淡恋さくら
「桜丘さん、トキヤの秘密知りたくない?」
「し、知りたい!」
今まで一度も話したことのない他クラスの男子のセリフに、つい食いついてしまった。トキヤという名前につられてーー。
だからといって、私はトキヤを好きなわけではない。決して。
「アイツね、中学の頃ーー」
トキヤと同じクラスになって3年目の春が来た。今年も桜が綺麗に咲いている。
私達は高校3年の新学期を迎えた。
高校生活の中で運命的な偶然が重なり、トキヤとは3年間同じクラスになった。クラスだけならまだしも、席替えのたびに隣の席になることが多かった。今回もそう。どういう確率だ。
窓際、左隣の席でトキヤは頬杖をつく。教室最後尾。トキヤさえいなければ最高の特等席だったのに。
窓の外には校庭脇に並んだ桜の木が見える。ちょうど今が満開の時期だ。
トキヤの髪が暖かい風に柔らかくなびいた。桜の匂いまでも運ばれてくる気がした。
今日もトキヤはかっこいい。何でも完璧にこなすからモテる。だけど私にとってはいけすかない男子だ。黙ってるだけで大多数の女子の気を引けて心のどこかでは嬉しいはずなのにそういう素振りを微塵も見せない。そこががっついてなくていいよね〜と、モテループに拍車がかかる。
それでもトキヤは澄まし顔。告白されても毎回同じセリフで断る。
「好かれても困る。俺のことなんてさっさと忘れて他の男好きになれば?」
そのバッサリ加減といったら、ない。相手に涙を流させる時間も与えず速攻その場を後にする冷徹さといったらもう……。
相手から好意をもらいっぱなしで自分は何も返さないとか、ズルいーー。せめて優しいセリフでやんわり断ればいいものを、どうして追い討ちをかける言い方しかできないのだろう?
以上の理由で、他の女子みたいに熱視線を送る気にはなれなかった。
「お前は他の女と違うな」
あくびを抑えながらトキヤはささやく。
「だってトキヤに興味ないもん」
「知ってる」
「どうして彼女作らないの? モテるのに」
「忙しい。女といると疲れる。めんどくさい」
「新学期そうそうブレないねー。相変わらず鬼畜」
「友達の恋ばっか応援して自分のこと無頓着なお人好しに言われたくない」
「ひどっ。まあその通りだけどさ……」
「……好きなヤツに振り向かれなきゃ、モテたって無意味だろ」
そう。この通り、トキヤは俺様。ふんぞり返り系。自分を中心に世界が動くと思ってる。片想いに胸を痛める女子の乙女心を全くわかっていない。まさにゲス。
トキヤの隣の席になることが多かったせいで、私は今まで何人かの友達に恋の橋渡しを頼まれてきた。
具体例を挙げると、告白するチャンスを作ったり文化祭や体育祭などで絶好のシチュエーション(自分で言うのもなんだけど)を設定したこともある。彼女達はとても感謝してくれた。しかし誰一人として恋は成就せず。トキヤは誰の告白にも応えなかった。
こんな人のどこがいいんだろ。長所顔面スペックだけじゃん。トキヤを好きになる女子達を見て思った。
顔が整っている。ただそれだけで恋愛市場で優位なのは男も同じだ。人生イージーモード。そのうえ文武両道。
チートを三次元化したようなトキヤは当然のごとくモテた。あまりたくさん話したことはないけど、少しの会話と今までの出来事でだいたいは分かる。トキヤは顔がいいだけの嫌なヤツだ。
そんなヤツの秘密とあらば、聞かないわけにいかない!
「アイツね、中学の頃先輩女子と付き合ってたんだよ。高校になってから隠してるけどトキヤは極度の甘党。それが原因で二人は別れた。意外でしょ?」
西と名乗った彼はいたずらっぽく笑った。
西君はトキヤと同じ中学出身だそうだ。とはいえ、すぐにその情報を信じる気になれなかった。
「西君を疑うわけじゃないんだけど、それ本当? なんか今のトキヤからはイメージできないっていうか。甘党って顔じゃないし……」
悪魔顔で片手に置いたショートケーキを握り潰す絵面なら容易に想像できるのだけど。
「たしかな話だよ。その先輩女子って二個上の俺の姉さんのことだから」
いきなり信憑性が増した。トキヤは中学の時西君のお姉さんを好きだったのか。二個上ってことは、今は大学生か社会人?
