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06.スティーヴンは諦めたくない

 後悔。


 そんな言葉では表しきれない何かが胸中に渦巻き、足元が定まらない。

 でも、それでも。まだ間に合うかも知れない、という考えが頭から離れない。

 精一杯謝罪し、心を入れ替えた姿を見せれば、きっと。


 だって、彼女は優しいから。


 今まで許してくれたのだから。

 自分が頭を下げさえすれば、彼女は受け入れてくれるはずだ。

 そうだ、反省し、愛を伝えれば、いずれは……。




 アンリエットに会ったその日、スティーヴンは恋に落ちた。


 柔らかそうなほっぺたを桃色に染め、恥ずかしそうに微笑んだアンリエットの瞳は勿忘草の花のような可憐な明るい青色で。

 柔らかい薄茶色の髪はとろりと甘そうで。

 ずっと眺めていたいと思うほど魅了された。


 なのに、スティーヴンは素直になれず、「ありきたりでつまらない髪の色だな」と言って、アンリエットの青色の瞳に水の膜を張らせてしまった。

 ずっと俯いていた彼女は知らないだろう。そのときのスティーヴンがどんな表情をしていたかなんて。

 自分の両親と、彼女の両親はそんなスティーヴンの味方になってくれたが、その結果こそが、アンリエットを傷付けることになってしまった。


「神様、どうか」


 信じたこともない存在の名を、口の中でなぞってしまう。


 時間が戻るならば、己の何を差し出してもいいから。

 天が叶えてくれるわけがないと知っているのに、願わずにはいられない。




 ◇◇◇




 ---------------------


 フェアチャイルド侯爵閣下


 ずっと想いを寄せていた方と一緒になります。私のことは、フェアチャイルド姓から除籍してください。


 私にも幸せになる権利はあります。あるはずです。

 ですが、ここにいては私は幸せになれません。

 だから出て行きます。

 少しでも、私を想う気持ちがあるのならば、もう放っておいてください。


 さようなら。


 アンリエット


 ---------------------




 ◇◇◇




 スティーヴンの想い人であり、()婚約者候補であるアンリエット・フェアチャイルドが男と駆け落ちした。

 スティーヴンがその知らせを受けたのは、その日の昼過ぎだった。


 執務を抜け、小一時間ほどフェアチャイルド侯爵家に行こうかと思っていた矢先、フェアチャイルド侯爵からの面会希望があると伝えられた。


 もしかして、アンリエットと話せる場を設けてくれたのだろうか。


 フェアチャイルド侯爵や、その息子──アンリエットの兄であり、親友でもある彼が、彼女を説得してくれたのだ。

 そう思った。

 あの二人は、いつもスティーヴンの味方でいてくれたから。素直になれないスティーヴンを励まし、慰め、応援してくれたから。


「ああ、やっと、会える」


 思わず漏れ出た言葉に、幼い頃からスティーヴンに付いている側近は固い表情を見せた。


 スティーヴンがその表情の意味を知るのは、少しだけ未来の話である。




 ◇◇◇




 これは夢だった、ということにできないだろうか。


 目覚めたとき、自分と彼女はまだ八歳で。場所は王宮のガーデンで。


 フェアチャイルド侯爵と親友は、「自分のせいだ」と己を責めていたが、一番悪いのはスティーヴンだ。

 フェアチャイルド侯爵は憔悴しきっており、「どうか、娘のことはお忘れください」とだけ告げた。

 親友も己の行動を反省したのか、「もう協力はできない」と項垂れていた。


 しかし、スティーヴンは手放すという選択肢を持てなかった。


 だって、九年も想っていた相手だ。

 そう簡単に諦められるはずがない。


 許可がなくても結婚ができると言われているウェストブルック領にあるメイウェザー教会。

 彼女が向かったのは、そこだろう。

 彼女の部屋の前で立っていた護衛の男の一人が分厚い扉に耳を付け、聞こえた単語にあったのが『駆け落ち』『メイウェザー』『恋人』だった。


 人はすぐに向かわせた。

 そして、見つけ次第報告させるようにと指示を出した。


 アンリエットは、王子である自分の婚約者候補であったため、他家の令息との交流がまったくと言っていいほどない。

 つまり、駆け落ち相手はフェアチャイルド侯爵に仕える者である可能性が高い。


 アンリエットは生粋の令嬢だ。

 きっと、駆け落ち相手の口車に乗らされてしまったのだ。そうに違いない。

 お嬢様育ちのアンリエットには、逃亡したその先で暮らしていける覚悟はまだ固まっていないし、平民として暮らしていくなんてことは不可能だ。

 そうに決まっている。


「必ず、見つけ出す」


 そして、今度こそ。

 と、そんな決意を固めたさき、誰かがノックもなしに入室してきた。


「この世の終わりのような顔をされていますね、兄上」


 それは、十歳違いの弟・フェリックスだった。


「兄上が、アンリエット嬢のことを好きだとは気が付きませんでした」


 スティーヴンが返事をせずにいると、フェリックスは、すとんと向かいのソファーに腰掛けた。


「あんな酷い態度を取っているので、ぼくはてっきり兄上がアンリエット嬢のことを疎んでいるのだと思っていました」


 フェリックスは、意図的に言葉を重ねているようだった。


「でも、ぼくはアンリエット嬢が兄上のお嫁さんになってくれればいいなあと思っていました。テストの成績が一番だったからという理由ではありません。あの方が一番ふさわしいと思ったからです」


 スティーヴンもそう思っていた。


 現在残っている婚約者候補の二人は苛烈な性格をしており、彼女らの目をアンリエットに向けないための策だった。

 側近には、「それをアンリエット様に伝えなくてもいいのですか?」と何度も言われていたが、スティーヴンがアンリエットにそれを伝えることは、ついぞなかった。


 いや、見つけ次第、伝える!

