第二話 「猫に鰹節」
居酒屋の朝は遅い。
太陽が高く登った頃合いになってようやく起き出し、店の支度を始めるのが普通だ。
「はあどっこらせと」
薄くなった頭頂だけでなく、寄る年波か最近めっきり重くなった身体の調子がやや鬱陶しい…
だからといってそんな理由で店を休むなど出来るはずもない。
身体をほぐしつつ顔を洗い、遅い朝飯前に店の前を掃除しようか…そう思って壁ひろしは戸を開ける。
だが店の前は塞がっていた。
ひろしの目の前にあるのは「山」だった。
ふさふさとした気持ちよさそうな毛におおわれた山……『どてっ』…いや『ボテっ』としたボテ山か?
(昔のアニメに出てくる巨大な妖怪が仰向けに寝ていたら丁度こんな感じではなかろうか…?)
少しの間そんな事をぼんやり考えていた親父であったが、溜息をついてその山をぽんぽん、と叩く。
「おい『おっかさん』よ、もうとっくに朝なんだが起きてくれんかね?」
その声に反応したように「毛山」がもこもこと動き、大きな欠伸をして立ち上がる。
「あ~~~~~~……良く寝た~~w」
そういって大きく伸びをする目の前の巨大猫?(あるいはぬいぐるみ?)の常連客である おっかさん(通称)に向かって店主の愚痴がとぶ。
「あのな~~、人の店の前でこんな時間までぐーすか寝るのはやめてくれんかね?」
「いやあ~~夕べのお酒が美味しくってさ~~~、もう一杯飲みたいなーって思ってお店に戻ったらさあ…」
「店が閉まった後で中には入れず、ここで寝たと…」
「うん」
悪びれずもせずにそう頷く大猫の態度に、はあ…と大きなため息をつくひろし。
「言っておくが開店は夕方からだぞ? こんな日の高い内に居ても何も出んからな」
「え~~~~?」
不満そうな声を上げる大猫だが、店の親父の宣告は非情だった。
「店の経営だって苦しいんだからな、ちゃんと営業時間に来てお代はキッチリ払ってもらうぞ?」
「へ~~い、それじゃバイトしてお金稼がないとねー」
そう言いながら はあどっこいしょ と巨大なもふもふは腰を上げる。
「ちゃんと働けよ? あの中華料理屋くらいだぞ、アンタに出前の仕事くれるのは」
「はいはい、分かってますってw」
そう言ってのたのたと仕事に向かう毛山を見送った親父は溜息をつく。
「飯でも食うか…」
「ふほう…山形の酒もたまにはいいの~~~♪」
夜ともなればいつものように常連客が押し寄せる。
当然、いつもの親父と若造二名もいたるする。
「親方ー、これ色がついてますよー?」
「もしかして変質してるんじゃ…」
「これだから若いもんは…これは脱色しとらん本来の酒の色なんじゃよ」
「へー?」「本来の色…?」
「酒というのはだな、味の端麗さと色彩を磨くために炭を使って脱色するんじゃ、しかし本来のコクが強い風味を味わいたい者もおる」
「…で、わざわざ俺に我儘を言って『住吉』を仕入れさせたのか?」
「ぬはははは!良いではないかw 美味い酒があれば肴もまた映えるという物だww」
散々我儘を言ってこの酒を仕入れさせられた店主の皮肉を高笑いで誤魔化してまた酒を呷る酒飲み親方…
もはやアル中になるとかならないとか心配する意味すらなさそうだ。
「ばんわ~~~」
ガラリと戸が開いて、大猫が店に入って来た。
「おお来たかおっかさんやw さあ一緒に呑もうww」
「はいはいw でもアタシはカウンターが好みだからね」
スケベオヤジの誘いを軽くいなして、どっこいしょとカウンターに鎮座する大猫の姿…まるで酒場の置物にも見える。
「んで、今夜のお通しはなに~?」
「イカの塩辛とタコわさの二通りだな」
どっちの肴も猫に食わせていい物ではない…だがこの猫(?)に常識は通じない。
「んじゃタコわさ~~」
「へいよ」
「ん~~~うまうま~~~~」
出されたタコわさを旨そうに噛み締めながら、きゅうううううっっと熱燗を呑む猫の姿は、実に何とも言えない鳥獣戯画の世界である。
