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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

古書店「噺堂」

古書店「噺堂」 藍色の人形

作者: 田島いづる

雨のせいか、体が重い。

足が動かしづらい。

そもそも、なんで僕はこんな雨の中歩いているのだろう。

目的も忘れてしまった。

それでも、なんとなく今足を止めるべきではないような気がして、その時がくるまで歩き続ける。


「お、みせ・・・?」


歩いてきた一本道の先、突如として現れたのは古民家の様な一軒の店。

掲げられた看板の文字は擦れてしまっていて、かろうじて『古書店』と書いてあるのだけが読めた。


「ここで、あまやどり、させて、もらおう」


雨で冷えたせいだろうか、呟いた言葉は口が上手く動かず途切れ途切れだった。

とにかく、古書店の軒先に入りようやく足を止める。

もうずっと歩き続けていたせいで疲れてしまった。

雨が止むまでの間、少しここで休憩させてもらおうと思ったその時、中から声を掛けられた。


「そこは冷えるだろう?中にお入りよ」


突如聞こえた声にびくりと体が震える。

けれど、何となく、言葉や声の調子から敵意は感じないし、確かに、ここは寒かった。

だから、ゆっくりと扉を引き中へと入る。

少し埃っぽいような、紙独特の匂いがする店内は、所せましと乱雑に本が溢れかえっていた。

ぐるりと店内を見渡す。

色とりどりの表紙に、よくわからない文字が書かれた本ばかりの店内のその奥。

唯一本が置かれていない立派な木目の机のその向こうに、人が居た。

青白い肌、詰襟シャツも羽織も長い髪も黒く、金色に光る眼だけが鮮やかで、容貌も女か男か分からない、おおよそ人間とは思えない風貌のその人物は、赤い紅を塗った口元をにんまりと歪ませた。


「今、人間には見えないと、そう思ったろう?」


思っていたことを見透かされてギョッとする。

もしや、本当に人間じゃないのでは?

自分はどこか、黄泉の国にでも迷い込んでしまったのだろうか。

だとしたら一刻も早くここから逃げなければ。

僕はまだ、黄泉の河を渡るわけにはいかない。

なぜそう思うのかは、思い出せないけれど。

とにかく、何とかしてこの場から逃げ出さなくては。

そんな事を考えていると、目の前の人物はくつくつと笑いながら肩を揺らしていて、僕は不信感に眉を潜めた。


「くくっ、ごめんごめん。

あんたがあんまりにも挙動不審なもんで、ついおかしくってからかっちまったのさ」


今だ可笑しそうに肩を震わせるその人物は、話し方からして女のようだ。

彼女は金色の目を細めて僕を見つめると、机の上に置いてあった煙管を手に取り、口に着ける。

フゥっと吐き出させる煙が白く揺れる。

なんだか、甘い香りがした。


「お詫びと言っちゃあなんだけど、雨が止むまでの暇つぶしに話でもしようじゃないか」


いきなり何を言い出すのだろうと首を傾げると、彼女はまたにんまりと笑った。


「ここにある本はね、あたしがこの世の色んな話を集めて書き起こしたもんさ。

聞いたことあるようなもんから、人には知られていない不思議ごと、いろんな話が集まっている。

この中から一冊、あんたが気になった本を持っといで。

それをあたしが話してやろう。」


そう言われて、周囲の本を見渡す。

選べと言われても、僕はここにある本に書かれている文字が読めなかった。

それでも、何となく店内をふらふらと歩き回っていると、ふと一冊の本が目に留まった。

藍色の着物を着た、子供の人形が描かれた表紙。

その人形が着ている着物が、僕の着ているものに似ている気がして、考える間もなく手に取っていた。


「ふぅん、その本が良いのかい?

