第3条「死人に口あり」
「こ……ここの仲間入りってどういう事だよ!?」
「どういう事も何も――君が今日からここの新入社員だという意味に決まってるじゃあないか、ハハハ」
「ハハハ、じゃねえよだからそれがなんでだって聞いてんだよ!」
静まりかえったオフィスに俺の怒号が響き渡ったが、死んだように横たわる人々は誰も反応を示さない。
本当に死んでいるのかもしれない。
確か天国じゃなかったか、この場所。
人が死んでていいのか?
「まあまあ理由なんていいじゃないか。知らぬが仏っていうでしょ?」
「そのことわざは神様が使っていいものなのか……?」
「いいんじゃない?神様だもの」
やたらスケールのでかい相田み〇をである。
「はあ……なんだか知らねえけどあんたの下で働くなんざ俺は御免だぞ」
そう言って立ち去ろうとした俺を神が呼び止めた。
「――待ってくれ竹人くん!!」
「なんだよ」
「『じーさん』と『ジーザス』は響きが似ている!」
「知らねえよ」
しかも別に似ていない。
呆れながらドアノブに手をかけると、今度は肩を掴まれた。
「あのなあ!だから俺は――」
そう言いながら振り返った俺は言葉に詰まった。
俺の肩を掴んでいたのは神ではなく、先程横たわっていた人々のひとりで、デスクの前で項垂れていた少女だった。
ヘアピンで軽く止められた黒髪の下の瞳は、今にも泣きそうなほど潤んでおり、俺は不意に胸が詰まった様な感覚に襲われた。
俺は思ったように口を開けず、場に奇妙な沈黙が走る。
秒針が刻まれる音を20ほど数えた所で、目の前の少女がようやく重い口を開いた。
「……て」
「て?」
「たすけてぇ……!」
少女はそう言うや否や、崩れるように座り込んで、幼い子供のように泣きじゃくり始めてしまった。
自分とほぼ同年代であろう少女がそんなふうに泣いている姿を見ていると、次第にいたたまれない気持ちになってきた。
恐らくはあの神に散々いいようにこき使われてきたのだろう。
同情はするが、こんな所に来てまで、あんな人間の下で働きたくない。
「た……助けるって言ったってなぁ……」
「お願い!少しの間でいいからぁ……!」
少女の申し出をやんわり断ろうとする俺に、しがみつくようにして少女は懇願した。
男は女の涙に弱い、と誰かが言っていたが、あれはあながち間違いではないのかもしれない。
現に俺は、少女の手を振り払う事が出来ずにこうして立ち尽くしてしまっている。
しばしの葛藤の末、逃げ出したくなる気持ちに良心がほんの僅差で勝った。
俺はひとつ小さくため息をついてから、
「……少しの間でいいんだな?」
と聞き返すと、少女の顔がパッと輝いた。
「い、いいの!?ホントに!?」
「ちょっとな?ちょっとだけだからな?」
少女の必死な剣幕に、そう念を押すように答えると、
「ありがどぉお……うぅ……」
とだけ言って、少女はまた泣き出してしまった。
「……あーもうほら、これで涙拭け」
そう言って俺はポケットの中にあったハンカチを少女に差し出した。
少女はそれを素直に受け取り涙を拭き終わると、鼻をすすりながら、
「えへへ、ありがと」
と言ってはにかんでみせた。
少しやんちゃそうな顔立ちに良く似合う笑顔だった。
そんな笑顔で異性に見つめられるのは慣れない事だったので、俺は気を逸らす為に無理やり話題を捻り出した。
「そうだ、名前教えてくれよ。名前。短い間とはいえ、これから一緒に働いてくことになる訳だし」
「あ、それもそうだね。私、田島 朱音。アカネでいいよ!……んーと、キミのことはなんて呼んだらいい?」
「竹人でいいよ、少しの間だけどよろしくな」
そう言って手を差し出すと、アカネは少し考えてから指をチョキの形にして差し出して来た。
「じゃんけんじゃねえよ」
「あ、握手か!」
「他に何があるんだよ……」
ようやくこちらの意図を理解したのか、今度はしっかりと握手を交わした。
色々と動揺しているとはいえ、今の状況で突然じゃんけんを始めるあたり、いわゆる天然なのだろうか。
そんな少女の様子を見て、俺はこれからの生活に若干の不安を抱いていた。