Chapter,1 [Eyes of Storm]
今は夜明け頃、この舞台は豪華絢爛、素晴らしきプロセラム城塞の天守の最上部に在る女王のプライベートスペースより幕を上げる。空を突くその高さは、積み重ねたプロセラム王国の栄華を示しているかのよう。だが、研究室や工房に加えベットルーム、書斎、etc、殆どの部屋に長らく"人"の立ち入った形跡は無く、埃をかぶっていないのは眼を閉じている『女王』が今も椅子へと腰掛けているクローゼットルームとスペースを出るまでの導線くらいだろうか。
クローゼットルームには女王のために手作られたドレス達が所狭しと陳列され、同じく溢れんばかりのアクセサリーエリアには一際目立つ燃える三眼のネックレスが置かれていた。ソレはこの世界には存在せざるもので、本来此方側にあるべきのものだった。
それはさておき、天に昇らんとする日輪は今地平線を超え世界へと朝をもたらした。『女王』は駆動を確かめるよう目を覚まし、ゆっくりと立ち上がった。『女王』はこの場においてのみ、真の姿を曝け出す。一房に纏められた昏き蒼髪、同じく光を吸い込む様な瞑き眼、小柄なれども一級品の女性らしい気品を持つ『女王』の躯体。
「AM6:00、再起動。本日の業務の為の支度を開始しましょう」
『女王』は椅子を降り、迷う事なく麗しき黒いドレスを取り出した。誰の手も借りず唯々命じられたまま長年働き続けた『女王』は慣れた手つきでそれを着用、次はドレッサーの前に座ってメイクをした後アクセサリーを付けた。…残念ながらネックレスは『女王』に装飾品として見られていなかったようだが。
「AM6:30、予定通り。さて、外へと出ましょう」
『女王』は埃のかぶっていない道を通り外へ出ると、横にはメイド長が本日の業務を告げるために控えていた。
「お早う御座います女王陛下」
「…おはようございます、メッジ。ご苦労様です」
「い、いえこれもメイド長たる私の仕事ですから……ゴホン、では本日の業務をお伝えいたしますね。年度末ということもありまして決算書類が多分にありますのでお目通しと認可の方よろしくお願いします。そして午後からは数件謁見の申し込みがありますが、夕方には終わる見込みでございます。書類は既に執務室へと運搬していますので後に朝食もお届け致します」
「わかりました。それでは、良い一日を」
「はい、良い一日を!」
『女王』は専用の昇降機で下へ降り、彼女専用の執務室へと移動した。しかし、執務室の殆どは魔導機構により占領されていて人間のいるところではない様に思える。だが『女王』は再び慣れた手つきで穏やかに起動し置かれている書類をセット。この部屋に比べて巨大なこの魔導機構は専用の椅子に座ったモノの頭脳とリンクし書類の処理を念じるがまま実行できる代物。無駄に執筆することもなく即座に処理できるために仕事/時間量が増え、全体の仕事量も増えた。良い世界になる様に死力を尽くすのが『女王』に与えられた役割にして命令だからだ。
「女王陛下、お食事をお持ちいたしました。本日の朝食はフルーツサンドになります」
「ありがとうございます。いつも通り、そこの台の上に置いておいてください」
「承知しました。…それにしても、女王陛下の扱う魔導機構は誰が作ったのでしょう。帝国のものにしては実用的過ぎますし…」
「国家機密ですよ。では、わたしは食事を摂った後に業務を開始しますから、バスケット回収の為に後にもう一度来てくださいね」
プライベートスペースでは決して出さないような柔和な笑みを出て行くメイド長へ向け、出て行った事を確認し朝食を分析。
「…ふむ、季節外のフルーツでも美味しく食べられるでしょうし冷蔵技術は一先ず成功ですね。あとは量産化も検討しましょう……さて、業務処理を開始。接続、完了。[外部拡張機構・代筆書士]、本格起動」
大規模な魔導機械が巨大に似合う唸り声を上げ、囂々と書類を吸い込んだ…と思いきやもう一方の口からは吸い込んだ分と同じだけ書類を吐き出す。手書きで書類一枚に目を通してサインする間に、この魔導機構であれば五枚は軽く処理できる。ただ、書類の山は5倍かそれ以上もあるのだが……時が経ち、建国時に活躍し取り立てられた貴族達は大多数が引退か死去し為に二世貴族だらけとなった主な内政は確認と念のため何かしら女王の目通しがある現状、当然の結果であった。
