1.流星の丘の星屑
流星の丘には星屑の民が落ちてくる。
何処かの知らない星から落っこちてきた人であるのは確かだけれど、詳しい事は分からないことが殆どだ。
何故なら彼らはいつも何かを無くしている。
それは記憶であったり、視界であったり、感情であったりと様々だ。
そんな星屑を掬い上げる者を星屑の救い人と言った。
毎日、流星の丘では沢山の流れ星が見渡せる。
一つ、二つ、三つ。数を数えるのが億劫になるほどのそれを眺める事はノーマの仕事の一つだった。
ノーマは青年と少年の境目にいる若い男だ。昼間は他の人たちより少しばかり遅い時間に起きて真面目に畑を耕している彼だけれど、夜は流星の丘で星見をする。
彼の住む村は流星の丘の麓にある。そこそこ大きな村であり、活気があり、皆良い人たちばかりだ。だって、孤児のノーマにも彼らはとても優しいのだから。
ノーマは星屑の救い人だ。これは歴代の星読みの婆様が星のお告げを元に選び出すものだ。多くは家族に恵まれなかったり、そもそも家族がいない孤児から選ばれる事が多い。孤独を知る彼らが人の温もりを得る一つの手段なのか、それとも孤独を知るからこそ星にその役割を与えられるのかはわからない。けれど、どっちみち悪いようにはならないようなので、ノーマは与えられた仕事を淡々とこなす事にしていた。
星屑の救い人になって一年が経とうという時だった。ノーマはこの日も毎日の日々と同じように星見をしていた。けれど、星空がいつもと違うようなどこか不思議な感覚を覚える。何が違うかは分からない。だけれど、何かが違うのだ。
そんなことを考えていると、一段と強い星の煌めきがどんどんと強くなるのを感じた。すると、同じくして何かがふわりふわりと淡い温かな光を纏って落ちてくるのだ。落ちてくる物が何かわからないまま、思わずノーマは駆け出した。
ノーマが抱き止めたのは可愛らしい少女だった。一つ、二つ年下だろうか。日に焼けた村の人々とは違う真っ白な肌にふわふわくるりとした金色の髪の毛を持つ少女だ。そんな彼女は小さな寝息を立てて眠っていた。
呆然とノーマは腕の中で眠る彼女を見つめた。どれくらい見つめていただろうか。突然思い出したようにハッとして真夜中だというのに星読みの婆様の家に少女を抱いたまま駆け込んだ。
星読みの婆様に些細を報告したり、医者を読んだりバタバタとした時間が少しばかりひと段落した頃、少女が瞼を開き、まだ見ぬ瞳をこちらへと向けてきた。
髪の毛と同じ金色の瞳。それは愛らしくもどこか困ったように眼を見開いている。
彼女のキラキラとした星のような瞳がもっとキラキラと輝いて僕に向けられたら良いのに。
そんな事を思ったのは衝動だった。そんな事を思うのはノーマのまだ短い人生で初めてだった。ノーマが自分自身にびっくりして驚いていることは誰も気が付かなかった事だろう。だって周囲はそれぞれ何かしらに驚き、思い悩んでいたのだから。
各々がそれぞれ何かしらを考え巡らせている中、重い口を開いたのは星読みの婆様だった。
御加減は如何でしょう?
