13.アンリエットは幸せを更新し続ける
妹のモナからの手紙は、便せんにして十八枚だった。
最初の十一枚は、婚約者・ケヴィンとどこそこに行っただの、何を貰っただの、彼とどれくらい仲が良いかの報告で占められており、残りの七枚がようやく近況報告だった。
アンリエットはそんなお惚気報告書という名の手紙を、リオンと並んで読んでいた。正確には、彼を座椅子代わりにして。
「『お姉様の除籍は、やはりしないそうです』だって。もうっ! 除籍してもいいのに」
モナの『お願い攻撃』は父と兄には利かなかったようだ。
おかしい、アンリエットには一撃必殺なのに。
アンリエットが口を尖らせると、リオンが「いいだろ、別に」と言って、次の手紙を捲った。
「よくないわ。二人とも、まだ私達のこと、認めないって言っているみたいだし」
正しくは、『平民出身の男なんて認めない』と言われている。腹立たしい……!
「お義父さんもお義兄さんもアンリエットのことが可愛いんだよ。それに、何かあった時のために保険はあった方がいいだろ?」
「何かって……? 嫌よ。やめて。縁起でもないこと言わないで」
「言葉の綾だって」
「それでもよ」
ぺちりとリオンの腕を叩くと、彼が笑った振動で体が揺れた。
アンリエットの機嫌を取るように頭を撫でる手が優しいので、今日のところは許すが、次はないぞ(ある)。
──あの公開プロポーズから一か月後の今日。
アンリエットは、求婚を受けたその足でリオンと二人きりで教会へ赴き、誰に止められることもなく夫婦となっていた。
だから、父と兄が二人の結婚を認めないと言っていったところで「あっそ。で?」の一言で終わったりする。
そんな訳で、WEB小説あるあるの『お互いに拗れた勘違いをしたままの初夜』など起こるはずもなく、二人は超ラブラブでハッピーな初夜を終え、新婚休暇をまるっと一か月もらった二人は、明日からお仕事が再開する。
ああ、ずっと、イチャイチャしていたい。
新婚休暇が三年くらいあればいいのに、と思うアンリエットである。
トリッシュやソレーヌ夫人等、その他複数の既婚の諸先輩方からは「そんなのは今だけよ」なんて冷めた口調で言われるが、ならば尚のことイチャイチャできる内にしておきたい。
だって、脳内お花畑馬鹿になれる期間は短いのだから、楽しまなきゃあ損ではないか。
「『お父様とお兄様は、お母様によってみっちりぎっちり教育されたため、スティーヴン殿下を擁護する発言をしなくなりました』って書いてるしさ、そろそろ手紙くらい出してやってもいいんじゃないか?」
「……」
「なあ、意地張ってると後悔するぞ」
「……」
「俺は、アンリエットに後から『こうしていたら良かった』なんて思ってほしくない」
両親を亡くしているリオンの言葉は、アンリエットの中にずっしりと沈んだ。
それに、分からず屋の父と兄だが、彼らの行動は愛ゆえだ。許せないところもあるが、話し合ってなんとかできるのならばそうしたい。
「……分かったわ、モナに伝言を頼んでみる……」
「うん、それがいい」
小さな声でごにょごにょ言葉を返すアンリエットに、リオンが安堵の息を吐く気配を感じて、もう何百回目かの幸福感を覚えた。
前世を思い出してから沸点が低くなったアンリエットにとって、リオンの存在は有難い。とっても頼りになる。好き。
と、なったところで、さあ手紙の続きを読もう。
なんてたって、可愛い妹からの手紙なので。
「『スティーヴン第一王子殿下は、先週行われた園遊会にてたまたま落ちていたバナナの皮に足を滑らせ、記憶喪失になったそうです。そして、今ではその時第一王子殿下を介抱したジェラルディン・フュジット様と恋仲です』」
WEB小説〈婚約者候補を辞退したら、溺愛が始まっちゃいました~私のことが大好きな王子様は好き避けをしていたようです~〉の流れ通りだ、と理解した途端、アンリエットの口角はにんまり上がった。
