたが、伊賀の姿はありません」
「……どう思う」
しばし考え込んだ宝前が口を開く。質問の意図を組めず、補佐官は首を傾げた。
「生存という意味では、かなり怪しいかと」
「伊賀がSAFEから逃げた可能性は?」
思いもよらぬ問いに、補佐官は瞬きを繰り返す。
「は?」
「……パイロット達は本部に缶詰めだ。外部との接触機会は限られている。何かを企んだとしたらまず、ここを出なきゃならないが……地上からは出られない。俺が出させない。となると任務中、空から逃げるしかない」
「彼女は逃げようとしてわざと墜落したと?」
宝前はその問いに答えなかった。
「ありえません。彼女が今更アンノウンに恐れをなすなど」
「恐れたのが別のことだとしたら」
宝前は自分自身と会話をするように、滔々と続けた。
「俺の声を録音……?いや、出撃日程の記録を……無理だ、持ち出せるはずがない……」
立ち上がり、補佐官を睨む宝前の瞳には焦りの色が浮かんでいた。
「何としても見つけろ。あいつがもし話したら……」
それ以上、宝前は口にしなかった。
9/3 PM17:15 地上 友釣島
「すごいね。全部1人で?」
あばら小屋に置かれた硬いベッドの上で、伊賀は驚嘆の声を上げた。宗也は鍋をかき混ぜながら空返事をする。
「そうでもないっす。落ちてくる場所は予測できたし、海も近かった。ボートを出すのなんて20秒あればできる」そう言って、湯気の立ち昇るスープを手際よく椀によそう。
「あんたを引っ張り上げるくらいなら俺一人で出来るっすよ」
ベッド横のテーブルに椀を置くと、宗也は炊事場に戻った。
「でも、当ては外れたな。アンノウンの破片が手に入るかなと思って船を出したのに。儲けゼロだ」
伊賀は包帯の巻かれた左手で椀を持つと、ゆっくり口を付けた。流れ込んでくる人肌の温かさが、身に沁みる。宗也はベッド横に腰かけ、添え木と共に吊るされた伊賀の右手を指さした。
「応急処置はしたけど、ちゃんと医者に診せないと」
「これもすごい。宗也君て何歳?」
「16。この島はガキが多いから、面倒を見てるうちに色々覚えた」
宗也はやけにぶっきらぼうに言った。伊賀は微かに笑みを浮かべる。
「ありがとう。命の恩人だね」
「あんたは勝手に助かってそうでしたけどね」
「え?」不意を突かれて、伊賀はせき込んだ。右の脇腹がひどく痛む。
「俺が助けなくても。だってまだ10時間ですよ?あんたが落ちてきてから。それがもう飯食って笑ってる」
信じられない、と首を振りながらも宗也の表情はどこか嬉しそうだった。
「やっぱすごいな。四つ脚のパイロットって」
唐突な賞賛に、伊賀はうーんと唸るだけだった。それで、と宗也がぽつりと言った。
「なんで隠れてるんです?外、皆あんたを探してる」
伊賀は黙ったまま答えない。
「ここは俺の秘密基地だから。島のみんなも知らない。きっとばれない」
簡素な造りの小屋。壁の隙間からは生ぬるい潮風が入り込んでいる。墜落した海のすぐ近くのはずだが、よほど上手くカムフラージュしているのだろう。
「あんたを隠しておくことはできるけど、理由は知りたい」
伊賀はベッドに座り直し、いやぁ、とのんきな声を出した。
「私ね、結構偉いの。もうおばさんだしね。それがあんな風に事故っちゃって。恥ずかしくて。合わせる顔がないのさ」
「事故じゃないでしょ」
伊賀の言葉を、宗也が遮った。
「……下から見てたから。わかるよ。あんな下を悠長に飛んでたのも、展開したブレードをすぐにしまわなかったのも。全部変だった」
目がいい、と伊賀は思った。電磁防壁に阻まれた空の様子を、よくもここまで明確に。窓から入り込む陽が傾き、宗也の顔に影が落ちる。