そんな単純な問いに彼女は答えようと口を開くも、はくはくと音もなく、口を開いて閉じるだけだった。
彼女が無くしたものは"声"だった。
この日から彼女は"ソレア"と呼ばれるようになった。勿論彼女の本当の名前ではない。彼女は何故か言葉は通じるものの、字は書けないし、言葉は声を出せないのでわからない。だから、ノーマが好きな星の名前から彼女をそう呼ぶことにした。
ソレアは星座の名前の一つだけれど、神話に出てくる声の美しい歌の女神の名前だ。彼女の声が早く聞けますようにという願いも込められている。
ノーマはそんなソレアと2人で生活を始めた。星屑の救い人は星屑の民のお世話係も歴代担っている。だからそれは当たり前のことなのだけど、ノーマがこのままお世話係になることは少しだけ問題になってしまった。
歴代の星屑の民と星屑の救い人は同性だったのだ。何十年、何百年と続いてきたそれが今回の彼らで破られてしまった。
これは星読みの婆様が星を読み間違えた訳ではない。星読みの婆様がこの星のお告げを見出したのはノーマが生まれるずっとずっと前だ。婆様が星のお示しのもと、今の地位になった頃は先代も、先々代もいたのだ。そして今は弟子もいる。そんな彼等も皆口を揃えて婆様に間違いはないと言うのだから異性同士の星屑の民と救い人であっても間違いないのだろう。
だから、ノーマは婆様といくつか約束をした。
一つ、彼女に寄り添い守ること。
一つ、彼女を好きにならないこと。
一つ、彼女と間違いは犯さないこと。
彼女と寄り添う守る事は星屑の救い人の役割だ。けれど、他の二つはノーマを守るためであり、彼女を守る為の諫言だ。
だって、彼女はいつか帰ってしまうのだ。
星屑の民は短ければ数ヶ月、長くとも数年でここからまた夜空の星へと戻っていくという。それに前触れはなく、時には突然目の前で消えてしまったり、星空に吸い込まれるように昇っていったりするのだという。けれど、場所は決まって流星の丘の星空の元だったそうだ。
ノーマの役目は彼女が無事に夜空に浮かぶ星々の中に戻してあげること。それ以上でも以下でもあってはならない。それをノーマはきちんと理解していた。
ノーマとソレアの2人での生活はとても穏やかだった。最初こそ全く知らない場所で知らない男と2人きりの生活をさせられることになったソレアは警戒をしているようだった。けれど、こちらに異性に向ける特異な感情が無い事が分かったのだろう。少しずつ、少しずつ、野生の動物が人間に慣れていくように彼女も心を開いてくれた。
2人で日常生活を送り、天気のいい夜は少し遅くまで流星の丘で星を眺めた。いつでも彼女が帰れるようにノーマはソレアを流星の丘まで連れて行く必要があった。
ソレアとの会話はイエスかノーがはっきりと言える物を選ぶようにした。それ以外は一方的に今までの事やその日の出来事を出来る限り言葉にした。彼女は本当はお喋りなのかもしれないけれど、声を出す事が出来ないから、ノーマの話を時々せがむように服の裾を引っ張っては何かを話して欲しいと意思表示をしてくる。だからノーマは沢山沢山、生きてきて初めてこんなに話したんじゃないかってくらい言葉を口にした。
ある日の事。ノーマが畑から帰ると少し遅れてソレアが婆様の家から帰ってきた。昼間、ノーマが仕事をしている時間帯はソレアは婆様から日常生活に必要なことや文字を習っていた。書く事は何故か思うようにいかないようだけれど、文字を読んで理解することが出来ている様子だと婆様は教えてくれた。そんなソレアはこの日大事そうにリラを抱えて帰ってきたのだ。婆様が言うには無造作に置かれて少し埃が被ったリラをソレアはとても興味深そうにみていたという。彼女に手渡すとそれはそれは美しい音色を奏でだしたそうだ。だから婆様は彼女にそのリラをプレゼントしたということだった。
