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後編

 男は暇そうに欠伸をした。

 だがすぐに慌てて周りを見回すと、胸をおさえながらほっと安堵の息をついた。

(……やばいやばい。しっかりと仕事しろって注意されちまう)

 突然与えられた任務は、小屋の中に捕らえている少年の見張りで、戦闘を生業としている男にとっては暇なことこの上ないものだった。まあ、こういった仕事も仕事の一つなので我侭は言えないのだろうが。

(……ったく。こんな所で見張りなんかいるのかよ? こんな辺境の地まで来る奴がいたらお目にかかりたいとこだぜ)

 ぶつぶつと心の中で悪態をつく。

 と、その時。

 トントンッ、と。

 後ろから肩を軽く叩かれるのを感じた。

「あん?」

 誰だ、と思って振り返ろうとした男は

「――ッ!!?」

 トンッ、と急所に綺麗な一撃を受けてそのまま意識を手放していた。

 意識がなくなったことで倒れかけた体を支えたのは、その男よりも若い男である。

「………はぁ…っ、便利なもんだな、それって」

 気絶した男の体を静かに地面に寝そべらせながら、一部始終を見ていた若い男は感嘆の言葉を述べて、そこにいるもう一人の存在である少女へと声を掛ける。

「そうかな?」

 首を傾げて少女――凪はそう答えた。

 気絶したのは人質の見張りをしている男の一人であり、この男で小屋周りの見張りは最後である。見張りをしていた男達は今の要領で、凪により棍の一撃を急所にうけて気絶させていた。麻酔銃なり何なりで眠らせなきゃいけないと思っていた若い男―― 翔真は何とも鮮やかな凪の手業に感嘆するばかりというわけである。

「俺も使えるのかな、それって」

 翔真としては何気に言ってみただけの言葉だったが、それはすぐに凪によって否定される。

「それは無理でしょ」

「…………をい…っ」

 確かに何気に言ってみただけの言葉であり、自分には凪のようには使えないというのは自分自身がよく分かっていたが、こうも即行で否定されるとむかつきを覚えてしまうというものであろう。

 そんな様子の翔真に気付いたのか、凪は慌てたように言葉を続けた。

「あ、別にバカにしてるとかそういうのじゃないからね…っ! えーっと何て言うか………。そ、そう! 所謂猫に小判、とか私に拳銃ってやつだと思うんだ、私!!」

「…猫に小判は分かるとして、お前に拳銃って何だよ……?」

「え、だって私が拳銃もっても宝の持ち腐れじゃない? つまりはそういう事だよ」

「……なるほど」

 それならば、翔真に棍という言葉も同様なものとなろう。

「ま、自分の扱い易い武器が一番だよな」

「そういうことだよね」

 二人は周りを見回す。

 小屋の周りの見張りは全て昏倒させている。あと残っているのは集落の中にいる者達だけのはずである。その他の敵に見つからないように小屋の表側に周り、草むらに身を隠しながら翔真達は扉に近づいた。そして手をかけようとして、そのまますぐに手を引っ込める。

「………予想外の展開だよな、これは」

「………そうだね」

 手を引っ込めたのは他でもない。――扉をすぐに開けられないと判断したからだ。

 ジャングルの中にあるような小屋なのだから、鍵などはかけられていないだろうと考えていた。もしくは鍵があったとしても棒などで外から防ぐような程度のものだと考えていたのである。

 しかし、現実は違っていた。

「………こんな所でこんな精密な鍵、つけなくってもいいのに…」

 御尤もだ、と翔真も凪の言葉に重く頷いた。

 がちがちの機械仕掛けの厳重な鍵が、そこには設置されていた。

 簡易な物ならば凪達でも鍵なしでも鍵を開けられたかもしれない。が、ここまで精密な物になると鍵となる物がなければ無理というものであり、また壊すのも難しいと思われる素材からなっている為にその考えも却下でしかない。

 扉を完全に閉めている鍵と、いかにももろそうな小屋とを交互に見遣る。

 気がつけば、翔真と凪は視線を合わせあっていた。

 その表情、瞳の色から考えていることが同じだと告げているようである。

「……やっぱそうするしかないかな…?」

「……だろうな」

「……それじゃ、できるだけ静かにやるってことで」

「……念の為に裏手に回るとしよう」

 頷きあい、二人は体を忍ばせながらこっそりと小屋の裏手側に回る。先程昏倒させた男が完全に意識がないことを確認して、二人は小屋にそっと手を触れた。物色するように壁を撫で回す。そして一番損傷が酷そうな部分の壁を選び、凪が持っている棍でそこを軽く叩いてみた。

「……うん、これくらいなら静かに壊せると思う」

「じゃあ早速…」

「――ちょっと待って」

 壊してくれ、と言おうとした翔真の言葉を凪が遮る。

「?」

 突然どうしたのだろうかと翔真は不思議に思い、「その前に言っておきたい事があるの」と言った凪の言葉を受け、凪の行動をひとまず見守ることにした。始め、自分に対して何か言いたいことがあるのかと思ったのだが、どうやら小屋の中にいる人質の少年に対しての言葉だったのだと気付く。

 凪は扉をノックする要領で壁を棍でトントンッと叩いてみせた。

 しかし壁とはいえ木でできた割と厚めのものである。扉とは違う為にそのノックが中にいる少年に聞こえているかどうかは怪しい。もしかしたら聞こえないかもしれないという考えがあったのだが、中から返された不思議そうな声がその考えを否定した。

「……誰かいるんですか…?」

 緊張したような強張った声。

 翔真は人質である少年をじかに知っているわけではないので声で判断はつけられないが、まだ変声期を過ぎていない声は紛れもなく人質である少年のものだろうということは明らかだった。

「私達、キミを助けに来たんだけど、今大丈夫?」

「え…っ! ほ、本当ですか…っ!?」

「しーっ。できればあまり騒がないでね。誰かに聞かれると困るし」

 凪の言葉に喜びを覚えたのか、思わず声のトーンをあげてしまった少年だったようだが、慌てて口を押さえたのか、次に発せられた言葉は小さなものだった。

「す…、すみません……」

「……それで、今そこにはキミ以外はいない?」

「あ、はい…。ここには僕しか……。でも小屋の周りに見張りの人がいたと思ったんですが…」

「それなら大丈夫。もう対処済みだから」

「え…? そうなんです…か……?」

 小屋の中にいる少年からは外の様子は伺えないらしい。結構にぼろいと思ったが穴とかは特にないのだろう。

「それでね、扉に鍵がかかってて開けれないから裏手のこっちの壁を壊してしまおうって考えてるんだけど、ちょっと扉側に寄っててくれるかな?」

(ああ、そういうことか…)

 横から二人の言葉のやり取りに耳を澄ましていた翔真は、ようやく凪のこの行動の意味を理解する。

 壁を外から破壊する以上、中にいる少年に警告しなければ、下手をすれば壊した破片が少年にとんで怪我を負わせるというはめになりかねない。

 そこまで頭が回らなかった自分を反省し始めた翔真だったが、

「――それともう一つ」

 と言葉を続けた凪に、眉を潜めた。

(まだ何か俺は見落としがあったっけ……?)