「なあ、園遊会の会場で、バナナの皮がたまたま落ちてるってことはよくあるのか?」
「そうねえ。私の記憶の限りでは一度もないけれど、絶対あり得ないって言い切ることもできないわね」
「てことは、これって……解決したのか? あのカビがもう来ないって安心していいのか? ……いや、記憶が戻る可能性もあるよな、うん。気は緩めない方がいいな」
ぶつぶつ言うリオンに、アンリエットが「前にも言ったけど、そんなに心配しなくてもいいわよ」と返すと、「心配するに決まってるだろ」と拗ね気味に抱き締められた。
愛している男から向けられる心配と嫉妬に、アンリエットは思わず笑ってしまう。
こんなふうに抱き合っていられる今が、ただ素直に幸せだった。
◇◇◇
「アンリエット、手紙が来てるぞ」
「ありがとう! モナね!」
アンリエットはソファーに体を預けながら、リオンから受け取った封筒をさっそく開封する。
「相変わらず分厚いな」
「ええ、読みごたえがあるわね」
中には、半年前にリオンに言われて(仕方なく)許した父と兄の手紙が入っていた。もちろんモナと母とポリーからの手紙も漏れなく入っていた。
「──皆、元気でやっているみたい」
アンリエットの言葉に、リオンが「そうか」と柔らかい口調で言葉を返し、「ええ」と、アンリエットが穏やかに同意するが──
「あらあらあら……」
モナの手紙の続きを読んで様子が変わる。
理由は、ケヴィンとラブラブデートをした、と書いてある次の行に書かれている文章のせいである。
「どうした?」
「……その、ね」
リオンに尋ねられたアンリエットは、言葉を言い淀む。
それは、今ですら過保護なのに、これ以上過保護になる可能性があるからだ。
でも、リオンにじっと見られると、答えざるを得ない。
「……カビ、じゃなくて、スティーヴン殿下がジェラルディン嬢とお別れしたって……」
モナの手紙には、『スティーヴン第一王子殿下は、運命的な出会いをした伯爵令嬢、ジェラルディン・フュジット様と早過ぎる破局を迎えました。詳しいことは同封するゴシップ紙の切り抜きをご覧ください』と書いてあり、同封されたゴシップ紙の切り抜きを読めば、カビ王子が振られたという内容が記載されていた。
どうした、物語! と心の中でツッコミを入れたが、自分も物語に逆らって逃げた口なので、何となく、ジェラルディンの気持ちを察することができた。
「白馬の王子様を夢見ていた深窓のお姫様には、お気に召さなかったのね」
分かるわあ、力不足よねえ、と会ったこともないジェラルディンに全力の同意をしていると、何やらリオンがただならぬ空気を放っていた。
「あの、リオン? 大丈夫?」
「……やっぱり、あの王子殺してくる」
「えっ! 嘘。待って待って待って! 待って、リオン!」
くる、と踵を返すリオンを、アンリエットはソファーを降り慌てて呼び止める。
「止めんな」
「止めるに決まってるでしょ! ……ぐぬぬぅ! こんの、ゴリラァ……! 重いぃぃぃ」
ずんずん歩くリオンの腕を引っ張るも、彼は止まらない。
「リオン、あなた、父親になるのよ!! この子の親を殺人者にするつもり!?」
ぐぬう、と引っ張りながら叫ぶと、ハッとしたリオンが慌てて向き直り、反動でよろけそうになったアンリエットを抱き締めた。
「ごめん……つい、カッとなった」
「仕方ないから許してあげるわ。でも、もう二度とこういうことはしないでね!」
「……」
「返事をなさいな。仕方のない男ねえ」
むつけ顔のリオンをソファーまで連れていったアンリエットは、破局内容が書かれている切り抜きを「最後まで読んで」とリオンに押し付けた。
カビ王子が振られた、と記載されている記事には、続きがあるのだ。
それは、新たな熱愛だ。