「ガチなんだ……。でも、甘党男子なんて普通にその辺ゴロゴロいるよね」
現に、クラスの男子の何割かは昼休みに甘い菓子パンを頬張っているし私のイトコ三兄弟も全員甘党だ。トキヤをかばうわけじゃないけど……。
「西君のお姉さんって理想高い人? 甘い物好きってだけで彼氏振るなんて」
「理想高いとかじゃないよ。姉さんは昔から甘い物が嫌いなんだ。ばあちゃんちに行くたびまんじゅうとかケーキばかり食べさせられて気持ち悪くなったんだって。それから」
「ああ……。それはキツイね」
「そういうことがあったから、デートのたびにカフェやファミレスで甘い物食べたがるトキヤと一緒にいるのがだんだん嫌になったんだって」
「そうだったんだ……」
恋愛して誰かと付き合ったことのない私にはよく分からない感覚だけど、そんなことでダメになってしまうほど恋愛関係ってもろいものなんだろうか。食べ物の好みは、それは合う方が話も弾むのかもしれないけど。
「にしても、どうしてそんな話を私に?」
「桜丘さん、トキヤと仲いいから」
「全然仲良くないよ。腐れ縁的なだけで。いや、腐るほど長くもいないか……」
「トキヤがああなったの、姉さんとのことがあってからだし俺もちょっと責任感じてるから……」
「そうだったんだ……」
輪をかけて嫌なヤツだと思っていた。でも、トキヤがそうなったのは臆病さの裏返しかもしれない。もう傷つきたくないから極端に女子を遠ざけてる?
「俺なんだよね。二人が付き合うキッカケ作ったの……」
西君いわく、トキヤとお姉さんの関係はお姉さんの片想いからスタートしたそうだ。
お姉さんは最初トキヤへの告白をためらっていた。平凡な自分にトキヤみたいなかっこいい人が振り向いてくれるわけはないと思い込み、弟に恋愛相談してしまうほど思いつめていた。
「『アイツああ見えて甘党で押しに弱い可愛いところあるから思い切ってお菓子でも差し入れしてみたら』ってアドバイスしたんだ」
西君の家は和菓子屋だそうだ。当時、同じクラスだったトキヤは西君の家の和菓子をよく買いに来ていた。二人は仲がよかったそうだ。それもあり、トキヤとお姉さんはすんなり仲良くなった。
「二人が付き合うことになった時は嬉しかったけど、俺があんなこと言わなきゃトキヤはああなってなかったのかなって……」
「西君、うちのクラス来たの初めてだよね。トキヤとは今は全然……?」
小さくうなずき、西君は寂しそうに笑った。
「二人が別れてから俺達の間もなんか気まずくなって。姉さんと顔合わせづらいからか、トキヤもうちの店に全然来なくなったし……。姉さん大学入ってから遠方で一人暮らししてるんだけどね」
それすら伝えられなくて、だけど伝えたくて、とうとう私を頼ってきたんだ西君は。
「アイツ、姉さんと付き合う前はもっと明るくてよく笑うヤツだったから。今のアイツ見てるのきつくて……。たまたま同じ高校になれたこと嬉しかったけど、声かける勇気なくて……」
「トキヤが前みたいに戻れるかどうかは分からないけど、私に考えがあるよ」
トキヤが前みたいに西君と仲良くなり、お姉さんのことも吹っ切れる方法。
翌日、なるべく早起きして教室に行き、薄桃色の小箱を机の上に置いた。フタを開けると上品な甘い匂いがする。
通学ラッシュに揉まれたくないと言い、トキヤがクラス一早く登校してくるのは知っていた。想定通り、トキヤは1番に教室の扉を開けた。私の顔を見た瞬間、驚いたように目を見開く。
「いつも予鈴ギリギリのクセに」
「とっておきの朝ご飯持ってきた。トキヤも食べる?」
箱の中身は桜餅。
昨日、西君ちのお店で買った物だ。かつて、春になるとトキヤはこればかり買っていったと、西君が教えてくれた。
「……サクラ、お前……」
いいねその顔。スカし顔が標準のトキヤは明らかにうろたえ、片眉を引きつらせている。
小さな箱の中に6つ入った桜餅。私はそのうちのひとつをつまみ、おもむろに口元へ持っていった。一口かじると、ほのかな甘みと桜の香りが口いっぱいに広がった。
