第4条「腹が減っては」
「せーの……」
「「「竹人くん!入社おめでとう!!」」」
そんな掛け声と共に、パーティー用のクラッカーが弾け飛ぶ。
辺りに漂う火薬の匂いが鼻をツンと刺激した。
「はは、どうも……」
ほとんど反射的に口から出た感謝の言葉は、あまりに心の籠らないものであった。
――田島 朱音とのエンカウントから時間は少し進み、ヘヴンズ・カンパニー内の通称『第1オフィス』の会議室では、今まさに、新入社員である俺、杜 竹人の歓迎会の真っ最中であった。
因みに、先程まで野垂れ死にしていた人々の一部が意識を回復したため、歓迎会のメンバーが神と朱音と俺だけ、ということにはならなかった。
「やー、それにしてもモリタケ、マジでよくこんなマジヤバなプレイスで働こうなんて思ったなァ」
俺の肩を叩きながらそう語りかけてきたのは、第1オフィスのメンバーのひとり、瀬喜 七哉だった。
因みにモリタケというのは、先程、歓迎会前の自己紹介でいきなりつけられたあだ名である。
モリタケのイントネーションはキ〇タクと同じだ。
おそらく社交性の高い人物ではあるのだが、その独特な口調やギラギラとしたファッションから、近寄りがたいオーラを発していた。
というか俺が関わりたくない。
朱音から聞いた話によると彼は、社外秘の資料を出会い系サイトの掲示板に誤って掲載した為に以前勤めていた会社を追われたらしい。マジヤバなのはお前だ。
「まあ……あんな風に頼まれたら断りにくいっていうか、なんというか」
瀬喜の言葉に俺がそう曖昧に答えると、
「ご、ごめんね竹人!ホントに人手が必要で……!」
と言って朱音が慌てて頭をぺこぺこ下げた。
「いや、謝らないでくれよ。なんかこっちが申し訳ない気持ちになってくるし」
そう答えたものの、内心では、本当にあの時手を貸すと言ってしまって良かったのだろうか、という気持ちが渦巻いていた。
そんな後悔を誤魔化す様に、テーブル上の紙コップの液体をあおったその瞬間、俺はあまりの苦さに思わずその中身を吹き出した。
吹き出した液体は目の前に座っていた神に直撃した。
「ンォアアアアアアッ!!!」
「……お、あたりだー」
そんな様子を見て、そう満足げに呟いたのは、ぼさぼさとした頭髪とサイズの合っていない白衣が特徴的な少女、科橋 総三だった。
朱音の先程の紹介によると、「なんていうかよく分かんない子」、とのことである。
そのため、俺もこの少女については、なんていうかよく分かんない。
「あー!フサちゃんまたクスリ盛ったっしょ!マジで!」
隣で見ていた瀬喜の口から、物騒な単語が飛び出したのを俺は聞き逃さなかった。
「クス、リってなん、だオイ……せ、説明しろ」
問い質そうとしたが、上手く舌が回らない。
「……副作用でちょっと寝ちゃうだけだからだいじょーぶ。おやすみー」
そう言って科橋は胸の前で小さく手を振った。
気になるのは主作用の方だよ!
と、言おうとしたが思うように声が出ない。
次第に視界が狭くなっていく様な感覚に襲われる。
薄れていく意識の中、朱音が俺の名前を呼ぶ声だけが聞こえていた。
目が覚めると、俺は身体が縮んでしまっていた!
――ということはなかった。
どうやら見た目が子供で頭脳が大人な名探偵になる必要は無さそうである。
薬物入りドリンクを飲んで意識を失ったあと、俺はいつの間にか見知らぬ部屋の布団に寝かされていたようだった。
「あ、起きた?」
体を起こすと、背後から聞き覚えのある少女の声が聞こえてきた。
振り返ると、そこには簡素なエプロンを身に付けて台所に立っている朱音の姿があった。
「え?なんでアカネが……てか、ここどこなんだ?」
未だに混乱している頭でそう尋ねると、
「んーとね、ここは竹人の部屋だよ」
と、朱音は包丁を動かす手を止めずに答えた。
夕暮れに染まる室内に、規則的な包丁の音とガスが静かに燃える音が響き渡る。
「俺の部屋?」
「そう。シャタク?って言ってたっけ」
それから聞いた朱音の話によると、どうやらここは俺の社宅で、意識を失った俺はここに運び込まれたらしい。
それは分かる、分かるのだが――。
「さっきから何やってるんだ?」
朱音が包丁を動かす手を止めてこちらを振り返る。
「何って……料理、知らないの?」
知らないわけないだろ……
「そうじゃなくて。なんで料理してんだ?」
「あー、そういう事ね。じゃあ竹人、時計は読める?」
「……お前は俺をなんだと思ってるんだ」
「いーから。何時?」
ここで突っかかっても仕方が無いので、壁にかかっている時計の指す時刻を素直に読み上げた。
「19時だな」
「……19時って何時だっけ?」
「時計読めないのお前じゃねえか……午後の7時だぞ……」
かなりの問題発言をスルーして、朱音は話を続けた。
「そう、午後の7時だよ。とっくに晩ごはんの時間じゃない?」
――家庭環境やその日の状況によっても違うとは思うが、まあ、大体その前後の時間ではあるだろう。
しかし、それがなんだと言うのだろうか。
「晩メシくらい自分で買ってこれ……あー」
言いかけて、ようやく朱音の言わんとしている事が理解出来た。
「そう、何処でゴハンの食材買ったら良いのかー、とか知らないでしょ?」
確かに、俺は今日この場所に来たばかりであるため、ヘヴンズ・カンパニーの周辺はおろか、その内部さえもよく知らない程に、この土地について無知である。
それに、食材を買うと言っていたので、恐らく天国にも、生きていた頃のように現金か何かを使ってモノを手に入れることが出来るのだろう。
この世界に何かしらの通貨があるとしたら、今の俺は言うまでもなく無一文である。
朱音の行動はそんな俺を見兼ねての事であり、親切心から来るものなのだろう。いい子である。
「ん?いや待てよ……」
そう言えばまだ納得のいかない部分がある。
「どうしたの竹人?」
「いや、なんで死んでんのに食事を摂る必要があるんだ?」
そんな俺の素朴な疑問は、たった一言で片付けられた。
「お腹空くじゃん」
――お腹、空くじゃん?
「え?そんだけ?」
「うん。食べなくても死にはしないんだけどね。さ、ご飯にしよ」
朱音はそう言いながらちゃぶ台を広げ、出来上がった料理を並べていった。
どうして死んでまで食事のことを気にしなければならないのか、と思ったが、空腹には逆らえず素直に料理をご馳走になることにした。
「じゃあ……いただきます」
「どーぞー」
朱音の作った料理を次々と口に運ぶ。
「……うまい」
「そう?」
メニューは、白飯にみそ汁、焼き鮭に卵焼きとシンプルなものであったが、空腹も相まってか、美味しく感じた。
食事をしながら、朱音とは色々な話をした。
ここに来た経緯、会社のことや、この世界のことを聞いた。
その日の夕餉は、賑やかで温かいものであった。
食事を終え、家への帰路につく朱音を見送った俺は、迂闊にも、薬物入りドリンクの事をすっかり忘れたまま、その晩は眠りについてしまった。