これはこれは・・・いいだろう、それをもってこっちにおいで」


彼女は何故かとても愉快そうに笑いながら頷くと、僕を手招く。

それに素直に従った僕は、彼女に本を手渡すと近くにあった椅子へと腰掛ける。

パラリと紙が捲れる音がして、表紙が開かれる。

その瞬間、どこかで嗅いだことのあるような、焦げた臭いがした。






これは、昔ある村にいた庄屋の娘と、その娘が大切にしていた人形の話さ。


そこは小さな村で、庄屋と言ってもそんな大そうなもんじゃなかったが、その村では一番の金持ちの家でね。

彼女はその家の一人娘だったのさ。

早くに母親を亡くし、父親と数人の使用人に育てられた彼女は美しく、とても優しい、気立ての良い娘で村でも評判だった。

女に学は必要ないと言われた時代、それでも彼女は父親の手伝いをする為に勉学や仕事に励み、一生懸命父親を支えた。

父親も娘を大切にし、使用人も村人も、そんな親子を尊敬し敬い、その村は豊かではなかったけれどとても平和だったという。

ある時、遠くの町から行商に来ていた青年が娘に恋をした。

青年は真面目で、よく働き、よく村人の手伝いをすると村での評判も良く、娘も青年を憎からず思っていた為、二人の仲は周囲の人々に見守られながら、穏やかに深まっていった。