「落ちようとしてたんでしょ。機体トラブルに見せかけて。NETを壊して。でも、石ころを食らって、思ってた通りにはならなかった」
「まっさか、そんな」
おどけようとして、言葉が詰まった。宗也は構わず続ける。
「あんたなら、いつものあんたなら。あそこから立て直して、もう一回飛ぶこともできたはずですよね。伊賀隊長」
ふいに名を呼ばれ、伊賀の身体が硬直する。
「知ってるんだ、私の事」
「有名人っすよ。あんた達は皆。こんな小さい島にも、映像機はありますから」
宗也の視線の先、誇りまみれの食器棚の横には、小型の映像機と、金属片がいくつも置かれている。TOOTHのパーツだった。
「趣味で。流れ着いたのを拾ってたんです。拾うの得意なんで」
そう言うと宗也は立ち上がり、ベッドの脇から焦げた布の切れ端を取り出した。
「海からあんたを引っ張り上げた時、破片との間に挟まってた。エアバッグ。まだ膨らんでるのもあった。何個もあった」
宗也は伊賀の前に腰かける。
「積み込んでたんすよね?コックピットの中に」
伊賀は何も答えない。
「あんたは生きようとしてた。わざと落ちて、でも生きようとしてた」
宗也はただ、伊賀の目をまっすぐに見ている。
「何をしようとしてたんすか?」
沈黙が、長く重い沈黙が続いた。
「ブランケット」唐突に伊賀が口を開いた。予想外の言葉に、宗也は虚を突かれる。
「可愛い柄だったから。断ったの。海に沈むの、嫌だなって思ったんだ」
静かな声音だった。遠い波の音が、やけに大きく聞こえた。
「そう。わざとだよ。逃げてきたの。SAFEから」
おかしくなったのはもうずっと前だ。1日の睡眠時間が40分を切った頃だった。突然鳴るサイレン。狭くて冷たいコックピットの中で過ごす夜。いなくなる先輩。いなくなる後輩。外部とは連絡を取れず、休まる時間なんてない。何を食べても味がしなかった。
地上を守る為であれば、パイロットはどれだけぞんざいに扱ってもいいと、宝前代表はそう考えている。一度TOOTHに乗り込んだ者は、その万能感故にどんな酷い目にあっても逃げ出すことはない。その力を手放すことはないと、彼には確信があるのだろう。
国民を守る盾。災害を砕く矛。人類の救世主。そんな言葉に踊らされて15年。運よく生き続け、気が付けばもう正常な人間ではなくなっていた。何を守る為に、一体なんの為に空に行くのか。それすら分からなくなっていた。
1週間前。宇宙服の話で笑いあった部下の男の子が死んだ。任務中に気を失い、そのままアンノウンに上半身を消し飛ばされて死んだ。死の直前の通信データには、彼の寝息が記録されていた。宝前はそれをなかったことにした。それがきっかけだった。
本部から宝前にばれずに脱走するのは難しい。でも空からなら。NETを破って逃げることを思いついた。
「クソ野郎じゃねぇか!」
宗也は立ち上がり憤慨した。
「彼にとって大事なのは、地上の人だから」
「だからパイロットは死んでもいいって?ひでぇよ!」
宗也の目が潤んでいるのが分かった。
「あんたら、いつも守ってくれてるのに……なのに」
伊賀は何も言わなかった。目の前で自分達の為に憤る少年の姿が、ただただ尊く、眩しく、ありがたかった。
「協力するよ、全部バラしちまおう!」
涙を拭き意気込む宗也に、伊賀は首を横に振る。
「違うの。……そうしたかったわけじゃないの」
そう言って伊賀は微笑んだ。
そう。最初から宝前を告発する気など、伊賀にはなかった。辛い任務から逃げ出したかっただけで、その後のことなど何も考えていなかったのだ。