日輪は天へと昇りきり、丁度女王に与えられた午前中業務は終了した。軽く内部に異常がないかを確認し、『女王』は書き置きの通り外へ出て謁見の間の裏へ移動。軽い休憩所としてリビングダイニングのようなインテリア達が置かれている場所だ。まだメイド長は来ておらず『女王』は何気無しにテーブルの前に座り配食を待つ。
「女王陛下、お食事をこちらにお持ちしました」
「ありがとうございます。メニューは…あら、魚料理ですか。珍しいですね」
「はい、先日フィーシに送り出した冷凍輸送車両が今朝試験走行より到着しましたので、シェフが故郷の味を女王陛下に召し上がって頂きたいと」
「それは楽しみですね。では、わたしはここで食事していますからメッジは…あら、どうしました?」
メイド長は何か言いたそうに手を顔の前で突き合わせまるで恋する乙女の様相。…確か、このメイドは10年前に新人ながら当時のメイド長を倒し、今に至るまで落ちることなくメイド長の座を保っているのだったか。謁見以外でマトモに顔を合わせるのは彼女くらいで、長年付き添い続ければ『女王』の美貌と姿勢に男女問わず惚れてしまうのも詮無い事か。斯く言う私も、同類には違いないが。
「女王陛下、あの…御食事を共にしていだだいても良いでしょうか。いつもお一人で召し上がっておられますがその…食事は共に食べた方が美味しいと言いますし…えっと…」
「……貴女の分の食事はないようですが?」
淡々と告げたのは確認の言葉。拒むでもなく、受け入れるでもなく、行動に対する条件の擦り合わせ。確かに、テーブルの上には女王のために作られた分しか載っていない。
「ああっ、それは問題ありませんっ!私の分は今すぐ持って来ますので!」
メッジはこの舞台には似つかわしくない喜劇の様に奔り、直ぐに自身の食事を持ち帰ってきた。メニューは女王と同じ魚料理だ。正面に座り、彼女は口を開いた。『女王』は聴覚を向けつつ、味わいを記録している。
「私は今朝、変わった夢を見たのです。女王陛下が死に、この王国が滅ぶ夢を。まるで現実のような夢から目を覚ました時の安堵は何事にも変え難く、女王陛下と言葉を交わせた際にやっと今感じている事が現実なのだと信じられた程です。…ですが、どうしても…安心したくて。女王陛下…陛下も……いつかは、死んでしまうのでしょうか」
メッジの悲痛な呟きは、確かに『女王』に届いた。良くも悪くも純情で、無知な彼女は半生を捧げた女王が消える事を非常に恐れているのだろう。
「……死、ですか」
珍しく、『女王』の行動が他人の手により止められた。フォークとナイフを置き、思案を開始した。
「死とは、肉体の生命維持活動が完全に停止する事を指します。であれば、この"わたし"という人物は一度死んでいるのでしょう。"ヒスタ"と呼ばれるべき人物はもう、この世界には居ませんから」
「……えっ?」
思わず素っ頓狂な声を漏らすメッジ。食事の手も彼女の時間も止まってしまった。
「ただ、"このわたし"を指す『女王』は今も一つの異常無く正常に稼働しています。ですから、"わたし"は現状滞りなく駆体寿命まで役目を全うするつもりですよ。さて、食事を再開しましょうか。もう、休憩時間は残り少ないですから。」
「は、はいっ…!」
疑問はあれど、自身の信ずる女王が大丈夫だと言うのであれば一介のメイドに過ぎないメッジは従うのみ。そして確かに規定の時刻に迫っており、少々急がなければならないことには違いなかった。『女王』は味わいつつも咀嚼を最低限に、メッジは…胃に入れば同じだと言わんばかりの速度で急ぐ。それでも、量の違いか『女王』の方が数分早かったようだ。
「さて、感想も書き終わりましたしわたしは先に謁見の間へと移動しておきます。メッジは遅れないように」
「ふぁいっ!」
『女王』は謁見の間へ。昼からは寵愛と贔屓を得ようと擦り寄る腐った二世貴族共の謁見が始まる。語る言葉は薄っぺらく、話に入る真実など一つの針に乗り切る程度、この上無くつまらない奴等は正直、『女王』の時間を浪費しているだけにも思える。まぁ、これも女王として君臨するが故の必要経費なのだろうが。
「お待たせ…しました…!」
