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紫煙

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 奇跡的に無事だった煙草を咥えた。

 青年は汚れたスラックスのポケットを探る。金属製のライター、コンビニのレシート、あと小銭いくらか。

 女神に強盗された財布を除けば元の世界から持ち込むことのできた数少ない私物である。

 見たこともないほど鮮明な星空に煙が昇った。

 遠くから未だに続く宴席の音が聞こえてくる。楽器まで持ち出してきており、聞いたことのない歌謡曲をこぞって歌っていた。

 宴会は苦手だった。

 前世の…というのも未だに実感が湧かないが、職場での飲み会は強制参加で、普段仕事以上の付き合いがない人間同士、どのように振る舞えばいいかいつも悩んでいたものだ。

 長年一緒に働いてきたのであろう上司達は物理的にも話題的にも固まっていて混ざるのも気まずい。

 かと言って若手は互いに興味もないので席に座っても会話はなかった。

 それよりも飲み会に参加するために止まった業務をこのあとどうやって取り戻すか気が気でなかったのが本音だ。

 思い出すだけでも心が苦しくなる。

 悪癖であるとは知りつつも、こうして会場を抜け出し喫煙する時が唯一心の休まる瞬間だった。


 朱色の門に着くと、先ほどの老人は広場に人を集めた。

「殿猪は討たれた。これで皆も少しは安心して暮らせるだろう」

 その口調は慣れており、話を聞く住民の態度からも彼が村の有力者であることは想像に難くなかった。

 後にクロノ…この村の長を兼ねる人物であることを知る。

 クロノは青年を獣討伐の功労者として紹介すると、これまで恐怖半分、疑念半分で話を聞いていた住民達に対して、宴の開催を申し出た。

 続々と獣を積んだ荷馬車が到着する。

 その表情が明るくなるのと同時に、村の雰囲気は華やいだ。

 それから日が沈むまで、村の中央では祭のような宴席が設けられた。

「あんちゃんすげえな!殿猪を狩っちまうなんて!」

 似たような褒め言葉を幾つも受け取った。

 聞けば殿猪というのはこの地域でも厄介な部類の猛獣らしい。

「奴らは頭がいい。危険が迫ると群れで一番強い奴を逃して、残った兵隊が代わる代わる敵の相手をするんだ。ちょっとでも時間を稼げるようにな」

 顔を真っ赤にした、恰幅のいい男が言った。

 そうしてより強い個体が生き残り、子を作りを繰り返しているうちに身体が大きく凶暴な獣の群れが誕生するのだ、と別の男。

「殿を逃すから〈殿〉猪。俺らじゃあ何もできずに踏みつけられて終わりだな。あんちゃんに乾杯!」

 男達は仲間内で杯をぶつけ合って談笑に戻った。

 青年は先の戦いを振り返る。

 執拗なまでにこちらを狙い続けた獣にはそのような背景があったのか。

 同時に、身体が震える。

 もし、再び遭遇することがあれば、その時自分は戦えるだろうか。

 ただ繰り返し戦ってなんとか生き延びた…そんな自分に。

 金がなければ復活はできない。つまりはゲームオーバーであり、今度こそ死を意味する。

 復活の時期を動かす代わりに贄を差し出す申し出に応じた自分は、持ち合わせのほぼすべてを失いつつ辛うじて今を生きている。

 そして新たに交わした女神との取引。

 評価と事実の乖離。

 その居心地の悪さを理由に、青年はこっそり会場を後にしたのだった。


 迷子の灰を目で追うと、その先に人影を見つけた。

 明るい満月の夜だった。

「こんばんは。宴はいいのか?」

 少女は首を振る。

「そうか」

 青年は煙を吐く。

『馴れ合うことはしない』タリアの言葉を思い出した。

 少女はあいもかわらず街頭を目元まで深く被っている。ところどころ擦り切れたそれはもうだいぶ長く同じものを使っていることを訴えていた。

 他人の事情は勘繰らない方が身のためだ。

 警官でも教師でもない青年にそれ以上詮索する義務はなかった。

 短くなった煙草をふみつける。

 それを見計らってから、少女はぎこちない発音で言うのだった。

「…村長が…呼んでいる」

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