接敵
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青年は気がつくと空中で錐揉みしている最中だった。
回転する視界の隅で獣が迫りくる。街道を両者に挟む形で、その距離は確実に狭まりつつあった。
右手には兵士から拾った剣。
《帝国制式短剣 攻撃44 会心0》
女神曰く、自分はこの世界では物に触れることでその詳細を確かめることができる。
はじめに触れた際一瞬躊躇ったのは情報が頭に流れ込む違和感からだった。
地面に身体が打ち付けられる。獣がそこに傾れ込む形で青年と猪は衝突した。ぬかるんだ土が滑り街道脇に生える杉の大木が全てを受け止める。
前回はこれで腹を潰されて即死したはずだった。が、まだ意識が続いていることに気がついた。
鈍い痛みこそあるものの死の感覚とは遠い。
因果を操作する…なるほど。女神の言葉は本当だったようだ。
腹部に目をやると、ちょうど蹄と蹄の間を掻い潜るようにして胴が挟まっている。
もしほんの少しでも左にそれていたならば。
ほんの少しでも獣が早く突進してきていれば。
ほんの少しでも土の緩み具合が違っていれば。
その因果の結びつきが微妙に絡み合い自らの死を回避していた。
これが自分に与えられた能力。
死を回避する力だった。
化け猪ともつれあった体勢のまま剣を逆手に持ちかえる。
自らの足を相手の首もとにからみつけるようにすると、何度も刃を振り下ろした。
一度、二度、三度。蛮族が首を狙ったのを真似る。
狙いが外れ浅いと感じた箇所から場所を変えて刺し貫いた。回数に比例するようにして赤い血が吹き出す。
むせかえるような獣臭と血の生臭さを嗅いだ。
その間にも相手はこちらの腹を足を打ちつけて抵抗した。
一瞬でも気を抜けばたちまち状況は逆転するだろう。
剣の柄にしがみつく。
胸部を激しく打たれ呼吸が止まった。一瞬視界が暗くなり痛みに足が緩みそうになる。
今離れれば間違いなく相手は自分を踏み潰しにくる…歯を食いしばり首の下を捉えた剣の刃を抉ることで報復する。
それが効いたのか、抵抗する力が弱まっていることに気がついた。
もうひと押し…脂で滑る拳で柄頭を殴り込んだ。深く、深く、刃を突き通す。
悲鳴。
甲高くしゃがれた獣の声が響く。
そのとき、命が空気に拡散する音を青年は聞いた気がした。
獣が動かなくなるのを確認してやっと柄を離した。まだ温度を保ったままの血液がワイシャツの色を変えている。
疲労と打撲で震える身体を揺すり起こして立ち上がる。
今回は生き残ったのだ。
鈍い頭のまま安堵した。それが間違いだった。
生まれたての子鹿のごとく立ち上がるのに苦戦していると、すぐに次の猪が突進してきて死んだ。