カビ王子の新しいお相手は、市井の髪結い見習いの娘だそうで、エリザベス公爵令嬢とモーリーン侯爵令嬢──この二方が、昼ドラも吃驚な苛烈な虐めをしているとかいないとか。
もっとも、この二人については、別の話もある。
モナが父の書斎前で盗み聞きしたところによれば、王子妃に選ばれること自体は、すでに内々に決まっているらしいのだ。
問題は、どちらが未来の第一王妃で、どちらが第二王妃になるのか……。
どうやら今は、その座を巡って、どえらい綱引きが続いているようだった。
何にせよ、彼女たちの九年が報われそうで安心した。意地の悪い二人だったが、性格に難ありなだけで犯罪者ではないのでアンリエットの知らないところで幸せになってほしいと思う。
さてさて、ゴシップ記事は大袈裟に書かれる傾向があるが、まるっきり嘘も書かないので話半分で聞くにしても、カビったら、もう。さすがカビていても王子なだけあり、おモテになる。
美貌の王妃様の遺伝が無かったら事実カビ野郎なので、しかと感謝した方がいい。
きっと、市井の髪結い見習いの娘との恋がなくなっても、カビには新たな相手が現れるのだろう。
仮にその先で、また痴情の縺れやら何やらが起きたとしても、カビにはフェリックスという優秀な弟がいる。国政を任せる相手が他にいるというだけで、随分と気は楽だ。
「読んだけど、やっぱり不安だな。あの王子がいつ記憶を戻すか、と思うと……」
「大丈夫よ、リオン」
「何を根拠に」
「あのね──」
眉間に皺を寄せるリオンに、アンリエットはしれっと嘘を吐くことにした。
「殿下の記憶は、戻らないのよ」
「え?」
「殿下、国を三か月も空けたでしょう?」
「そうらしいな」
カビ王子は、自国・フィルモアネガン国からティヴィソル国への移動に往復二か月と、他潜伏期間を併せた合計約三か月もの間、ティヴィソル国を空けていた。
「そのことで、執務が滞って大変だったみたいなの。殿下は、あれでいて書類仕事ができたから。でね、今後同じことが起こらないように、殿下の記憶が戻ったら、また記憶を消してしまおうってことにしたそうなの。ああ、これはフィルモアネガン国の超秘密事項だから他言無用よ?」
「え、こっわ。記憶って消せんのかよ」
「ええ、そうなの。怖いわよねえ」
「こええ……でも、まあ、そういうことなら、うん、分かった」
納得した夫の顔を見て、アンリエットは小さく息を吐いた。
今の話を、ひとまず信じてくれたらしい。そう受け取っていい反応だった。
過剰な心配が一段落したのだと分かり、肩の力が抜ける。
少なくとも、この話題はここで終わりにできそうだ。
心配されることも、守ろうとされることも、いつの間にか日常になっている。
かつてのアンリエットは、求められる役をこなすことが正解だと思っていた。
期待に応え、角が立たないように振る舞い、嫌われない位置に留まる。
そうしていれば、少なくとも居場所を失わずに済むと信じていた。
けれど今は、そう考える必要がなくなっていた。
誰かの判断を待つまでもなく、ここにいる理由がはっきりしている。
隣にいるこの男を。
この場所で生きる未来を。
誰の物語でもない、自分自身の人生を。
腕の中にいるリオンの体温は確かで、穏やかで、逃げ場のないほど近い。
それだけで、十分だった。
物語に抗ったのではない。最初から、誰かの筋書きに乗るつもりがなかっただけ。
そして今日も、アンリエットは自分の選択を後悔していない。
なお、この二十年後、長男が勇者しか引けない剣を抜くだの、次男が隣国の姫と結婚するだのとなんやかんやあるが、それはまた別の話である。
ちなみに、アンリエットが吐いた方便の嘘もこの頃にバレたが、スティーブンの記憶は戻らないままだったのでアンリエットが「ほらね」とどや顔を披露する結果となったとさ。めでたしめでたし。
【完】




