第9条「見送るミラクル」
「クソっ……時間が……!」
白い廊下を必死に駆ける。
なりふり構わず、ただがむしゃらに。
道行く人の視線も舌打ちも今の俺には全てどうでも良い事だった。
アンクーシャ――シヤが大事そうに抱えていたクマのぬいぐるみを探し始めてからおよそ5分。
タイム・リミットの半分をもう既に消費してしまっていたが、依然としてぬいぐるみは見つかっていない。
無駄に広い会社だとは言っても、今日1日シヤが居た場所など数える程しか無いため、そう時間はかからないだろうと踏んでいたのだが、どうやら見当違いだったようだ。
俺は一縷の望みに賭けて受付に駆け込んだが、そこで預かっていた落し物の中に、あのぬいぐるみの姿は無かった。
すぐさま戻ってもう一度回った場所を確かめようと走り出した瞬間、誰かに腕を掴まれた。
振り返ると、そこにはシヤの姿があった。
「シヤちゃん……どうしてここに?」
「あの……さがすの、おてつだいしなきゃ、っておもって……」
そう語るシヤの表情からは、どこか申し訳なさそうな感情が読み取れた。
「いいよいいよ、大丈夫だからさ。……じゃあ、もう1回探してくるよ」
「うん……みつかる、かなあ……」
「大丈夫だって。絶対見つけてくる、から、さ……?」
そう言ってシヤの頭に手を置いた瞬間、それは起こった。
突然、俺の体が宙を舞った。
「な、なんだぁ!?」
――このままだと落ちる!
反射的に目を瞑る。
が、いつまで経っても落ちていく感覚がない。
不思議に思って恐る恐る目を開けて辺りを見回すと、そこは会社のエントランスだった。
「なんだこれ……どうしていきなりここに……?しかもなんで浮いてんだ、俺……?」
さらに周りを見回して、俺は言葉を失った。
そこには神と――自分の姿があったのだ。
激しく混乱したのと同時に、俺の脳内ではひとつの可能性が生まれ始めていた。
――しばらくして、その可能性は確信へと変わった。
エントランス前に次々とやってくる黒塗りの高級車、そして、そこから出てきた柴崎。
「これ……もしかして今朝の……?」
どういう原理かは分からないが、どうやら俺は遡った時間の中に居るらしい。
それは俺にとって、あまりにも好都合な奇跡だった。
さすが天国。
天国だからなんでもアリなのだろう。うん。
――ちょっと無理があるかもしれない。
ひとまず理屈を考えるのは後回しにして、俺はシヤを見張り続けることに専念した。
今日起こった出来事に沿って時間は流れていく。
応接室で茶を差し出されるシヤ。
しっかりとぬいぐるみを抱えている。
オフィスで朱音、瀬喜と短い会話を交わすシヤ。
ここでもまだぬいぐるみを抱えている。
そして、ラボに辿り着いた所まで時間が流れた。
予想通り、というより予定通りにラボが爆発したその瞬間、俺は信じられないものを目の当たりにしたのだった。