「おいし〜」
「……朝からよくそんな甘ったるい物食べれるな」
「あ、いらない? 知り合いんちで買ったんだけど、検索したらネットでも美味しいって評判だったよ」
「いらないとは言ってない」
ぶっきらぼうに言い捨て、トキヤはかっさらうように箱ごと桜餅を手にした。
「それ全部食べるの!?」
「西に何か言われたんだろ。バレてんだよ」
「ぐっ……!」
鋭い。どうして分かったんだろう。あ、そうか。小箱に西君ちの店の名前が印刷されてるや。
観念し、私はテーブルに突っ伏した。
教室の中にトキヤと二人きり。やけに静かな朝。こんなシチュエーション初めてだし変な感じなのに別に嫌じゃない。
朝の静寂がさらさらと流れてゆく。桜の花が空中に舞う気配が制服に触れた気がした。
「それ全部あげる。だからもう変な意地張るのやめなよ」
「色々聞いたんだな」
「西君、寂しそうにしてたよ」
「アイツのせいじゃない」
「だったらそう言ってあげればいいのに」
だって、きっと誰も悪くない。
のっそり顔をあげ、トキヤの横顔を見た。相変わらず冷めた顔つき。でも、なぜだろう、今までみたいに悪く言う気になれなかった。
ただ黙って味わうように桜餅を食べている様子は幼い子のようにあどけなくて、少しだけ、ほんの少しだけトキヤのことが可愛いなと思えた。
「今さら何を言える? 一方的に無視して数年。西も今さら俺なんかと関わりたくないだろ」
「だったら私のとこにわざわざ来ないよ」
「何でサクラのとこへ……?」
「さあ……。トキヤの隣の席だから?」
いつもより口数の多いトキヤにハッとさせられる。こんなに話せるヤツだったんだ。今まで何度も顔を合わせた相手なのに全然知らなかった。
「アイツが責任感じることないのに。俺が悪かったんだから」
しおらしくつぶやく。トキヤの横顔には寂しさや後悔みたいなものが消えては浮かび、また消える。それは、毎年咲いては散る桜の花びらのように儚くて美しい色をしていた。
「誰も悪くないよ。もちろんトキヤも」
トキヤのことをこのまま枯れさせたくない。強くそう思った。
「たまたま巡り合わせが悪かっただけだよ。お姉さんも、西君も、トキヤも、みんなそれぞれ頑張ったんだと思う」
「サクラ……」
知ってた。私のことを名字じゃなく、いつしかあだ名で呼ぶようになったトキヤのことを。知らないフリしていたかった。その方が平穏でいられたから。
だけど、その平穏も手放す時が来たのかもしれない。
トキヤから向けられる静かな想いを、けっこう前から感じ取っていた。知らないフリをしてきたのは、恋の橋渡し役に甘んじていた方が楽だったから。
「サクラの冷たい態度、逆に惹かれた。そんな女子、初めてだったし」
「サラッとモテる自慢したな今。苦手だったんだよ、トキヤのこと」
「知ってる。今は?」
「ただの鬼畜じゃないことは西君が証明してくれた、とだけ」
「やっぱりお前は他の女と違うな。外見じゃなく中身を見てくれる」
初めてだった。今まで無愛想な顔しか見せなかったくせに、どうして今はそんな嬉しそうに笑うの? 胸の中で静かに波音が立つ。
「見てあげたくて見たんじゃなくて、見るしかなかったというか、西君が見せてきたというか……」
しどろもどろな答え。どちらにしろ、動き始めた気持ちは止まりそうになかった。
ギャップ。意外性。そんな単語で語りつくせない。恋は理屈じゃないとはきっとこのことだ。
どんどん惹かれていく。目の前のトキヤに。
あっという間に5つの桜餅を平らげてしまった細い指先。繊細そうなまつ毛。彩られた感情のせいで何もかもに目を奪われる。
「放課後、付き合えよ。甘い物食べるの」
「仕方ないな。少しだけだよ」
甘い物は、好きでも嫌いでもなく普通。だけど、好きになっていきそうな予感がした。
自分がトキヤと仲直りしたかったのもあるだろうけどそれだけでなく、西君はトキヤと私の背中を押すために私を訪ねてきたんだ。
本当のことを知るのはもう少し先の話ーー。
《完》