 が、実際には翔真に見落としなどなかった。

 その言葉は、凪の勝手なお願い――脅迫めいてはいたものの――でしかなかったからだ。

「これから起こること、見ることは他言無用でよろしく、朔太郎君」

 何かに、ひっかかりを覚えた。

 さらりと言われた言葉だったので、それが何であるかまでは翔真は一瞬で気付くことができなかった。

 それということが、凪が少年の名前を普通に呼んだことであることだと気付いたのは、壁が破壊されてから。

 お願いを凪が言うと同時に、凪は構えた棍を目にもとまらぬ速さで振り回した。いや、正確には狙い済ました壁の所々に打ち込みをいれたというべきだろう。あまりに速いその行動の全てを判断することもできなければ、打ち込まれた瞬間の音すらも翔真には聞こえない。

 それは、本当にあっという間の出来事だった。

 凪が構えをといて、最後の仕上げだとばかりに棍で軽く壁をつついたかと思えば、目の前にあった壁の一部がまるで切り取られたかのようにして見事に外れて、落ちた。

 棍は刃物ではない。それなのに、その切り口は刃物にも負けずと劣らずといった綺麗さである。どのようにすればこのように壁――太い木――を切り抜けるというのだろうか、と翔真は不思議でしかなかった。

 開けた目の前。

 塞いでいた壁が今は、ない。

「こんにちは、朔太郎君。任務を受けて助けに来ました」

 にっこりと笑って凪が言う。

 小屋の中にいた少年は、呆然とした表情をしていた。

 翔真はあまりの鮮やかな壁の切り抜きに度肝を抜かれているのだろうと思っていたのだが、どうやら違っていたらしい。

「え…っ!? 凪ちゃん……!!?」

 と。

 人質である少年が驚愕の声をあげたのだから。

 気がつけばにこやかだった凪の笑いが、ばつの悪そうな笑いへと変わっていた。

 信じられないとばかりに、困惑でいっぱいの表情を見せる少年がそこにいた。

 翔真は二人を交互に見遣る。

「……………はぁ…?」

 残念ながら、翔真は二人の様子とやり取りにすぐについていけられるほど思考回路が回復していなかった。





「―――実はクラスメイトなんだよね、私と朔太郎君って」

 軽く笑いながら凪は言った。

 始めはばつの悪そうな笑いをしていたはずなのに、途中から自暴自棄にでもなったかのように笑い方が乱雑になっている。もうどうにでもなってしまえ、という彼女の心の声が届いてくるようで翔真は何と答えていいか分からなかった。

 そんな翔真の代わりに言葉を発したのは、トランシーバーを通じての慧二だった。

『ああ、だからあの時あんなに渋ったわけか』

 あの時、と言われて翔真は凪が人質である朔太郎の写真を見て仕事をおりると言い出した時の事を思い出す。

 なるほど――と。

 事実を知った今だからこそ納得してしまえるというものだろう。

「……でも僕、凪ちゃんがこんな凄い仕事してるなんて知らなかったな…」

 未だ驚いたままの朔太郎が呟くように言う。凪を見る眼差しにどこか尊敬するような色が見えるのは気のせいなのか。

「…………いや、それはだって言えないし…。っていうか、学校の皆には秘密にしといてね…。さすがに………ヤバイから…」

 特に友希とかに知れたら私、命がないし。

 と、小声で呟いた声は朔太郎には届かなかったらしい。その呟きをしっかりと聞いてしまった翔真は誰のことを言っているのかと思ったが、クラスメイトの誰かなのだろうと結論付けることにした。

「うん、大丈夫! 僕、口は固いから絶対に言わないよ。安心して、凪ちゃん」

「ありがと、朔太郎君…」

「………」

「? どうかしたの、朔太郎君?」

 話している途中、朔太郎が突然口をぎゅっと閉ざして目をごしごしと擦った為に、凪は何事かと思って尋ねる。

「あ、ううん、何でもないんだ」

「……本当に…?」

 慌てて凪に対して笑いかける朔太郎だったが、その表情はどこか泣き笑いというものに似ていた。

「………ただ、ちょっと……、凪ちゃんの顔を見たら安心しちゃって…、気がちょっと緩んだみたいなだけだから…」

 朔太郎は突然見知らぬ人物に拉致された。何事かと理解する前に暗い倉庫のような場所に閉じ込められて、何故拉致されたかを理解した時はこんな辺境の地へと連行されてしまい、このような小屋に閉じ込められてしまった。事情を理解してしまった為に、朔太郎は泣き叫ぶことなどできなかった。泣き叫ぶような行為をとるということが、自分の親に多大な迷惑をかけてしまうということに繋がることを良く知っていたのだから。朔太郎来は親の会社をついで立派になるのだと小さい頃から言い聞かされてきたからということもある。ここで泣いたりくじけたりしたら負けなのだ、と。そう思ってただじっと、ひたすら孤独や恐怖等から耐えていたのである。そこに助けが来てくれて、しかもその人物が見知った人物であるとするならば、気が緩んでしまうのも無理はないというものだろう。