「ねえ親方…」
「ん? なんじゃねディック君?」
「何で猫が飲屋でタコわさ食ってるんですか?」
「…何かおかしいかね?」
「おかしくないんですか?」「あらゆる意味でおかしいと思いますー」
(作者の注釈:本来猫にはイカ、エビ、タコなどは生や塩辛を食べさせては危険ですし、ワサビなどの刺激物も危ない)
世間の常識以前に、生物学上の疑問を呈する若造二人をしばらく見てから親方は はあ… と溜息をつく。
「良いかね二人とも、よく聞きなさい」
「はい?」「何でしょう?」
「この宇宙にはね、科学では解明できない事がたくさんあるのじゃよ」
「……」「……」
アンタは何を言っとるんだ!? というツッコミを飲み込んでその場に突っ伏す若造二人…(なだまだ修行が足りない)
「ね~~はかせ~~~~」
「ん? アレか?」
あまり好きではない愛称でそう呼ばれた店主は、『いつもの奴か?』とおっかさんに聞く。
「そうそうw やっぱりアレがないとね~~~」
「そうか、ちょっと待ってろ」
そう言うと彼は戸棚の引き出しから本枯れ節を取り出し、鉋の上に置いて軽く滑らせる…
そうやって数回鉋の上を往復させた後、台の下から削り節を出して皿に盛る。
「ほら、出来たぞ」
「ありがと~~~これよこれw これがないとねえ~~www」
一見すれば単に鉋で削った木屑に見えるそれだが、これが彼女の大好物である。
「おいしい~~~♪」
本枯れ節の削りたて……酒飲みでしかも猫なら間違いなくこれ以上の肴はない(断言)
「おおそれかw ワシにもくれワシにもww」
「へいへい」
目ざとくそれを見つけた親方の注文にすかさず応えるあたり、店主も扱いが慣れている。
「ん~~味が染みるのお~~~この本節は~~~」
「親方、それそんなに美味いんですか?」「ただの削り節でしょ~?」
素直な疑問を口にする若者二人に「分かるようになったら君らの肝臓も終わりだぞ?」と言いかけてひろしは口を噤む。
自分は酒場の主であり、この二人の内臓より本日の売り上げの方が重要なのだ。
「んで? キミらも削りたて本節欲しいかね?」
「んー、ボクはエイひれの方がいいですー」
「じゃあこっちは鳥唐お願いしまーす」
「いいけど、ちゃんとお代を払ってもらえるんだよな?」
何で店主のこっちが客の財布事情なんぞせなならんのかと思うのだが、何せ相手はツケ払いの常連トリオなだけに警戒心が芽生えるのも仕方ない。
「あーそれは心配無用じゃよはかせ。 また今度デカい仕事が入ったんでな、しばらくはツケの心配はないと思ってええよ♪」
「ほほう、そりゃよかったじゃないか? 何処の仕事場かね?」
「麹町ですよ」
「あー…もしかしてこないだのテロに遭った現場か?」
「その通りじゃよ」
「おいディック君よ、あの辺は君が昔務めてた会社があったんじゃなかったか?」
「そーなんですよはかせw 俺の務めてたあのブラックな会社のビルも、あのテロで崩壊してましてね♪」(上機嫌)
「あまり人の不幸を喜ぶのは感心せんがなあ~?」
「一向に構いません! あのクソ情無と総務のお局BBAが一緒に吹き飛ばなかったのだけが心残りですが‼」
どうやらかなり無情な扱いを受けていたらしい。
「だけど物騒な時代になったわよねえ? なんて言ったかしら、確か『お気持ち主義者』…だっけ? 訳の分からない主張する連中が起こしてるのよね?」
「訳が分からないんじゃなくて、多分最初から主張なんてないんじゃないですかねー?」
「それはそれで情けないのお? 今時の運動家共は主義主張すらまともに語れんのかい?」
「俺らの若い頃にも変な連中はおったが、それらと比べても随分とまあおかしな手合いが増えてしまったよなあ…ほい、そんなことよりお求めの一品だ」
「ほほほいw」「わーい」「待ってましたw」
時代の流れもテロの被害も、ここでは料理とともに酒の肴でしかない。
第二話 終わり