季節が一巡りする頃、青年は娘の父親を訪ね娘と夫婦(めおと)になるための許しを乞うた。

父親も、青年が相手ならばと、青年が婿入りすることを条件に青年の申し出を受け、青年もその条件を呑んだ。

そうして晴れて、二人は夫婦となった。

お互いを想い合う二人は、村一番のおしどり夫婦として評判で、誰もかれもがそんな二人の永久(とわ)の幸せを信じて疑ってはいなかった。

けれども幸せは、一年と続きはしなかった。

父親と青年が仕事で都に行ったその帰り道、盗賊に襲われたのさ。

青年は父親を逃がすためにその身を投げ出し、その命を落としてしまった。

怪我を負いながらも逃げ果せることの出来た父親は、娘に向かって何度も何度も泣きながら頭を下げた。

娘は、悲しくて悲しくて仕方なかったが、そでれも父親を気遣い気丈に振る舞った。


「とと様、私は、誰も恨みませぬ。

だから、とと様の事も、許します。それをあの人も望む事でしょう。

それに、この子の為にも、私は誰も恨まず、心穏やかに在りたいのです。」


そういって、彼女は愛おし気に己の腹を撫でた。

娘は、青年の子を腹に宿していたのさ。

愛する人とのややこの為にも、自分は強く生きていこう、そう思っていると、涙で頬を濡らしながらも微笑んだ娘を更なる悲劇が襲う。

安産祈願に使用人と共にお参りに行った帰り、使用人が誤って娘にぶつかって、娘は階段から転がり落ちちまった。

娘の命は助かったものの、ややこは流れ、娘の美しかった顔にもひどい傷跡が残った。

愛する者を失った娘にとって、夫の忘れ形見であり唯一の縁でもあったややこすらも失っちまった現実は耐え難く、そこで心を壊しちまったのさ。

毎日毎日、自分の腹をさすってはもういないややこに声を掛ける。


「ほぉら、今日はお天道様が心地よいから、ややもさぞ心地よかろう」


「今朝は少し冷えるねぇ、ややは寒くないかえ?」


「やや、かか様の大切なやや。

はよう出ておいで。その可愛いお顔を、かか様にみせとくれ。」


そんな調子で、へこんで空っぽになった腹をさすり続ける娘が哀れで、生き残ってしまったのが年老いた自分だったことも相まって、父親は娘に、一体の人形を与えたのさ。

綺麗な藍色の着物を着せたその人形は、近くの村で人形作りを生業にしていた職人に頼み込んで作ってもらったものでね。

目や鼻の形は、夫であった青年に。

口元や髪の色は娘に似せて、二人の子供が生まれたら、きっとこんな顔をした子だったのだろうと、誰もがそう思うほど精巧に作られていたそうだ。

ある朝、目が覚めた娘に、まるで娘が本当に出産したかのように祝いと労いの言葉を掛けながら、父親は娘に人形を手渡した。


「あぁ、あぁ、あぁ、私のやや。

あの人と、私のかわいいやや。」


男児の人形を抱いた娘は、幸せそうにうっとりと微笑み、ぬくもりのない人形の額に頬ずりした。

泣きもしない赤子に疑問を抱くこともなく、娘は人形の世話を甲斐甲斐しく焼いた。

飲みもしない乳を与え、汚れもしないおしめを変え、泣きもしない人形をあやし、まるで、本当に赤子を世話するように、娘は人形を大切にした。

父も使用人も、村人も、そんな娘を哀れんだが、次第に気味悪がる者が増えていった。

人形を抱きかかえ、村を徘徊する娘の美しかった(かんばせ)は大きな傷も相まってすでに面影なく、幽鬼のようにしわがれ落ち窪み四肢もやせ細っている。

そんな有様にも関わらず、人形を抱く娘の顔は幸せに恍惚として、黒曜の瞳はぎらぎらと鈍く光っていた。

ある夜、娘の有様に耐え切れなくなった父親が、使用人に命じて娘が寝静まった頃に人形を持ち出し燃やそうとした。

しかし寸でのところでそれに気づいた娘は半狂乱になり、鉈で使用人を切り殺した。

その後も娘は人形に危害を加えようとするたび、狂ったように暴れまわり、何人もの使用人や村人を殺めていった。

これ以上娘を庇いきれないと、父親は人形毎、娘を焼き殺すことにした。

娘の食事に薬を混ぜ、深く眠りにつかせると、娘の暮らしていた離れに火を放った。

ごうごうと、星もない闇夜に燃え盛る炎が揺れる。

せめて、黄泉の国で再び青年と流れていった赤子と、今度こそ永久に幸福であるよう祈る父親の耳に、怨嗟の声が届く。

燃え盛る炎の中から、体を焼かれながらも人形を抱いた娘が、恨みのこもった目で睨めつけながら呪いの言葉を吐いていた。


「ゆるさぬ、ゆるさぬ。

私からあの人を奪っただけでは足らず、ややまで奪った。

せめてもの慰みにとこの子を与えたかと思えば、それすらも奪おうとする。

許さぬ、けして許さぬ。」


青年が死んだのは、娘に懸想していた隣の町の男が金で雇った賊に襲わせたせいであり、父親も、男に金を握らされそれを黙っていたのだった。

ある夜、深酒をして酔っぱらった父親が、娘が聞いているとも知らずに話しているのを、偶然聞いてしまった。

お腹のややこが死んだのは、美しく村一番の人気者であり、密かに慕っていた青年を奪い去っていった娘に嫉妬した使用人の女が、わざと娘を階段から突き落としたせいだった。

娘の心は憎しみでいっぱいだった。

それでも、自分を愛してくれた青年に顔向け出来ぬような真似はするまいと心を壊しながらも、周りを恨むまいと生きてきた。

それなのにそれなのに!

人々は娘のそんな思いを踏みにじり娘から全てを奪っていく!


「たとえ我が身が焼け落ち朽ち果てようとも、この恨みは幾月幾年絶とうと消えはせぬ!

貴様らをけして、許しはせぬ!!