 朔太郎の瞳にうっすらと一筋の涙が浮かぶ。

 その涙を凪と翔真は見て見ぬ振りをした。朔太郎の気持ちが分かったからこそ。

「……もう…大丈夫だからね。私が絶対に助けてあげるから」

「……うん。でも何だか僕、助けられてばかりで情けないよね」

「あははは、そんな事ないよ。どちらかっていうと、私が普通じゃないだけなんだし。それに取り乱さずにしっかりしてる朔太郎君は強いと私は思うよ」

「……ありがとう、凪ちゃん」

「お礼は助かってから言ってくれると嬉しいかな」

「うん、そうするね」

 ほんわりとした空気が二人を包む。

 が、ここは敵地の真っ只中である。そんな空気に浸っている暇などありはしないのである。

「…おいっ、何だかヤバイぞ」

 扉の所にある微かな隙間から集落内の様子を窺っていた翔真が、凪に向かって言った。

 凪も慌てて翔真と同じように隙間から様子を窺う。そしてすぐにその表情を歪めた。

「………あちゃー。ちょっと長居し過ぎたかな、もしかしなくても」

『もしかしなくてもそうに決まってるでしょ』

 即行。

 耳元の機械から慧二のツッコミがかえされた。

 凪はそれを笑って誤魔化す。

「状況は?」

『泰史の確認だとヘリで人が来たらしい。様子見か、それとも人質をまた移動しに来たかってところだろうね』

「あんまり人は増えてほしくないんだけどなぁ…」

『自業自得。早く撤退しないからだろう』

「御尤もです、参謀長殿」

『………何、その呼び方?』

「え、何となく私的佐渡さんのイメージ。けっこういい呼び名だと思わない?」

「は? え…、いや、俺は……っ」

 突然話を振られて焦る翔真。

 ここで下手なことを言おうものならば後で慧二に何を言われるか分かったものではない。長い付き合いからそのことを重々承知の上だった翔真は、慌てて口をぱくぱくさせてうろたえた。

 ざわざわっと外が騒がしくなったのが耳に届く。

 どうやら見張りが昏倒されているのが見つかったらしい。このままいけばこの小屋に人が集まるのも時間の問題だということは、誰もが理解できた。

「ど…、どうしよう……」

 顔を青褪める朔太郎。

「凪ちゃん…っ! 僕はいいから隠れて……!!」

 もともと拉致されていた自分だけならまだいいが、折角助けに来てくれた凪達まで酷い目に合わせるのは何としても避けなければならない。朔太郎はそう考えて咄嗟にそう言った。

 が、その言葉はやんわりと凪によって止められる。

「何言ってるの? 大体私達は朔太郎君を助けに来たんだよ? それなのに朔太郎君を置いて行けれるわけないじゃない」

「そりゃそうだな」

「心配してくれるのは嬉しいけど、私達なら大丈夫だから」

「でも……」

「何てったって、私達、プロだし。仕事はパーフェクトに、が社長のモットーなんだよね」

 にっこりと、凪は朔太郎に向かって微笑む。

 翔真もまた安心させるような笑みを浮かべていた。

 その間にもバタバタと走る五月蝿い足音が耳に届き始める。どんどん近くなってくるその音は、敵がここに近づいていることを示している。絶体絶命のピンチ。

 だが、何故か朔太郎はほっと安心するものを凪達から感じとっていた。

「とりあえず朔太郎君をここから助け出してヘリ着陸地点まで連れてくのが第一だし、水澤さん、そこのぶちあけた壁の方から裏手を回って行ってくれますか? 多分、壁をぶち破いてるなんて思ってないから、まだ裏手までは敵は回りこんでないと思うし」

「お前はどうするんだよ…?」

「私? 私はここでできるだけ敵を食い止めるに決まってるじゃない」

「な…っ、何馬鹿な事言ってんだよ…っ!?」

 けろりと言ってのける凪に、翔真はぎょっとして声を荒げる。

 翔真としては凪を一人残していくという選択など選べるはずがなかった。もしもどちらかが時間稼ぎをしなければいけないのであれば、自分が残る方を選ぶべきだと翔真は考える。

「それなら俺がここに残……っ」

「――――これは、『S』の私からの命令」

「!?」

「確か上の者の命令は誰であろうと聞くものだという項目が規則にあったよね? 反論は許さないよ、私」

「でも……」

 確かにそのようなことが規則の中にあった。ランクが下の者よりも上の者の方が状況判断も的確だという場合がほとんどの為、そういった規則がなぞらえてあるのである。

 しかし、そうはいっても納得ができるはずがない。

 こんな、敵地の真っ只中に少女一人を残していくことなどできるはずがないのだ、翔真の性格上。

 凛とした言葉。

 凪はどちらかというと泰史のように少しおちゃらけた雰囲気がある為に、会ってから今まで真剣な表情をしたことなど見たことがなかった。

 だが、今目の前にいる凪は真剣そのもので。

「別に自己犠牲の案を言ってるわけじゃない。ただこの場合、水澤さんが残るよりも私が残った方が適当だと考えただけだよ。……どう、参謀長さん?」

『……………分かった。その案でいこう』

「慧二!?」

 凪の言葉を了承する慧二に、ぎょっとする翔真。

「ありがと、参謀長さん」

『別に。俺もそうした方がいいと思っただけだよ。……それに、香澄はもう一つ何かの任務を受けてるんだよね?』

「え…?」

 初耳だ、と驚く翔真を見て凪は苦笑する。

「さすがは参謀長さん。実はその為にも水澤さんがここに残るわけにはいかないんだよね、これがまた」

『だと思ったよ』

「それじゃ、そういうことで。水澤さん、また後で落ち合おうね」

『それじゃあ翔真は裏手から彼を連れて着陸地点まで向かってくれ』

「……分かったよ」

 翔真は朔太郎に「行くぞ」と合図をおくってぶち抜いた壁の方へと走り、そこから外に出る。

「……死ぬなよ」

「分かってるって。水澤さんも、朔太郎君のこと、宜しくね」

「……凪ちゃん…」

 未だ渋る朔太郎に、凪は微笑みかける。

「大丈夫。無事に帰ったらさ、一緒に補習受けようね」

「………うん…っ、きっとだからね…!」

「約束」

 二人の姿が草むらへと消えていくのを見送って、凪は扉へと向き直った。

 がちゃがちゃという音が聞こえる。強行突破してこないということは、まだ人質はこの中にいると思っているのだろう。となれば後から回り込まれる心配はまだないということである。が、周りにいた見張りが倒されているのは当然ながら見つかってしまったようである。

