本好きの少年は釣りをする。(2)
もうちょい続きます。
水曜日
昨日漁師の親父に借りた小舟から、今日からは沖に出ることができる。
陸地から見る海と、海上で感じる海ではその趣が全く異なるものだ。なんというか、力を感じる。何か途方もないものが潜んでいそうな、そんな力を。
浜に着きミミズを何匹か採った後、船を出した俺はとりあえず海上に鳥がいないか探した。
オールを漕ぎ、船を沖に進ませた。そして、鳥の鳴き声が聞こえないか耳を澄ました。
すると微かだが海鳥の高い声が聞こえたような気がした。
一度船を止め、耳に感覚を集中させる。
波に揺られて船が軋む音。肌をなでる風の音。そして、自分の心臓の鼓動や呼吸の音。
それらの中に、遠くの海鳥の鳴き声が聞こえた。
2時の方向だ。
俺は方向転換して、2時の方向に船を進ませた。
そこから20分ほど進み、だいぶ陸から放れたとき海鳥の群れが見えた。
ひっきりなしに海に飛び込み、そして飛び上がっている。
その何羽かの中には小魚を銜えている。
やはり、だ。おそらくあの鳥の群れの下には小魚が大量にいるはずだ。その小魚を目当てに鳥が集まり、そしておそらく海の下には肉食の大型魚が集まっているだろう。
俺はそいつらを釣り上げる。
せっかく漁師の親父に船と竿を借りたんだ。今日は大物を釣り上げよう。
まずは小魚を釣る。
これは月曜日にやったことと大体同じだ。それにここには数え切れないほどの小魚がいる。釣るのは簡単だった。
竿を垂らして数十秒。あっという間に掛かった小魚は釣り上げずに群れの外まで引っ張っていく。
大型の魚は群れから離れた小魚を狙うはずだ。
まだ生きのいい小魚を竿にひっかけながら、少し船を移動させて群れから距離をとった。
そして竿を流して2、3分か。
かなり力強い引きが腕を襲った。
ほぼ全身が筋肉でできた、引き締まった身体の魚。それが今回の獲物だった。
この世に生まれ出て何年もたっているのだろう。その魚はとても力強く、昨日までの竿だったら糸が切れるか竿が折れるかしていたはずだ。
だが、今日の竿は違う。合金の、決して折れない竿。そしてグランドキャタピラーが吐いた、魔力が練りこまれた強靭な糸だ。
いかに大型の魚でもそれらを引きちぎることは簡単ではない。
腕の中で竿が暴れている。昨日とは比べ物にならないほど強い引きだ。
だが、こうでなくちゃと俺は思った。
この腕にかかる重み。それが強者の重みだ。これまで何十匹もの魚を食らってきた、強者の重みだ。
今日は沖に出た甲斐があった。俺はこれまでにない幸福感を感じていた。
相手の引きは強烈だ。下手すればこんな小さい船はひっくり返されてしまうかもしれない。
俺は必死になって重心を移動し、船のバランスを取った。
竿がしなり、海に引き込まれそうになる。
体を後ろに倒し、思いっきり腕を引くが相手はびくともしない。
この手の大型魚の身体はしなやかで、効率よく水をかくことができる。
つまり、ただ引くだけでは勝ち目がない。
じゃあどうするか。駆け引きだ。
この魚は捕食者だ。つまりそれだけの余裕がある。実際それだけの力を持っている。しかし、強者の余裕というのは反転して、強者の油断となりうるのだ。
油断をしていればその分、隙が生まれる。
ならば、その隙を突けばいい。
少しずつ、少しずつでいい。ゆっくりと引き上げる。その分腕にかかる負荷は相当なものだ。
しかし、それがどうした。俺がこれから行うのは殺傷行為だ。捕食行為だ。
これから命を奪うものに対しては最大の敬意を、そして最大の警戒を。
俺は決して強者ではない。ただ釣りをするしか能のない弱者だ。
だから、自分よりも圧倒的に強者であるこの魚には油断をせず、堅実に勝利を狙う。