その夜、流星の丘の上では美しいリラの音色が奏でられた。リラは小ぶりの竪琴だ。それを指を滑らかにして彼女はどこか懐かしいような音楽を奏でて、ノーマの耳を喜ばせてくれる。少しすると、ノーマも思わず旋律を口ずさんで、彼女の竪琴に合わせるように歌い出した。
そんな日々は毎日続いた。ソレアの奏でるリラの音に合わせてノーマは歌う。晴れた日は星空の下で、雨の日は家の中で寄り添い、互いの音を交わしていた。
ノーマは気がついてしまった。いつの間にかノーマはソレアが好きなのだ。好きになってしまったのだ。好いてはいけない、想ってはいけない人なのに。そう思ってももう全ては遅かった。芽生えてしまった感情を消す事は不可能なのだ。だからこそ、ノーマは心の中に生まれた温かくも悲しい気持ちをなんとか心の奥底に深く沈めてしまおうと思った。そう、思っていたのだ。
2人の毎日はある程度同じ事の繰り返しだ。寝て、起きて、ノーマは働いて、ソレアは勉強して、夜は一緒に夜空を見上げる。けれど、その日は強い雨の日だった。その日の村はみんな静かだった。家に篭り、誰も外にはいかない。2人は雨音に合わせるように音楽を奏で、歌を歌った。
それがふと途切れた瞬間だった。寄り添っていたノーマとソレアの目と目が会う。視線が混じり合い、どちらとも無く吸い寄せられたように思った。
触れるようなキスだった。お互いの柔らかいそれの感触を確かめるように重ねるとすぐにそれは離れた。また混じり合った視線は少し気恥ずかしそうにしているけれど、先程にはなかった熱を帯びている。再び重ねたそれは先程よりも深く、熱かった。
幼児でもない彼らはこの先を知っている。けれど、これ以上はダメだ。お互いにそれをわかっていた。だけど、抱きしめ合い、キスを交わす事はどうか許して欲しい。
求め合っていた。今、互いを求めなければきっと後悔する事を知っている。そして、互いを求めたことをきっと後悔する事も知っていた。
それでもノーマとソレアは"今"の幸せを選んだのだ。
別れは突然だった。
夜空には雲一つない満点の星が輝いていた。流星の丘で流れ落ちる星々を眺めながらリラを爪弾くソレアに寄り添いノーマはこの日も歌を唄っていた。
突如、空が白く光輝いた。光の奔流に飲み込まれる時、ノーマはソレアを守るようにキツく抱きしめていた。腕の中にソレアは確かにいたのだ。
それなのに光が収束した時には腕の中にソレアの姿はもう無かった。地面にはただリラが一つ転がっていた。
ソレア!ソレア!と彼女の名前を力一杯に叫ぶ。けれど、広がるのは星々が煌めく夜空と自分が足をつける丘の上の草原。
この日からもうソレアの姿を見る事はなかった。
ノーマがソレアと過ごした時間は一年にも満たない。けれど、まだまだ短い人生の中では一番濃密で幸せなひと時だった。
ソレアを返して下さい。お願いします。
そう思う自分。
ソレアを無事に星空の彼方へ返す事が使命だったんだから、これで良かったんだ。
そう納得しようとする自分。
割り切れない感情が自分の身体の中で暴れ回る。
ノーマは彼女の残したリラを抱いて眠る日々を送る事になった。
そんなノーマに星読みの婆様は言った。
ソレアが来てから、女神ソレアを示す一等星が欠けていた。けれど、ソレアが居なくなったのと同じくしてその一等星は輝きだした。きっと、彼女はそういう存在だったんだよ。そういうお方をお前は無事空に帰したんだ。胸を張りなさい、っと。
言われてみればそうかもしれない。女神ソレアを示す一等星が見えていなかったことに気がついていたけれど、何故か気に留まらなかった。彼女をソレアと呼んだのは偶然だった。けれど、それは必然だったのかもしれない。一等星に関しては彼女が側にいたからそちらに意識がいかなかったのか。詳細はわからない。けれど、全てはなるようになった。そういう事なのだと思う。