『…もっしもーし。俺だけどさ、援護いる?』

 耳に届いてきたのは泰史の声。

 集落を守るように見張りをしていた男達が気絶していることを発見された以上、泰史も無事ではいられないので元々配置していた場所からは移動していた。隠れ、忍びながらもいつでも援護できるように構えている。

「うーん…。嬉しいけど水澤さんの援護、お願いできるかな?」

『りょうかいーっと。無茶はすんなよ』

「分かってますってば。……あとね、一つ聞きたいんだけど」

『何を?』

「そっから次の容姿の人がいるかを確認してほしいんだよね」

『……どんなだ?』

「確か、ハゲ頭で体格は二メートルくらいの大男。顔に大きな傷のある奴ってそっからいるかどうか確認できない?」

 少しの間、その後に。

『……集落のど真ん中で支持だしてる奴がそんな感じの奴だな』

「そっか。ありがと、安藤さん」

『そいつがターゲット?』

「……―――うん、今回の私の獲物」

 すうっと目を細めて前を見据えて棍を構える。

「それじゃ、また後で」

 その言葉を最後に、凪はトランシーバーのスイッチを切る。

 ガチャンッ、と鍵が外されて扉が思い切り開けられるのと、それはほぼ同時だった。

 そして―――

「ぱんぱかぱーん。おっめでとうございます。一番乗りの貴方には私からの特別プレゼントで特別の一撃攻撃をさしあげちゃいますね」

 開けた扉から見えた男に対してにっこりと微笑んで、凪は問答無用で宣言通りに棍で思い切りその男の腹に突きを繰り出した。

 予想していなかった凪の攻撃をもろに急所に食らって、後方にいる他の男と共に後に吹っ飛んでいく哀れな男。

「な、何事だ…!?」

 混乱が生じた隙をみて、凪はそこにいる人の間をすり抜けるように走りこんだ。

「……それじゃ、獲物目掛けて一直線といきましょか」

 きらり、と凪の目に鋭い光が浮かぶ。

 見るも鮮やかに。

 凪は棍を振るう。

 まるで舞うように攻撃を繰り出すその姿をはっきりと目撃できたものはいなかった。素早すぎて、視界におさまりきらないからだ。

「ええいっ、的は女子供一人だ! うろたえるな…っ!」

 敵の誰かが声を上げる。

 その声を耳にとらえて、凪はうっすらとした笑みを口元に浮かべた。

「………その侮りが命取り、ってね」

 手の動きを止めることなく凪は攻撃を繰り出す。

 確実に一撃で敵を昏倒させながらも回りの状況を把握するのは忘れない。

(…………敵の数は二十七。時間にして一分ってとこか)

 そして凪の頭の中での計算通り、一分後にはそこには二十七人の男が昏倒して地面にのびることとなる。

 残ったのは凪と、今回の獲物である大男の二人だけ。

「生きてたんだ、君」

 凪がそう声をかけると、大男は一瞬目を見開いて、そのすぐあとに気味の悪い笑みを顔に浮かべたのだった。





「翔真、こっちだ!」

 草を掻き分けるように走り続けていた翔真と朔太郎は、突然かけられた声に思わず足を止めた。

 翔真にとって聞き覚えのある声。

「泰史か?」

 問いかけると少し離れた位置からひょっこりと泰史が姿を現した。

 と同時に銃を翔真の方向に向かって構えて引き金を引く。

「え…っ!?」

 突然自分達に銃を向けられて、驚愕する朔太郎だった。が――

 タンッ、と鮮やかな銃の音が聞こえてすぐ後に何かが地面へと崩れ落ちる音に、朔太郎は現状を理解した。勿論朔太郎と翔真は無事である。

「て……敵…?」

「そうそう。俺が仕留めてやったからもう安心だからな。っていうか翔真、お前自分でしとめろよな」

「泰史が声をかけてきたからやってくれると思ったんだよ。現にやってくれただろ?」

「ま、そうだけどさ」

 翔真は走りながら、自分達の存在に気づいて追いかけてきた人々を確実にしとめていっていた。今もまだ一人後をつけてきている存在がいることに気付いてはいたものの、タイミングを計っていた為にそのまま放っておいたのである。そんな時、上手い具合に泰史に声をかけられたので任せてしまえと考えたのだ。

「追っ手はもういないか?」

「ああ、俺も結構しとめたし多分いないはずだと思う」

 二人は周りを見回す。

 自分達以外の気配は感じられない。

「……とりあえず着地地点まで向かっとくか」

「そうだな……」

 言って、二人は今まで走って来た道のりへと視線を向ける。朔太郎もそれにつられるように視線を向けた。

「………凪ちゃん…、大丈夫なんでしょうか…?」

 ぽつりと呟いたのは朔太郎。

 問いかけるような言葉に、翔真と泰史はすぐには答えることができなかった。

「あいつは……大丈夫だろう」

「そうそう。俺、遠くから香澄が戦うトコロ見てたけど、めちゃ強かったしな」

「見たのか?」

「援護しようと思った時に必然的に見えるじゃんか。あれはなー、なんつーか人間業じゃなかったな」

「……ふぅん…」

 しみじみと言葉を紡ぐ泰史を、翔真は相槌を返す。

 翔真はまだ凪の戦うところを見たことがない。だからそのレベルがどれほどのものであるかは分からないのだが、泰史がこういうということは相当なレベルということなのだろう。

「とりあえず行くぞ。慧二が待ってる」

 と、泰史が二人を促した刹那―――

 空気を震わすような凄まじい爆音が、三人の背後に響き渡った。

 とはいえこの場所が爆破したわけではない。

 爆破したのはここよりも遥か後方――集落の場所。

 かなり離れているはずだというのに、ここにいる三人にその衝撃が伝わってくるということはその破壊力は凄まじいものだと容易に想像がつく。

「な…、何が起こったんだ…!?」

 困惑する翔真。いや、泰史も同様に困惑していた。

「俺が知るか! っていうか今のって集落のトコじゃないのかよ!?」

 集落――それは凪が朔太郎を逃がすために足止めをしている場所のはずである。

 その場所が、爆破された。

 二人は火と煙のあがっているその場所を見遣る。

 離れている為に裸眼でははっきりとは確認できない。が、確かに集落であった場所が萌え続けている。木々へと火が燃え移り、火と煙によって覆われて見るも悲惨な状況がそこに広がっていた。

「凪ちゃん……、凪ちゃんを助けなきゃ……っ!」

 集落であった場所に向かって戻ろうと走り出す朔太郎の腕を、咄嗟に掴んで翔真が引き止める。

「離して下さい!! 僕、凪ちゃんを放ってなんかおけないんだ…っ!!」

「ばっかやろう! だからってお前が行ったところで何かなるわけじゃないだろうがっ!!」

「そんな事分かってます! でも…、このままにしておけないよ…!」

「いいから大人しくお前はここにいろ! 様子なら俺が……」

 言いかけて、翔真ははっと息を飲み込む。

(何か―――来る…っ!!)

