銀嶺
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「さて…これで全部か」
力尽きた猪に刃を突き立てながら青年が言った。
クロノが依頼した殿猪の八頭。
その最後を罠にかけ始末したところだった。
夜の帳は残り惜しそうに腰を上げていた。すぐそこまで迫る朝に急かされて。
「どうだ、まだ気配はするか」
両の耳を立てて音を探っていた少女は瞼を開く。
「…足音は止んだ」
「そうか」
二人とも見てくれは悲惨だった。
手足の感覚はとうにない。
重量を倍にするほど獣の血液を吸収した革や布は身体の温度を奪うばかりか、鎧を接着するようにして動きを鈍くする。
ぎこちない足取りのまま、少女は弓砲を背に回した。
既に持ち込んだ弾丸は尽きている。消耗は甚大だった。
それでも、渓流に散らばった獣よりかは良いと言えるだろう…少女は足元の亡骸を見やる。
横たわった猪は前脚と牙を欠損していた。
弾丸と剣から受けた生々しい傷がその最期の凄まじさを物語っている。
脈絡なく、青年が振り返った。
「戻るぞ」
「どこに」
「村だ。今すぐ」
急かすような青年の言葉に山田は違和感を覚える。
「なぜ…」
「今。すぐだ」
語尾を強める声音。これを聞くのは二度目だった。
「ハンター、何を急いでる?」
ハンターという職業は出来高報酬だった。
成果を期待されて契約を行い、その成果を届けて初めて取引が成り立つ。採集を依頼されたならば素材を届けて検分を受け、狩猟討伐を依頼されたならば契約元の目視を仰ぐ。
青年の言動は自らの成果を放り出すことに他ならなかった。
「急いでいるように聞こえるならその通りだ。少なくとも拠点には移動するぞ」
青年は言うなり日の昇る方向に足を向ける。
「ハンター」
「…」その背は呼びかけに応じない。
「ハンター!」少女は歩を進める青年の腕を掴んだ。
「駄目なんだ!」
進もうとする者と引き留める者。両者の腕が張り合う。
「お前は…今この場にいちゃ駄目なんだ…」
「っ…」
少女は一瞬思考を止める。
この場にいてはいけない。
記憶が重なる…血の気の多かった漁師の言葉がその深層心理を静かに蝕んでいたこともある。
しかし、それ以上に青年の表情が彼女の虚をついた。
その頬に涙の筋が見えたのだ。
「ハンター…なぜ…」泣いているのか。
その言葉が彼女の舌を離れることはなかった。
地鳴りがした。
人より敏感な少女の耳が拾ったのは、音以上の恐怖だった。
本能的に背へ伸びた手が震える。
ありえない。
獣の足音は聞こえなかったはずだ。殿猪の大きさであれば聞き逃すはずがなかった。
いや…。
鼓動が止まる静寂。濃く、鉛のように重く吊り張る空気。
それから幾ばくも無かった。
林の向こうから鳥が一斉に飛び立つ。
土煙が木々の天辺を包んだ。
少女は己の失態を認識する。
聞き逃しはしなかった…殿猪の大きさであれば。
その存在は大地のうねりと大差なかった。
恐怖の象徴が朝日を浴びる。
空を覆い隠すような巨体、林を軽く薙ぎ倒す牙。飛地状に生える白の毛皮が新雪の雪山を彷彿とさせる。
「あれは…」
少女の心中を闇が覆う。
「…銀獅子」




