~野良猫~小太郎日記 第六話 「勝利の意味」
第六話 「勝利の意味」
10月。
そう、秋だ。
暑い夏が過ぎ、冬へと景色が模様替えする季節だ。
この季節は魚が旨いから私は好きだ。
・・・まぁいい。
しかし、この秋に私を憂鬱にさせる行事が一つある。
マラソン大会だ。
地元の小学校の恒例イベントなのだが、問題はそのコースにある。
私のねぐら(神社の境内)がコースに組み込まれているのだ。
実に嘆かわしい・・・
まぁ時間にすれば小一時間程度なのだがその間は寝ることもままならない。
他の場所に行こうにも私の行きつけの場所はことごとくコースに組み込まれているのである。
ある意味でいじめだ。
仕方なく私はその日は大人しくねぐらにいるのである。
そんな私が今年のマラソン大会だけは小学校まで出向いたのである。
それは例のごとく気になる少年がいたからだ。
その少年との出会いはマラソン大会当日であった。
例年のごとくけたたましく境内をかけていく少年少女を見送った後、私はやれやれとねぐらから顔を出した。
すると一人の少年が遅れてやってきた。
最後尾の子が去ってから時間にすると10分は経っていたであろう。
その少年は必死な形相で走っていた。
傍らには教員らしき女性が寄り添うように走っていた。
私はその少年に違和感を覚えた。
よくマラソンが苦手な子が一番最後を必死な形相で走っていくのをみかけるが、この子は明らかに違っていた。
走り方がぎこちなかった。
暫らく見ていた。
すると不意に彼は足をもつれさせ転倒してしまった。
慌てて駆け寄る女性の教員。
「大丈夫?」
「うん。平気、ちょっと躓いちゃった。」
教員に手を借り立ち上がる少年。
「もうやめてもいいのよ?」
めずらしいこともあるものだ。教員が棄権を促している。
少年は首を横に振った。
「やめないよ。だって、このままだと僕負けちゃうから。」
負ける?誰に?
私は率直に思った。
競い合うべき生徒ははるか先を走っているのだから。
「勝ち負けじゃないのよ?先生は貴方の体を案じて言ってるのよ?」
どうもこの少年は体が健常ではないらしい。
何らかのハンデを背負っているようだった。
「ありがとう先生。でも、僕がここでやめたら・・・だめなんだ。」
少年はそういうとおぼつかない足取りでまた走り始めた。
私は何故ここまで必死にマラソンを続けるのか、そして「負ける」事の意味を知りたくなった。
だから後を追ったのだ。
小学校までの道のりが半分を切った頃、少年はまた転倒してしまう。
そして駆け寄る教員。
「もう十分よ。ゆっくり歩いていきましょう。ね?」
少年は諭すように言う教員に首を振った。
「だめだよ。ここでやめたら僕はこの義足のせいにしちゃう。」
義足だったのか・・・
私が少年に対して抱いた違和感はこのことだと知った。
「それは恥じることじゃないのよ。あたなが一生懸命やったことは皆が分かってるから。」
少年は教員の手を借りずに立ち上がると歯を食いしばりながら答えた。
「一生懸命やるだけじゃだめなんだ。」
そういうとまた走り始めた。
少年は額に汗を浮かべ、苦しそうな表情を浮かべながらも必死にゴールを目指した。
不意に沿道から少年にエールが飛んだ。
「タケシ!がんばれ!がんばれ!」
一人の女性が大きな声をあげて応援していた。
少年は女性の姿を見かけると薄っすらと笑みを浮かべて頷いていた。
教員の女性が沿道の女性にお辞儀をしている。
恐らくは少年の母親なのだろう。
母親は必死な息子の後を追って一緒に走っていった。
小学校が見えた頃、すでに辺りは薄暗くなっていた。
少年はゆっくりだが確実にゴールに近づいていた。
「あとすこしだよ、タケシ!」
「タケシ君、もうひと頑張りだよ!」
先ほどまで棄権を促していた教員も近づくゴールを見て完走を後押ししていた。
そんな声に背中を押されるように少年は走り続けた。
義足をつけた足を引きずりながら・・・
そして校門が見えたとき、少年は三度転倒してしまう。
少年は近付こうとする教員と母親に手をかざした。
「大丈夫だから・・・大丈夫だから・・・」
自分に言い聞かせるように繰り返す少年を母親も、教員も泪を浮かべながら見つめていた。
ふらつく体を持ち上げ凛とした表情で前を見据えた。
その視線の先にはゴールした生徒達が誰一人欠けることなく待ち構えていた。
「おーい!あとすこしだぞ!!」
「がんばれ!!」
「タケシー!がんばれー!!」
「ファイトー!!」
皆が口々に少年を励ましていた。
少年は母親と教員に向かって言った。
「僕は義足になったことを悔やみたくない。それを負い目に、言い訳にしたくないんだ。」
二人はそんな少年の言葉に無言で頷いた。
母親は一言だけ息子に告げた。
「最後まで・・・しっかり走りなさい。」
少年は大きく頷くとまた走り始めた。
近付くゴールに手を伸ばし、必死に走り続けた。
彼の友人が持つテープを切ったその瞬間、彼はその拳を天に向かって突き上げた。
満身創痍でゴールした少年を見ていた者全てが祝福していた。
彼はこの瞬間、偉大な勝利者となったのである。
少年は言った。
「一生懸命やるだけじゃだめなんだ」
そう、少年は結果を求めていたのだ。
その結果・・・それが「勝利」なのだ。
誰との勝負でもない、ハンデを背負った「己」との勝負を彼はしていたのである。
「負ける」とはハンデを理由に諦め、逃げる事だと彼は思っていたのだろう。
彼はすごい少年だ。
私は心から賞賛した。
この勝利の意味は恐らく本人にしか分からない。
ただ、私はこんなひたむきな姿勢の人間がとても好きだ。
私は来年のマラソン大会が少し待ち遠しくなった。
ただ・・・・
コースは変えてくれ・・・・・