ここで息が絶え絶えのメッジが到着。服装こそ然程乱れてはいないが身体の負担は大きかったのだろう。
「一分前ですが、状況が状況でしたし仕方ありませんね。予定を」
「まずは……」
さて、少々時間を飛ばそう。卑しき者共の事などこの舞台には相応しくない。
「我が麗しゅう女王陛下、また直ぐに会いましょうぞ……」
登り切った陽は落ち始めた。次が最後の面会相手となる。
「……最後は、『不作による税の不納に関する直訴』との事です。珍しく、謁見者は貴族や商人ではなく普通の村人だとか」
「漸く、民衆の声がわたしに届くのですね。早速、呼んでください」
「承知しました」
慣れない雰囲気の城に、メッジに連れられて入ってきた簡素な服を着た男は気が引けているようだ。
「じょっ女王陛下、ごごっご機嫌麗しゅう!わわわ私はファミールというしがない農夫でございます!」
そして緊張でファミールは呂律もロクに回っていない。『女王』はメッジに水を渡すよう指示し、落ち着いたファミールには話を促した。
「さて、落ち着いたか。改めて…妾がこのプロセラム王国の初代女王のヒスタである。今回の謁見は、税の不納についてとのことだが…」
普段の執務では穏やかで優しき『女王』も、一度謁見、加えて外交や演説ともなれば外向き用の態度を取る。女王という存在のイメージには威厳が欠かせないからだ。
「そうなのです、女王陛下。私共の村は毎年度規定量の税を納めていたのですが、今年は急に作物が実らなくなったのです。ですので、取り立ての役人にそう陳情したところ『知らぬ、規則は規則である』と言って作物を奇跡的に僅か収穫した分も、私共の生きていく分さえも根刮ぎ奪っていきました。このままでは私共の村は飢え死にするしかありません。ですので、唯一読み書きができ身体が元気な私がこうして女王陛下へと直訴しに参りました」
……纏めると、『税が払えず役人へ事情へ話しても融通が利かずこのままだと死んでしまう、女王様なんとかしてください』となるか。『女王』はこの願いをどう受け止めるのだろうか。
「ふむ…まずファミールよ、此処まで馳せ参じた事を妾は好ましく思うぞ。そして、『規則』の事なのだが…確かに、納税は妾の国にて居住する者の義務である。であるが……規則には同じく、『正当な理由』があるのであれば規定量の納税の義務は発生せず、場合によっては免税の対象となるとも記されている。その役人が無理矢理に税をファミールの村より徴収したのは大凡、私腹を肥やす為の行動だったのであろう。今回の件であれば調査の上今年の納税は免除とし、農地の回復まで経過を見ることとする。それに加え、遠路遥々よりこの城へ來った汝に、妾の懐からにはなるが細やかな褒美を取らせよう。そうさな、新しく開発した魔導農業機構を調査隊と共に届けさせる。それで良いか、ファミールよ」
「…!この上無い裁量でございます、女王陛下!」
「そしてメッジよ、人事庁に全ての公務員の職務を纏め、汚職を特に厳しく取り締まる様にと命じておけ。この一件のように妾が信じて直接雇っている公務員の裏切り、ましてやそれによって国民へ不利益を被らせる事は万死に値する」
「はい、そのように」
なんと、『女王』はファミールの直訴を全面的に受け入れ、剰え褒美を取らせた。どこまでも国民に甘く、彼女が信じ手足とした人物には厳しいらしい。
「よかった…これで…私達は飢え死にせずに済む……」
安心感からか、ファミールは軽く脱力し涙を流した。此処までの緊張が、ようやく糸が切れた様に解けたのだろう。
「ファミールよ、今日はもう遅い。妾の城で夜を明かし、翌日に汝の村へ吉報を届け為此処を発つと良い」
「御心遣い感謝致します、女王陛下」
ファミールは入ってきた普通のメイドに連れて行かれ、客間へと案内された。謁見の間には再び、『女王』とメッジだけになった。
「お疲れ様です、女王陛下。本日の業務はこれで終了となります」
「そうですか。では、わたしは自室へ戻ります。メッジも、今日はお疲れ様でした。……良い夜を、おやすみなさい。」
「…!おやすみなさい、良い夜を!」
何かの気紛れか、一言多く言葉を告げた『女王』は専用の昇降機を用いて女王のプライベートスペースへと戻った。
『女王』にとって、最期となる職務の一日を終えて。