でもあの時。操縦を誤ったふりをしてわざと墜落しようとNET付近を飛んでいた時。眼下に少年達の姿が見えた。咄嗟に、守らなければと思ったのだ。この子達を何が何でも守ると。そしてそれをできるのは、やはり自分なのだと思った。TOOTHに乗っている自分でしか、彼らを守ることはできないのだと。
「いやぁ、あんな形で落ちちゃうなんて予想外だったよ」
伊賀はベッドから立ち上がった。ふらつくが、歩けないこともない。つくづく頑丈な体だ。
何の為に飛ぶのか。ずっと忘れていた答えは、あの時すでに得ていた。そして目の前で自分の為に涙を流す少年を見て、伊賀はその答えを改めて胸に抱いた。
「そろそろ戻るね」
伊賀がそう微笑むと、宗也は顔色を変えた。
「せっかく逃げたのに!パイロットならえっと……馬場とか桜庭とか他にもいっぱい」
言いかけて、宗也は口をつぐんだ。過去に映像で見たパイロット達の顔が浮かぶ。戦士の顔だと憧れた。人類を救う者達の誇り高き顔だと。それが眠気と苦痛に耐える者達の顔であるなど、思いもよらなかった。
「……せめて、宝前のことは」
「あの人がいなくなったら、SAFEは機能しなくなる。まあ多分2日とかだけで、すぐに代わりが見つかるんだろうけど」
伊賀は足を引きずりながら入り口へ向かう。
「でもその2日。地上はがら空きになる。だから言わない」
宗也はうつむき、それ以上はもう何も言わなかった。
「きっと宝前も、私が告発目的で逃げたと思ってるんじゃないかな。臆病なのよ。不安でやつれてると思う。身に染みただろうから、交渉の余地もある気がするんだ」
伊賀は簡素なトタンの扉を開ける。潮の香りがした。心地いい香りだった。振り返ると、宗也が何か言いたげな表情でこちらを睨んでいた。伊賀はそんな宗也に笑いかける。
「死ぬ気で逃げたら、案外何でもできる気がしてきたよ」
ばいばいと囁き、伊賀は宗也に背を向ける。歩き出したその背に向かって、宗也は声を張り上げた。
「俺も一緒に戦うから!」
伊賀が再び振り返る。少年はまっすぐに伊賀の目を見据えていた。
「すぐは無理だけど。ちゃんと勉強して、頑丈になって、あんたが夜寝てる時とかは俺が石ころ相手にするから」
だから元気で。
そう言って、宗也は照れくさそうに小屋の扉を閉めた。
伊賀はその言葉に胸を打たれ、同時に不安を覚えた。自分は1人の少年を過酷な地獄に引きずり込んだのかもしれない。そんな考えが脳裏をかすめた。
でも。なら。だからこそ。現状を変えなくてはならない。
にじむ橙色の空を見上げ、伊賀は決意を新たにした。
9/17 AM9:10 空
「伊賀、破砕7」
絶好調ですね、と部下が明るく声を上げた。実際調子は良かった。睡眠時間を確保できたからだろうか。それとも明日が休息日だからだろうか。どちらにせよ心は軽く、TOOTHの動きも快調に思えた。伊賀は雲の上を跳ねるように飛行する。
「命懸けの上申。まんまと驚かされたよ」
出撃前に格納庫を訪ねてきた宝前は、酷くやつれた顔でそう言った。今回の一件で伊賀の無言の圧に押された宝前は、パイロットを含む職員の勤務体制の見直しを宣言した。微々たる変化ではあったが、最初の一歩としては上出来だと伊賀は納得している。
「君たちは盾だ」
去り際、宝前は絞り出すように声を出した。
「日本にクレーターを増やさない為の…人を死なせない為の」
「ええ。だから私たちを、頑丈な盾でいさせてください」
伊賀の言葉に、宝前は言い返してはこなかった。
『隊長、聞きました?今年の新人の配属日3週間後だって。豊作らしいですよ』
「あら。じゃあ負けてられないね」
機体を傾ける。高度10000m。水面は遠く、雲に隠れている。島々も、そこに暮らす人々もここからでは見えない。
ブランケット越しに膝を数度叩く。よしと意気込むと、伊賀は力強く操縦桿を握った。