その魂が何度生まれ変わろうとも!呪って祟り続けてやる!!!」


そう絶叫すると、娘の体は灰になって消えてしまった。

後に残ったのは、頬が煤けた、男児の人形ただ一つ。





「その後、どうなったかって?」


話し終え、ふぅっと息をついた彼女は、僕をみてにんまりと笑う。

またしても心の中を読まれたらしい。


「村はその後、災害や疫病が蔓延して、それが娘の祟りだと近隣の村や町に噂が広がり滅んだらしいねぇ」


気になったのはそこではないと、わかっているだろうに。

彼女は意地悪そうにニヤニヤとしながら言ってのける。

じとりと彼女を睨みつけると、参ったと言わんばかりに肩を竦めてみせて、頬杖を突きながらまっすぐと僕をみつめた。

金色の瞳に、藍色の着物を着た、頬の煤けた男が写っている。


「人形はその後、近くの寺に供養に出されたらしい。

でも、人形はすぐに寺を抜け出してしまった。母親を探すために。

その後も何度も人形は人の手に渡っては寺に納められてきたけれど、その度にまた抜け出してはどこかへ消えちまうんだとさ」


先ほどまでの、愉快そうな表情が消え、感情のない声で、淡々と紡がれる。


「狂っていながら、いや、狂っていたからこそ、人形に、我が子に注ぐはずだった愛を注ぎまるで生きているかのように扱った。

人形はヒトガタ。

呪いでも良く用いられるし、厄除けや身代わりに使われることもある。

人の形をしているからこそ、そこには良くも悪くも念が籠りやすい。

それも、純粋無垢な赤子を模った人形だ。

人形は、自分を人間だと思い込み、消えてしまった母親を探して、長く永く、彷徨っている。

母親を殺した者たちの魂を持つ人間の命を奪いながらね。」


彼女の言葉に、ぎくりと心臓が跳ねる。

跳ねる、気がした。

カクカクと軋んで動かしづらい腕を持ち上げて、胸に押し当てる。

そこから、心臓の鼓動は伝わってこない。

持ち上げた手を、顔の前に持ってくる。

人間とは違う、関節が球体になっている、人形の手が見えた。


「ア、ァ・・・」


ソウダ。

ボクは、ずっと、彷徨っていた。

カカ様が目の前で炎に包まれて消えてしまったあの日から。

カカ様の、最後の慟哭を頼りに、カカ様の恨みを晴らしながら、ずっとずぅっと、カカ様を探していたんだ。


「カ、カ、サ、マ・・・ド、コ・・・」

「さぁてね。

地獄で閻魔様にでもお仕置きされてるか、あの世で旦那と再会してよろしくやってるのか・・・

そんなことは、誰にもわかりゃしないさ」

「ボ、ク、モ・・・カ、カ、サ、マ、ノ、ト、コ、ロ、ニ・・・」

「逝きたいのかい?

ま、いいだろう。あの子のお願いでもあるしねぇ。

熱いだろうけど我慢しなよ?なぁに、すぐにカカ様に会えるだろうさ」


そういって、彼女は煙管を手に取り、僕の前までやってきた。

にんまりとした笑みを浮かべながら、深く煙を吸い込むと、ふぅっっと僕に吹きかける。

途端、青い炎に包まれる。


「アァァァァァ!!!!アツイ!アツイィィィィィ!!!!」


店内を絶叫が木霊する。

炎に包まれのた打ち回るのを、店主は愉快そうに見下している。

やがて絶叫がおさまると、そこには頬の煤けた一体の人形が転がっている。


「まぁ、カカ様はお前の中にいるんだから、会える訳ないけど・・・って、もう聞こえちゃいないね。」


転がった人形を抱き上げ、椅子に座らせる。

母親の念が取りついた人形は、自分を人間と思い込み、母を探して彷徨っていた。

己の存在こそが、母そのものであることにも気づかずに。

店主の女が人形を眺めていると、カランカランと店のベルが鳴り、来客を告げる。

入ってきたのは作務衣を着た青年。

椅子に座っている人形を見ると、足早に近寄りまじまじと人形を眺めだす。


「見事に空っぽになったな。流石」

「まぁ、中身はモノを知らない赤子と同じだからね。

消しちまうくらい訳ないさ。

報酬はいつも通り、あんたんとこの書庫のどれか一冊、面白いのを頼むよ」

「へいへい。

また今度顔を出した時な。」


そういうと、作務衣を着た男は持ってきた木箱に人形を入れ店を後にした。


「今後とも、噺堂を、御贔屓に」


にんまりと笑って、店主は店の奥へと消えていった。







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