慎重に重心を移動させて、ゆっくりと着実に引き上げていく。
だが、相手の抵抗も半端ではない。なにせ捕食者であった自分が食われるかもしれないのだ。焦りもするだろう。
その焦りは、確かに一時的には力を強めるかもしれない。しかし、焦りは疲れというものを何倍にも増幅させることにもなる。
その焦りが限界を超え、相手が疲れてきた時に一気に引き上げる。それくらいしか勝ち目はないだろう。
それから10分は経っただろう。だが俺の体感ではもう30分も戦っている気がした。
俺の腕もかなり限界に近い。だがそれと同じように、いやそれよりも相手は疲労しているように思えた。
無理もない。捕食する側とされる側。どちらのほうが負担があるかなんて言うまでもない。
体力。そして忍耐力。それらがこの勝負を分ける決め手となるだろう。
だがまだ勝ったわけではない。油断をせず、気を抜かない。
すると、腕にかかる負荷が少しずつ減ってきているのを感じた。相手の体力に限界が訪れたのだろう。
もう少し、もう少しだ。
そして、相手の抵抗する力これまでにないほど弱まった時、俺は思いっきり腕を振り上げた!
竿の先に目をやると、黒光りする大きな魚がしっかりと釣り上げられていた。
体長は130㎝ほどだろうか。かなり巨大だ。
釣り上げられて観念したのか、それとも体力を完全に使い果たしたからか、もうぴくりとも動いていなかった。
俺はそれを船に乗せてとどめを刺した後、少し移動して空を仰いで寝転がった。
さすがに今回の釣りは疲れた。
少しの間波に揺られて休憩をしよう。
小一時間ほど休憩した後、俺は二匹目の魚を釣ることにした。
それ自体は簡単とは言えなかったがまあ先ほどと同じようにある程度うまくいった。
だが、もう少しで釣り上げられそうになった時、それは起きた。
釣り上げようと腕に力を込めた瞬間、腕にかかっていた負荷が急に何倍にも膨れ上がった。
生き物は死を覚悟した瞬間に限界以上の力を発揮することは多々あるが、これはそれと比べてもかなり異質だった。
何倍にもなったのだ。まるで、釣っているものが急に何かのモンスターにでも変化したかのように。
いくら腕に力を入れても竿はびくともせず、というかむしろ引きずり込まれていく。
そして数瞬のち、その負荷が全く感じられなくなった。糸が切れたのだ。魔物が吐いた強靭な糸が。
俺は驚き海面をのぞき込むと、海が赤く染まっていた。それは、さっき釣っていた魚の血だった。
ぐらり、と船が揺れ、視線をあげる三角にとがった背びれが見える。
その背びれの持ち主、その生物は巨大な鮫だった。
4mはあるだろうか。
口の端に魚の肉片をひっかけたその鮫は、俺のことなんて一瞥もくれず、悠々と泳ぎ去っていった。
俺は思いあがっていたのだ。
あたかも自分が強者であるかのように、思いあがっていたのだ。
強者だと思い込み、そして油断していた。
命を奪う捕食者が俺だけなわけないじゃないか。小魚を狙う大魚。さらにそれを狙うもの。それが俺だけだなんて誰が言った。
俺以上の強者なんてこの海にはいくらでもいる。
だというのに、俺は他者の命を奪うことに愉悦を感じ、その行為に酔いしれていた。
あの鮫は、きっと本物の強者だったのだろう。
自分以外の者は気にする必要もないほどに。
数え切れないほどの命を奪い、それを糧にこれまで生きてきた。
時には自分以上の強者も喰らってきたかもしれない。
そういう風格があの鮫にはあった。
見逃してもらえて本当によかった。
今あんなのとまともに勝負をしたら、俺はあっという間に負けて今頃この世にいなかったかもしれない。
俺は、身体の奥底からくる震えを、止めるすべを知らなかった。