 翔真はホルダーにかけておいた銃に手をかけると、気配の感じとれる方向に銃口を向けて、弾を連射させた。

 タンタンッ、と鮮やかな音が回りに響き渡る。

 だが狙い定めた何かはそれを紙一重で避けて、茂みからその姿を現した。

 茂みから現れたのは大男。

 その手にはアーミーナイフ。

「この……っ!」

 翔真は引き金をひいて大男目掛けて銃を撃つ。

 大男はそれすらも避けたが、間近で狙われた為か完全に避けることができずに、弾は男の右肩へと食い込んだ。が、大男はその足を止めない。

 振り上げられるナイフは確実に翔真を狙っている。

 ナイフが風を切る音が聞こえ、朔太郎が叫び声を飲み込んだ。

 高い音が響き渡る。

 そんな――ほんの一瞬の出来事。

 時間にすれば一秒もないその間のことは、長い時のように感じられた。

 大男のナイフが翔真に当たることはなかった。

 翔真の後方から泰史が銃を撃ったからだ。

 泰史の撃った弾は大男がナイフを持つ手を貫通し、翔真が再度撃った弾がナイフを弾き飛ばした。そして続けざまに翔真が蹴りを放ち、それを食らって大男が数歩だけ後退する。

 大男は撃たれた箇所から血を流す。だが痛みから顔を苦痛に歪めることもなければ呻き声すら一切上げようとしない。それはまるで痛覚がないとでもいうかのようである。

 その大男の様子を不審に思いながらも、翔真は朔太郎を後に庇いながらさらに弾を撃ち込む。翔真の狙いは完璧で、弾は急所すれすれの横を撃ちぬいた。

「なんだよ、こいつは…っ!?」

 急所を狙えばしとめることができたのかもしれない。だが今回の任務において翔真らに命を奪う権利は与えられていない。一度目の発砲は麻酔銃だったのだが、その効力が発揮されない以上実弾で急所を狙わないように応対し続けるしかない。

 殺さず――という行為は難しい。特に敵対する相手が自分を殺そうと向かってくる場合にいえることである。

 大男の手にナイフは既にない。だが素手のまま拳を力いっぱいに握り締めて、大男は地面を蹴って前方に跳ぶ。

「泰史、援護を!」

「分かってるって。おい、お前はこっちに隠れてろ!」

「は…、はい…っ!」

 翔真の弾丸と泰史の弾丸は確実に大男の体を撃ち抜く。

 しかし大男がこちらに襲い掛かってこようとする行為を止めることはない。

(―――きりがない…っ、これじゃあ…!)

 如何に一流のガンナーといえども、その攻撃が無意味に終わればどうしようもないというもので、翔真らの心に焦りが生じ始める。その、一瞬の隙を、大男は見逃さなかった。

「翔真…ッ!!」

「……―――っ!!?」

 時間にすれば一秒とない間。

 その間に、大男は翔真の真正面まで飛び込んできていた。

 翔真は咄嗟に引き金を引く。だがそれを予想していたかのように大男は状態を横に逸らすことで難なく避けた。

 ブンッと空気をきる音が翔真の耳に届く。

 視界に、大きな拳が映った。

(やられる……っ!!)

 避けられないのなら、と翔真は防御の構えをとるものの、たとえ防御したとしてもこの力いっぱいの拳を受けたのならばただではすまないだろう。先程からの大男の攻撃を見る限り、その拳から繰り出される攻撃一つで難なく木が折れるに至っているからだ。

 衝撃を堪えるように翔真は腕に全神経を集中させた。

 何かが風を切る音。

 そして―――鈍い音。

 その場にいた泰史らが息を飲み込む音すらはっきりと耳に届く。

 それから、少しの間があった。

(……? 攻撃を受けていない……?)

 翔真は正面にいる男をはっきりと見―――はっとした。

 男の繰り出した拳を止めるように、男の肘の骨のあたりに長い棒が打ち据えられていて、そこから妙な方向に男の腕は曲がっていた。いや、長い棒ではない。それは翔真らに見覚えのある武器、棍であった。

 翔真は素早く男から離れて銃を構える。大男よりも先手をとり、銃口を向けて放った。

 赤い液体が飛び散る。

 今までの攻撃よりも重症な攻撃に、大男の右手は動かなくなった。

「大丈夫か、翔真!?」

「ああ、俺は大丈夫だよ、泰史…」

 慌てて駆け寄ってきた泰史に、大丈夫なのだ、と伝えるように力強い眼差しを向ける。

 大男を視界から外さないようにしながら、二人は棍がとんできた方向へと視線を向けた。

 予想通りに、そこには凪の姿。

 ただし先程別れた時と少々勝手が違うようで、身に纏っている制服のあちこちが燃えて破れていて、肌も煤けたように黒くなっている部分があり、そこには先程の爆発のあとがありありと見受けられた。

「凪ちゃん……っ!」

 姿はどうあれ無事であったことに安堵し、朔太郎が名前を呼ぶ。

 凪は翔真らに視線を向けることはなかった。

 朔太郎の呼びかけに答えることはなかった。

 ただ、一心に目の前の大男を睨みつけ続ける。

「………私が逃がすと思ってるわけ? …ったく、卑怯な手を使ってくれちゃってさぁ…。また制服がぼろぼろになっちゃったじゃない」

「………」

「まあ、君が私に敵わないっていうのを理解してるのはいいことだけどね。だからって朔太郎君達に狙いを定められるわけにはいかないんだよね」

「………」

「ッてことで今度こそやられちゃってちょうだい」

 大男は何も言い返さなかった。

 その代わりに、左手で右手に突き刺さっていた棍をとり、地面に放り投げたかと思えば、ソレを思い切り踏み潰した。金属からできているはずの棍は、大男によって無残に踏み潰されて異様な方向へと曲がる。これでは武器にならないというほどに。

