全4部分の2
ガラガラガラ
身を切るような冬の寒い朝、英子は犬を引っ張っていた。
いや、正式には「犬もどき」を……
観光地などでよく小さい女の子がビニールで出来ていて、足の部分に車輪のついた犬の人形を引っ張っているのをご覧になったことがないだろうか。
英子が引っ張っているのはそれである。
なぎさが「ご注文の『犬』です」と言って、この物体を提示した時、さすがの英子も表情が凍った。
抗議しようとした英子の機先を制し、なぎさが「どのような『犬』かは具体的な条件提示がありませんでした。これを『犬』と認め、朝の散歩に従事された方が、殺人事件に遭遇される可能性は上がります」
「……」
沈黙する英子に、なぎさは追い打ちをかけた。
「これを『犬』と認めず、朝の散歩を怠った場合、他の方に殺人事件の案件を取られてしまうかもしれませんね……」
かくて、英子は早朝より「犬もどき」を引っ張り、散歩に出たのである。
◇◇◇
ジリリリリリーン
けたたましく鳴る電話のベルに、なぎさは可憐なピンク色の脳細胞を素早く回転させた。
「犬問題」は英子に「犬もどき」を引っ張らせることで解決したかに見えた。
だが、英子は24歳である。4歳ではない。
4歳が引くと、周囲を笑顔にする「犬もどき」だが、24歳が引くとかなり怪しい。
更に性質の悪いことに、英子は長身でスタイルが良く、顔立ちも整っており、早い話が良くも悪くも非常に目立つ。
そこまで思考を進め、初めてなぎさは受話器を取った。
「はい、こちら腐猫越探偵事務所です。警察ですか?」
◇◇◇
「ちょっと、なぎさちゃん。何で警察からの電話と決めてかかってるの?」
電話の向こうで、英子はおかんむりである。
「あっ、ああ。英子ちゃん」
なぎさは少しだけホッとした。
どうやら警察が英子を怪しい女として保護した電話ではないらしい。
しかし、ここで油断は禁物。相手は英子である。
とんな飛び道具を持ち出すか。分かったものではない。
そして、その予感は的中した。
「なぎさちゃん。あたしねぇ、『死体』見つけちゃった」
◇◇◇
なぎさは即レスを避け、3回大きく深呼吸した。
それから改めて問うた。
「ははあ。その『死体』は猫ですか? 犬ですか? それとも、カラスとか?」
「な~に言ってるの! 人間よ。に・ん・げ・ん!」
「!」
「やっぱり、2時間ドラマは正しいわ~。名探偵が朝から犬の散歩すると、事件に遭遇するうぅ~」
(ここで求められるのは『冷静』だ。『冷静』)
なぎさは自分に言い聞かせた後、次の発言を吐き出した。
「英子ちゃんっ! お願いだからなん~っにもしないでくださいね。くれぐれも額にマジックで『肉』とか書かないで。あ、『にく』も駄目ですからねっ!」
「……」
なぎさの剣幕に英子は一時圧倒された。
しかし、ここで圧倒されっぱなしの英子ではない。
「やだなあ。あたしがいつそんな変なことを」
だが、その切り返しは更なるなぎさの追い打ちを招いた。
「何言ってるんですっ! こないだ、英子ちゃん、磯野さんちのタマを猫のおやつで釣って、捕まえて、マジックでメガネとチョンマゲ書いただけでは飽き足らず、横腹に『ホワイトタイガー』って書いて、放したでしょ? あれ、菓子折り持って謝りに行ったの、私なんですからねっ!」
「ほっほっほっ、あたしには何のことだか、さっぱりぃ」
「とにかくっ、ほんっとに、何もしないでくださいねっ! そう言うと、呼吸を止めたとか言うから、呼吸と瞬きだけは許可しますっ! 他は全部禁止です。で、場所はどこなんですっ?」
「えー、『王子緑地公園』」
(あそこかあ、よく英子ちゃんが「名前がいい。名前がいい」と言っているところだ)
「分かりました。すぐ行きますから。呼吸と瞬きだけして待っていて下さいっ!」
なぎさは探偵事務所の備品であるオンボロ自転車にひらりとまたがった。
車体には英子が書いた「ふぉ~みゅら~わん みひゃえる しゅ~まっは~」の文字。
(何が何でも、英子ちゃんが飽きて、余計なことをしでかす前に公園に行かねばならないっ!シューマッハッ、力を貸してっ!)
なぎさは伝説のF1チャンプに願いを込め、力強くペダルを踏みだした。
◇◇◇
その一瞬が勝負を分けた。
凄まじいブレーキ音と共に、なぎさの自転車が公園に雪崩れ込むのと、英子が死体の指先の先にある地面にお絵かきしようとしたのは、ほぼ同時だったのだ。
なぎさは「しゅ~まっは~号」を放り出すと英子の前に立ちはだかった。
「英子ちゃ~ん。何をしようとしてるのですかな~?」
「あら、なぎさちゃん。早かったわね。事件の早期解決のために『ダイイングメッセージ』を残そうかと思ったの」
「英子ちゃ~ん。『ダイイングメッセージ』は被害者が書くもので、探偵が書くもんじゃないですよね~」
「だ、だって。ちゅまんないしぃ」
「ちゅまんないしぃじゃありませんっ! いいですかっ? これから警察に通報しますから、くれぐれも何もしないでくださいねっ!」
「ちいっ、警察を呼ぶのか」
「それは犯人のセリフです。あ、もしもし、警察ですか?実は……」
◇◇◇
ホワンホワンホワンホワン
サイレンを高らかに鳴らし、パトカーが姿を現す。
降りてきたのは、鑑識の2人、それに若い刑事とベテランの刑事の二人組だ。
若い刑事は英子の顔を見るなり言った。
「また…… あなたですか?」