ただ、それで気持ちに折り合いがつくかどうかは別問題だった。
ノーマの星屑の救い人としての仕事は終わった。けれど、役目を終えても天気の良い日は流星の丘での星見は欠かさない。毎日のように星見をして、他の人達より少しばかり遅い時間から畑仕事を始める。役目を終えてからも変わらないノーマの姿に他の村人達は心配こそすれ、決して怒らない。働き者で気遣いの出来るノーマは皆んなに好かれていた。だからノーマの気が済むのを彼らは見守る事にしたのだ。
ある雨の日、ノーマは家で本を読んでいた。婆様の書庫から借りてきた物だった。大きな村だが、星読みの婆様を筆頭にその弟子達が子ども達に字を教えてくれるので識字率はかなり高い。他所の村から途中で来て読めない者には個別で対応する事もあるので恐らく皆字が読める事だろう。ノーマも勿論字を読む事ができた。
幼い頃の記憶は定かでは無いが、この村の近くに捨てられた幼児のノーマは星読みのお告げを受けていた婆様に拾われた。ノーマ自身は少し特別な境遇だけれど、ノーマ以外の拾われた孤児もちゃんと自立できる年齢まで育てて貰い、それぞれ古屋を譲り受けて生活している。家庭を持っている者もいる。全ては婆様の計らいであり、婆様のいるこの村にやってこれて幸せだと思う。感謝しきれないほどだ。
それでも、同じ孤児ならば自分では無く他の人を役目に選んで欲しかったとこの頃は後ろ暗い気持ちに苛まれるのだ。
鬱々とした気持ちをそのままに一人本を捲っていく。どんどんと読み進める中、あるページで目が止まった。
そこには女神ソレアの姿が描かれていた。リラを奏でながら歌う姿なのだろう。動物達に囲まれて幸せそうに笑う女神の姿だった。
自分の側にいたソレアとは似つかない。愛らしさより美しさを兼ね備えたような大人の女性の姿だ。それでも、リラを奏でる姿絵はソレアとどこか重なるものがあった。
ノーマはソレアがいなくなって初めて泣いた。止めどなく流れる涙で本が濡れないよう本を机に置くと自分はベッドへ倒れ込んだ。彼女が居なくなり三月が経とうとしていた。
月日は日々流れていく。ノーマは少年から青年へと成長していた。ノーマは朝は弱いけれど、気立がよく、働き者で皆に好かれる好青年だ。幾度となく交際や結婚の話があがるけれど、ノーマはそれを全て断っていた。
その度に周囲はいつもノーマを説得しようとするけれど、ノーマは決して首を縦に振らなかった。近頃では星読みの地位を弟子に譲った婆様もノーマが結婚して子を見なければ死ぬに死ねないという始末だ。そんな人々の優しさに少し困っているけれど、ノーマは今の状況を変えようとは思わなかった。
ノーマは他の人達より少しばかり遅くに畑仕事を始めて、村人達の手伝いなんかをして回ったあと、夜は決まって流星の丘にリラをもって向かうのだ。婆様にせがんで教えて貰ったリラもこの数年でかなりの腕前になり、それを奏でながら歌を唄う。
練習の末に覚えた色んな曲を奏でた後、最後に選ぶのは名も知らないソレアとの想い出の曲だった。リラを爪弾きながら目を閉じる。瞼に描かれるのは勿論目の前の星空では無い。彼女と過ごした想い出の日々だった。
「ノーマ」
鈴がなるような可憐な声音が耳に届いた。知らないはずなのにどこか懐かしさを覚えて閉じていた目を見開くと、そこには昔の面影はそのままに綺麗な女性へと成長したソレアがいた。
「ソレア!」
手を伸ばせばソレアがノーマの腕の中へと飛び込んでくる。これは夢だろうか。そんな疑問を消え去るように二人は唇を合わせた。幾度も幾度も口付け、キツく抱きしめ合ったあと、互いの瞳を見つめて微笑み合う。
ノーマとソレアの姿を見守るように今日も沢山の星々は夜空を流れ、瞬いていた。
流星の丘の星屑…fin.
本編完結。読了ありがとうございます。
童話的完結はここです。もし、補足的なお話を読まれる場合は2話にお進みください。