 驚愕する翔真らとは違い、凪は顔色すら変えなかった。

「あーあ、折角上から支給された武器だったのに…。酷いことしてくれるんだね、君」

「……お前には必要ないものだろう…」

 と。この時初めて、大男が口を開いた。

 掠れた低い声は、気味の悪さすら感じさせるものがある。そんな――声。

「……どうしてこんな物を手に取る必要がある? 我らはこの手、この体こそが何よりの武器。これに敵うものなどありえはしない…」

「………」

「……それともお前は我らとは違い、この咎から開放されたとでもいうのか…?」

「………」

「……それはあり得ぬこと。…我らは命が続く限り、この宿命から逃れることはできないのだから…」

「………」

 凪は口を開かない。

 傍で聞いている翔真達は、突然の大男の言葉に困惑の色を隠せない。

(何を、何のことを言ってるんだ……?)

 言っていることも謎ならば、大男が凪を自分と同じ存在であるかのように「我ら」と言いくるめていることも謎でしかない。

「……我らが救われる時があるとすれば、それはこの命が消える時に他ならない…」

 翔真らには、男の言葉の全てが「死にたい」と告げているように聞こえた。そのようなことを言っているわけではないのに、そう聞こえてしまうのは何故なのかまでは分からないが。

 静かに大男の言葉に耳を傾けていた凪は、己の手を目の前に移動させてその手の平をじっと見つめる。

 そして、閉ざしていた口を開いた。

「……確かに私の罪は消えないしこの宿命からは逃れられないのかもしれない…。でも私はまだ生きていたいと思うし、生を楽しむということを知ってしまった…。だからせめて……」

 そっと、その瞳を閉じる。

 何かの決意をするように。

「……――私は私と同じ全ての存在を無に返すまでは生きていたいと思う」

 開かれた眼差し。

 その瞳の何と意思の強いことか。射抜かれてしまいそうなほどの強い感情の色が浮かぶ。

「我ら『無色の家』の人間に『生』はない、あるべきではない。…私は―――最後を飾る存在となるまで、この拳を血に染めることを厭わない」

 凪が構える。

 大男もまた、同じように構えた。

「―――君にも幸福という名の死を今度こそ与えよう」

 凪が、地面を蹴った。

 翔真らがはっきりと目で捉えられたのはその一瞬だけ。

「な…っ!?」

 一瞬の後には、目にも留まらぬ攻撃を目撃することとなる。……ただし、攻撃がどういったものであるかまでの判断はつかない。

 二人の距離はそれなりにあったはずだった。

 だが地面を蹴った一瞬の間に凪は大男の間近へと近づいていて、そのまま上体を屈ませて足払いを繰り出す。大男はそれを予期していたように、難なく避けて凪に左拳を繰り出そうとした。が、凪の方が一枚上手で、足払いをした足をそのまま回転させて浮かせるようにして上への蹴りを放った。蹴りは男の顔へと命中し、男の手が止まったのを見計らって後でに回りこんで凪は後方から背中のど真ん中をくりぬくようにして拳を放った。

 どこにそんな力があるのかと思うような細腕から繰り出されたパンチは、見かけとはかなり違うほどの凄まじい破壊力を持ち合わせていて、大男の体が地面へとめり込む。

 翔真らがはっきりと理解できたのはその光景だけ。

 気がついたら……凪の拳を受けて大男の体が地面へとめり込んでいた光景だけである。

「げ……っ」

 その破壊力に。

 その、大男の拳以上の破壊力をもつ凪の攻撃に。

 泰史が顔色を変える。

(なんつースピードとパワーだよ、ホントに…)

 既に人間業とは思えない。

 いや、これを人間業といっていいのならば自分達のような人間は玩具のような存在となってしまうであろう。

「これが……『S』の力…なのか……?」

 力なく呟く翔真。

 後では顔を青褪めた朔太郎の姿もある。

 大男はゆっくりと立ち上がり、血を吐き捨てて再び凪へと襲い掛かる。

 凪と大男の戦いは、既に泰史らがかかわりをもてるようなものではなく、離れて見守ることしかできなかった。

 闘いはほぼ一方的なものだった。

 大男も攻撃を繰り出しはするのだが、一向に凪にあたる気配はない。凪の能力が大男の能力をかなり上回っていることと、プラスαで前もって受けていたダメージが尾を引いているのだろう。

 数分の後、大男の片膝が大きく震えた。立っていることすらできなくなり始めている。

 しかしそれでも大男は闘いをやめようとはしない。まるで死ぬまで闘いに身を投じるのだと命令されたロボットか何かのように、泰史らの目には映る。

 哀れだ――と。

 泰史らは思う。

 自分達の敵とはいえ、大男という存在が哀れに思えて仕方がない。

(……そこまでして何で闘い続ける必要があるんだよ…?)

