揺れ
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揺らぐ視界の中、怪物は己の中に不和を感じていた。
同族の長にして食物連鎖の覇。
その意に反するものは悉く踵の下に落としてきた。全能の感覚に獣は満ちていた…筈だった。
硝煙を吸った嗅覚が痺れる。
後脚の奥深くまで突き抜ける激痛は少なからず思考を鈍らせた。
牙の間を熱の篭った息が通り抜ける。
歩を進めるたび、流れ出る緋色が渓流に広がった。
同胞の躯は罠から気を逸らすための見せかけとして利用されていた。自らが地に臥したあと、狩人は追撃として弾ける装置に火を撒き、あわよくばこの首を取ろうとした。
罠から抜け出し、攻撃をかわした獣は改めて冷静な分析を再開させようとする。
だが、再開した先で自らを引き留める何かがあった。
その何かは吹き荒ぶ嵐のように繰り返し何度も自我を、肉体を拘束する。振り払おうにも実体がなく、ただその冷たい四肢に囚われ続ける。
ようやく取り戻した聴覚に情報。
狩人の足音。
音の方角に牙を振る。手応えはない。が、踏み込んだ先の地面がわずかにたわんだことに獣は気がつく。
弾けるような音が脳裏を掠めた。
反射的に前脚を退けるが、罠の気配はない。
蘇る後脚の鈍痛。
獣は自らの消耗から生じる焦りを自覚する。
そこでようやく、怪物は違和の片鱗を認識した。
全能の自負は意に反するものが存在しないときにこそ実現する。
その前提が崩された時こそ、自負はその他の有象無象と変わらないものとなる。
有象無象とは全能を向けられる弱者。弱者を縛る冷たい腕…
怪物は、生まれて初めて死の恐怖を感じていた。