 今度こそ、自分の気持ちを分かってもらうのだ!


 もう何度目か分からない決意するスティーヴンに、弟が放った言葉は、とても辛らつなものだった。


「まあ、ぼくがアンリエット嬢なら兄上と結婚はあり得ませんけどね」


 ふふっ、と笑うフェリックスの声は明るいが、その表情はとても冷たいものだった。


「兄上は、結婚後にアンリエット嬢に優しくするつもりだったのでしょうか? 今までのことを水に流し『これからはお前だけを愛そう』だなんて馬鹿なことを言うつもりだったのでしょうか? 貴族令息達が、候補者とはいえ第一王子の妃になるかも知れないアンリエット嬢をダンスに誘うわけがない、と高をくくり、アンリエット嬢を壁の花にして、他の候補者とはダンスを踊り、笑いかけ、その光景を見ているであろうアンリエット嬢の表情を確認していたのでしょうか? そして、『ああ、彼女は俺が他の候補者と踊っていることに傷付いている』と安堵していたのでしょうか? 傷付くということは、彼女は自分に気持ちを向けてくれている。そう思っていたのでしょうか?」


 弟の言葉は、一つ残らず胸に突き刺さった。


「いい勉強になりました。兄上は、ぼくにとって得難い反面教師です。ぼく()、自分の大事な人にはうんと優しくしようと思います。こんな風に思えたのは兄上のおかげです。本当にありがとうございます」




 ◇◇◇




 フェリックスは婚約者であるコンドリーザの授業が終わったと同時に、扉をノックした。


 兄・スティーヴンと違い、第二王子のフェリックスには婚約者候補ではなく、婚約者がすでにいる。

 まあ、年齢の近い高爵位の令嬢がいないという理由もあるのだが。


 コンドリーザはハンティントン侯爵家の娘で、フェリックスより一つ年上の十歳の少女だ。


 女児のほうが男児より成長が早く、同年代の少女達よりも背が高いコンドリーザは、当然フェリックスよりも身長が高い。

 そのことを、彼女はとても気にしているらしく、いつも踵が低い靴を履いている。

 早くコンドリーザより大きくなって、彼女に踵の高いヒールの靴を贈ることは、フェリックスの数ある目標の内の一つだ。


「リーザ、休憩しない?」

「フェリックス様……。でも……」

「リーザの好きな紅茶を用意したんだ、飲もうよ。それに、休憩したほうが効率がいいよ」

「じゃあ、少しだけ」


 コンドリーザはとっても頑張り屋なので、根を詰め過ぎてしまう。



 席に着くと、コンドリーザは小さく息を吐いた。


「リーザ、どうしたの?」

「ごめんなさい。溜め息なんて」

「ううん、謝らないで。ただ元気がないなって思って気になってさ。何か悩み事?」

「悩み事というほどのものじゃないの」

「それでもいいよ。何でもいいから言ってみて?」


 フェリックスが「ね?」と言って促すと、コンドリーザは「算術の授業に付いていけなくて」と消え入るような声で言った。


「先生が厳しいの?」

「ううん、先生はとても優しいよ。教え方も丁寧だし……。ただ、私の理解が悪いの」

「そっか。でもさ、リーザは語学が得意じゃない? 第一外国語は、ぼくよりもずっと成績がいいし。今勉強中の第二外国語も順調って聞いてるよ」


 そして、フェリックスは「あのね」と、笑顔で続ける。


「ぼくは、算術が得意だけど語学は苦手で、リーザは語学が得意だけど算術が苦手。ねえ、苦手なところは得意なほうがカバーすればいいんじゃないかな。……全部、ぼくに任せてって言えないのは情けないけど」

「……フェリックス様」

「助け合って生きていこうよ。だって、ぼく達はずっと一緒に過ごすんだから」


 だめかな? と問えば、コンドリーザは即座に「ううん」と首を振る。


「だめじゃない。フェリックス様に頼ってもらえるなら、私、嬉しいもの」

「ぼくもリーザに頼られたら嬉しいよ。だからさ、何か困ったことがあったら言ってよ」

「じゃあ、さっそく算術について聞いてもいい? どうしても納得いかないところがあって」

「もちろん」


 肩の力が抜けた様子で微笑むコンドリーザに、フェリックスも同じように口元を緩めた。

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― 新着の感想 ―
本来なら支えあってお互いの苦手を補えて国を発展させるのが王族としては良い関係なんだけど何故か王族の方がなにも出来ないで婚約者だけに押しつけていく愚物がいるのも確かなんよねえ
諦めが悪すぎるあたりホントカビだな カビって本当にしつこいから
フェリックス君きゅうさい!? い、イケメェェェン……。 カビと兄貴は見習って! 父親は母親も同じ穴の狢だったし、普通に夫婦仲は良かったんだろうな。
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