 泰史らに大男らの事情は分からない。先程の言葉の半分以上も理解することができなかった。

 と、その時大男の体が膝をつくような形で地面に沈んだ。

 そして―――

 そこに、火が生まれた。

 生まれた場所は、凪の手の平。

 火が燃える場所として選んだのは、大男の体。

 熱い風が、炎が大男の体を包み込む。

 体の全てが一瞬にして炎と化した。

 赤く燃え上がる。

 業火――と表現するに相応しい炎。

 その一瞬の炎に焼き尽くされて。

 苦痛を感じる間もなく大男の体は消滅した。

 それは……本当に一瞬の出来事でしかなかった。

 呆然とする泰史らを尻目に、そこに後に残ったのは静かに佇む凪と、小さな灰の欠片。そこに今の今まで大男がいたのだという形跡が、綺麗さっぱりと消滅していた。

「…………何…が…、起こった…ん…だ……?」

 しばらくしてからようやく我に返った翔真が呟く。

 理解不能。

 どこから炎が生まれたのか。

 何故大男の姿が綺麗さっぱりと消えてしまったのか。

 とてもじゃないけれど理解ができない。――否、理解はしていたが、信じることができなかった。

 呆然としたままの翔真らに背を向けたまま、凪がそっと己の手を見つめる。

「…………これが…私の特異能力だよ」

 ぽつり、と言われた言葉。

 凪はゆっくりと翔真達の方を振り返る。

 そして翔真らに見せるように、その手の平に小さな炎の灯火を浮かべた。

「――――ッ!!?」

 驚愕する三人。

 その姿に力なく苦笑しながら、凪は言葉を続ける。

「………私は炎を生み出し、操ることができるんだ。……こうやって、ね」

 言いながら、凪の手の平の炎が変化自在とでもいうかのように踊るように燃えて――消えた。

 翔真らは何も言えなかった。

 凪もまた、そんな翔真らに何を言うわけでもなく、静かに歩き出す。

 一歩ずつ、ゆっくりと近づいてきた凪に対し、一瞬体を震わす三人だったが、凪が気にした様子はなかった。

 すっと通り抜けるように歩き続ける。

「………さ、早く帰ろっか」

 静かな口調だった先程までとは違い、どこかふざけたようないつもの凪の口調。

 背を向けられている為に凪の表情は窺えない。

 そこに普段とおりの凪の明るい笑顔があるのか。

 それとも戦闘においてみせた鋭い眼差しを浮かべた表情があるのか。

 ……それともたった今までのような悲しみをうっすらと浮かべた表情があるのか。

 翔真らにそれを知る術はなかった。

 凪を追いかけるようにして前に回れば見られたのかもしれない。

 だが、とてもそんなことはできるはずがなくて。

 凪の姿が見えなくなってから、翔真らもゆっくりと慧二との待ち合わせ場所に向かって歩き始める。

 その足取りはとても重いものでしかなかった。

 迎えにきたヘリに四人は乗り込む。

 機械を通して会話が聞こえていたからか、それとも皆の纏う空気を察してか、慧二は翔真達にこれといった言葉をかけることはしなかった。ただ一言「ご苦労様」と告げただけ。

 軍事ヘリでジャングルを後にして、来た時と同じように途中でビジネスジェット機に乗り換えて日本へと向かう。

 無事に到着したのは交渉の日の前日の夜。

 出迎えた飯田らに任務完了の旨を伝え、人質であった朔太郎の身柄は無事に一ノ瀬優真へと引き渡された。心配していただけもあり、兄弟の抱擁はそこにいた者の心にぐっとくるものがあった。心配かけてしまったことに謝る朔太郎に、優真もまたお前にまで迷惑をかけて悪いと謝る。

 この時、朔太郎の顔色が少し冴えなかったことに気付いたのは数人の者でしかないだろう。

 無事に生還できたことを喜ぶ優真に悪いとは思いながらも、朔太郎は心から笑うことができないでいた。

 朔太郎は兄の抱擁を受けながらも、ちらりと視線を遠方へと向ける。

 任務を終えて建物の中に消えていこうとする翔真らの後ろ姿へと。

 だが、そこに朔太郎が求めた存在の姿はなかった。

(………凪ちゃん…)

 彼女は今、どうしているのだろうか――と。

 そのことばかりが気がかりで。

 脳裏にその姿を浮かべ続けていた。

 そしてその数分後、SDCの会社のあるシャワー室に一人の少女の姿が見られた。

 誰よりも逸早くジェット機から外に出た少女――凪は降りるなり即行でここへと向かった。

 個別に並ぶシャワーの一つに入り、コックを捻る。

 服を着たままの凪の体に、冷たい水が降り注ぐ。

 シャワーの水の音だけが部屋の中に響き渡る。

 否、その音だけではない。

 その音にかき消されるようなかたちで、もう一つの音が存在していた。

 ――必死で涙を、声を殺して泣く凪の嗚咽が。

「………ぅ…っ! ど……して………っ」

 水が降り注ぐ、その中で。

 凪の瞳から一筋の涙が零れ落ちる。

 降り注ぐ水とともに流れていき、混ざって分からなくなる。

 凪は、そのままシャワーを浴び続けた。

 まるで己に纏うその忌まわしい全てを洗い流してしまいたいのだというかのように。

 だが水が凪の咎を全て洗い流してくれるはずもない。

 消えていくのは体の汚れだけでしかないのだ。

 咎は残る。

 そして今日もまた、同胞の命を奪った感覚は凪の中へと残っているのである。

 消えることのない思い。

 消えることのない罪。

 他に音もないシャワー室に。

 水の流れる音が、五月蝿いくらいに響き渡り続けた。

「…………香澄…」

 そして、シャワー室の外でそっと壁に凭れるように佇む男の姿が一つ。

「…………すまない…」

 聞こえているはずがないのに。

 聞こえているはずがないからこそ――謝罪の言葉を述べる。

 男は持ってきた荷物を入り口の壁に凭れかけるようにして置くと、静かにその場所を後にした。





 あの任務の日から数日後の晴れた日。

 泰史ら三人は並んで街中を歩いていた。

 夕方ということもあって街を歩く人の数は多い。

 SDCという会社に属しているとはいえ、普段は彼らも普通の生活を営む一人の人間である。学科は違えども、三人は某大学の大学院に通う学生であった。

「あー、このレポート出すの面倒なんだけど、俺」

 げっそりと、手に持った紙をぴらぴらと翻しながら泰史が不満の声をのべる。

「泰史が前の手のしめきりを守らないから追加されたんでしょ。自業自得だよ」

「それもそうだ」

 きっぱりはっきりと告げる慧二に、苦笑しながら同意の言葉をのべる翔真。

 言われた言葉通り、泰史自身のさぼりが招いた結果ではあるものの、だからといって面倒なものは面倒なのであり、そういった態度をとられれば面白くないものである。

「ちくしょー、人事だと思いやがって…」

 ぶつぶつと不満の言葉を一人呟く泰史だったが、ふと視界に入ってきた人物に気付いて、はっと目を見開く。

 向こうも泰史と同じタイミングで気付いたようで、その大きな瞳を見開いてみせた。

「あれ、お前……」

「あ、貴方達は……」

 二人同時に声を発して、足を止めたことで慧二らも同様に気がつく。

「一ノ瀬じゃないか」

 その人物とは、任務において人質となっていた朔太郎だった。

 見覚えのある女子の制服と揃いの制服を身に纏い、学校の指定鞄を持っている朔太郎はおそらく学校の帰りか何かなのだろう。

 朔太郎は三人に向かってぺこりと御辞儀をする。

「先日は、本当にありがとうございました」

「いや、別にそんな気にすることじゃないって」

 苦笑して答える翔真。

 不意に気になった考えに、どうしようかと迷いながらもその言葉を続ける。

「……あー、それよりさ…。あいつ、どうしてる……?」

 あいつ――というのは他でもない凪のこと。

 凪と朔太郎は同じ学校のクラスメイトということなので、任務を終えたあの時から顔を合わせていない翔真らとは違い、朔太郎は凪が学校を休んでいない以上、顔を合わせているはずである。

