閑話 終末の日曜日
閑話なのでかなり短めです。
土曜日の深夜
少年ヴェルムは眠り続けます。
泥のように、石のように、眠り続けます。
その呼吸は浅く一定で、乱れることのない規則的なソレはまるで機械のようです。
無機質的な有機物。
感情の欠けた、欠陥だらけの魂。
器として存在するだけのその体は魂が抜けたかのように動きません。
ただただ眠り続け、休み続けます。
日が変わるのを待ちながら。
身体が魂で満たされるのを待ちながら。
そこにあるのは底のない無。
終わりなき終焉。
始まりを待つ創始。
夜の終わりが訪れるまで決して目覚めません。
朝の始まりが訪れるまで決して覚醒めません。
月が死絶し、太陽が誕生するまで彼の骸は微動だにしませんでした。
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日曜日
彼は夜明けとともに目を覚ましました。
開いた眼には理性の光はなく、起き上がった身体からは本能すら感じられません。
そこに宿るのはやはり無機質な淀み。
光はなく、闇さえない。
壊れかかったゼンマイ人形のように、彼は歩みだします。
切れかかったマリオネットのように、彼は足を踏み出します。
規則的に、機械的に。
その歩はまっすぐ図書館へと向かっていました。
図書館に着くと、彼は扉をこじ開けます。
毎週毎週同じことをしているせいで、図書館の司書さんも日曜日の朝は扉の鍵を早く開けているのです。
図書館の中に入った彼は、先週借りた本があった棚に向かいます。
そこで借りていた本を返すと、その本の隣に置かれていた本を手に取りました。
そして、これまた機械的に近くにある読書机に座り込み、読み始めます。
1ページ、2ページ、3ページと。
ページを捲る指は加速し、文字を追う目は縦横無尽に駆け巡ります。
やがて読み終わると、その本をまた最初から読み始めます。
繰り返し、繰り返し。
何度も、何度も。
それは日が暮れるまで行われました。
図書館に訪れた人は最初は気味悪がりましたが、いずれは気にも留めなくなります。
誰に見られようと止めることはなく、
誰に疎まれようと止めることはない。
その目に映し出されるのは目の前の文章だけ。
彼が本を読み終わるたびに、彼には表情が生まれていきます。
彼が本を読み始めるたびに、彼には魂が注がれていきます。
新しい記憶が植え付けられ、新しい感情が芽生えさせられ、新しい能力が目覚めさせられます。
その本の主人公の能力を、彼は得ていきます。
空っぽだった少年に与えられた、唯一の力。
何もない少年が持っている、たった一つの能力。
それが、『本の主人公の能力を得る能力』
ヒーローに憧れ、虚構に魅せられ、物語にとらわれた少年の、その心の具象。
しかし、新しい何かが彼に入り込むと同時に彼からは何かが抜け出してしまいます。
新しい記憶が植え付けられると、それまでの記憶が抜き取られます。
新しい感情が芽生えると、元あった感情が死滅します。
新しい能力が目覚めさせられると、持っていた能力が眠らせられます。
どんな魚を釣ったかも、どんな方法で釣ったかも、誰と釣ったかも忘れてしまいます。
ダンとガメッシュとの友情も、鮫との死闘の必死さも、彼らと話した思い出も、すべてが無に帰されていきます。
あれほどまでに脳裏に焼き付いた記憶が、すべて零れ落ちていってしまいます。
魚が釣れた時の喜びも、魚との駆け引きで得られた興奮も、仲間との釣りの楽しさも消え去ってしまいます。
鮫を釣る時の緊張も、釣り上げた後の喜びも、そして釣りへの情熱さえ、無くなっていってしまいます。
釣りを通じて得られた心が、ぼろぼろと崩れ落ちていきます。
索敵も、集中も、駆け引きも。
読みも、理性も、本能も。
釣りで必要だったすべての技術は、魂の奥底に封印されていきます。
1ページ、2ページ、3ページ。
ページを捲るごとにそれらは欠如していき、失われていく。
そうして空いた魂の穴に、別の魂が満たされていく。
彼は、欠陥を抱えた魂の宿主ヴェルムは、次はどんな一週間を過ごすのでしょうか。
どんな性格になり、どんな能力を得て、どんな思い出を作り出していくのでしょうか。
そうして魂に蓄積する一週間は、如何様にして失われてしまうのでしょうか。
それを知るすべを持つ者は、誰一人として存在しないのでしょう。
彼が手に取ったのは、伝説とまで言われたとある冒険者の物語。
釣り人から冒険者へ、他人から他人へと変質したヴェルムが織りなす、新しき伝説の物語。
短めではありますが、一応毎日投稿のノルマは達成。