 あんな別れ方をしたのだから気になっていたのだ、三人揃って。だがあの会社のことは秘密裏であり、会いに行くことは不審な行動でしかない。

 気になっていたが口に出すこともできず、というのがここ数日の暗黙の了解となっていた。

 あの光景を見ていたのは朔太郎とて同じことである。

 あの時、朔太郎もまた気まずそうにしていた。その為に尋ねるのも躊躇いがあったのだが――

「元気ですよ、とても」

 と。

 にっこりと微笑みながら朔太郎は答えた。

 これには翔真達としては呆気にとられるというものである。

 朔太郎はさらりと言ったものの、翔真達のその様子の理由も分かっているためにそれからゆっくりと言葉を続ける。

「……その…、僕も初めはどうやって凪ちゃんと向き合おうかと思ったんですが………、でもどんな事があっても凪ちゃんは凪ちゃんで、僕の大切な友達なんですよね。だから普通通りに接してます。その方が凪ちゃんにとっても僕にとってもいいと思うし……、それに凪ちゃんもいつも通りだから自然に普通に接してしまうんですよね」

 苦笑する朔太郎。

 その心の中では翔真達とは違い、もう結論がでているのだろう、彼女のことでは。

 しかし翔真達はそうはいかない。

 どうやって言葉を返すべきか迷っていたその時、聞き覚えのある声が耳に届いてきた。

「朔太郎君、ごめん…っ! なかなか補習が終わらなくって……!!」

 聞き覚えのある少女の声にひかれるように、三人はそちらへと視線を向ける。

 そして――見た。

 一生懸命、朔太郎に向かって走ってくる少女――凪の姿を。

「お疲れ様、凪ちゃん」

「もう、本当に疲れたよー………ってあれ、水澤さん達?」

 今気付いたのだとばかりに、きょとんとした眼差しを三人に向ける凪。

 突然の出会いに。

 そして普段通りなのだろう凪の態度に。

 別れ際の気まずい雰囲気など一切まとっていない凪の様子に。

 三人はどう言葉を返していいものかと困惑する。

 ――が。

「ちょっとちょっと、三人とも聞いて下さいよ、私の可哀想な現状を!!」

 と言って強い感情のままに語り出した凪に、更に呆気にとられることとなった。

「結局中間試験受けれなくて、追試決定になっちゃったんだよ! 当然ながら私が追試で通るわけがないから補習行き即決定ー。もう先生にも呆れられるは友達には馬鹿にされるわ、同士だと思っていた朔太郎君はちゃっかりと追試で合格してるから仲間はいないわーで私は寂しい毎日をおくるはめになってるんだよ!! これを怒らずして何に怒れっていうのか!! 酷いと思いません!? 思うでしょ!!」

 うがーと意味不明な叫び声を上げながら、爆発する凪。

 その凪の不満をぐちぐちと聞いていた三人だったが、不意におかしくなって笑いがこみ上げてくる。

 初めに噴出したのは泰史だった。

 それを合図とするように、声を忍ばせることなく笑い出す三人。慧二に至っては普段そういった笑いをしないだけに珍しいことこの上ないと知っているのは翔真と泰史の二人くらいのものだろう。

 当然ながら、笑われた凪としては面白くないわけで。

「ああっ! ちょっと三人とも何笑ってるわけ!?」

 酷い酷いといい続ける凪に謝りながらも未だ笑い続ける三人につられるように、朔太郎も苦笑した。

 ぷくぅっと頬を膨らますのはまるで幼い子供か何かでしかない。

「香澄、君、元気だね」

「何を言ってんですか、佐渡さん。元気じゃなきゃ毎日損ってものでしょ? ……っていうかそこ二人! いい加減に笑うのやめっ!! あーもう、何だかむかついてきた。こうなったら佐渡さん達にも責任とって私の勉強みてもらいますからね!! 一蓮托生ってやつです」

 言って、凪は鞄の中からどっさりと参考書とプリントの束を取り出す。何やら重そうな鞄だとは思っていたが、どうやら補習の為のそれらが詰め込められていたらしい。

「これだけ明日までにやって提出しなきゃいけないんで、とりあえず付き合ってもらうから!!」

 凪が笑い続ける泰史と翔真の腕に自分の腕を絡めて拘束する。

 そしてそのままずるずると二人を引きずるように歩き始めた。

「お、おい…っ! 何処に行くんだよ!?」

「勉強できるトコに決まってるじゃない」

「俺達はお前に付き合うなんてまだ何も……」

「安藤さん達に選択権なんてないんですー」

 何を言っても凪によって言いくるめられ、そんな他愛もないやりとりをしながら三人は何処へと遠ざかっていく。その後ろ姿を見、会話を聞きながら苦笑するのは残された朔太郎。

「…佐渡さんは行かれないんですか?」

「行かなきゃいけないんだろうね、きっと」

「でも拘束されてないから逃げようと思えば逃げれるんじゃないですか?」

「彼女から逃げれないのは君の方がよく知ってるんじゃないの?」

「あははっ。それもその通りですね」

 凪が強引で勝手気ままでいるのはいつものことでしかない。

 佐渡は溜息を零した。

「……それじゃ、俺も行くから」

 全く、迷惑な奴だね。

 と、言いながらもその表情は優しい。

「頑張って下さい」

 朔太郎の見送りの言葉を受けて、慧二は自分を置き去りに、すたすたと行ってしまった凪達を追いかけて歩き出した。


シリーズとするともう一つ別の任務を書いた物が残っているので、それもそのうちアプしたいと思っています。戦闘において人が亡くなっていますので、R15としています。

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