ともあれ、釣り竿の糸が切れてしまったのでは今日はもう釣りはできまい。昨日の漁師の親父の話をちゃんと聞いておけばよかった。もしかするとあれが人食い鮫なのかもしれない。
結局今日の釣果は一匹だけだったが、俺は陸に帰ることにした。
陸に上がり、漁師の親父に今日起こった出来事をすべて話すと、親父は暗い顔をした後語りだした。
「そうか。あの鮫が出たのか。あの鮫はな、俺の女房の仇なんだ。他にも知り合いの漁師が何人かやられている。そこらの漁師はみんなあいつのことを恨んでいるのさ。それにしても、あんたが無事でよかったよ」
「そんなに凄いやつなのか……」
「ああ。聞くところによると、そいつは小魚の群れの所に現れたんだろ?ならまだここいら辺に居座るに違えねえ。漁師組合に言ってみんなに注意して貰わねえとな。いや、これもいい機会だし……」
親父はそう言うと、思案顔をした。
「なあ、お前さんは明日も釣りはするのか?」
「あ、ああ。するが、それがどうかしたのか?」
「明日、あの鮫を狩ろうと思う」
そう言った親父の顔は、どこか覚悟を決めたようだった。
「前から、いつかやろうとは思っていたんだ。あの鮫は化け物だ。あいつがいるだけで俺らの仕事もままならなくなるし、なにより俺の女房が浮かばれねえ。だが、今まではその覚悟が中々決まらなかった。でも今は違う。今はもう覚悟を決めた」
「なんでそんな急に覚悟が決まったんだよ。もしかしたら死ぬかもしれないんだぞ?」
「だから、だよ。あの化け物が生きていたらまた誰か死ぬかもしれない。それがもしお前だったら尚更寝覚めが悪い。それにな、もし俺と女房に子供がいたらきっとお前さんぐらいの年齢なんだよ。お前を守ってやるのはな、なんていうか男としての使命みたいなものを感じるんだよ」
「勝算はあるのか?」
「ああ、ある。ちょっと待っていてくれ」
そう言って家の奥に引っ込んだ親父は、数分後には一本の銛を持って戻ってきた。
それは250cmほどのかなり長い銛で、先端は50cm程で3つに分かれていた。
「この三又の銛にはな、雷撃<ライトニング>の魔法が込められている。三つに分かれた一本ずつにな。知り合いの魔道具屋に頼んで作ってもらったんだ。水中では絶大な威力を誇る雷系統の魔法、それが三つ分の威力だ。いくら相手があの人食い鮫でも十分殺しきれると思うぜ」
魔法。
それはこの世界ではもっとも発達していて、最も一般的な技術だろう。
その原理は単純でありながら、複雑だ。
自分の体内にある魔力や空気中に漂っている魔力を、呪文や魔法陣によって変質させて、何らかの現象を引き起こすもの。それが魔法だ。
その効果には様々なものがある。
洗濯物を乾かしたり、軽く手を洗えたりといった生活魔法。
攻撃を受け止める防壁を張ったり、魔物除け等に使える結界魔法。
肉体の能力を向上させたり、武具の攻撃力を上げたりする強化魔法。
高温の炎を出したり、ものを凍らせたりする攻撃魔法。
他にも幾つかの系統の魔法はあるが、今回この三又の銛に使われているのは付加魔法だ。
「なるほど、確かにそれなら可能性はあるかもしれない。だが、それはあくまで可能性の話だ。かなりの危険だろ?命を落とすことだってあり得る」
「ああ。だから明日は漁に出るな。万が一あの鮫を仕留め損ねたら漁に出ている人間が危険にさらされる。俺はな、お前さんには死んでほしくないんだよ。だから明日は漁に出るな」
「なんでそうなるんだよ。もし仕留め損ねたとして、そうなって一番危険なのはあんただろうが。俺はついていくぞ。止められてもついていく」
俺がそう言うと、親父はかなり悩んだ後俺に確認してきた。
「…………どうしてもついてくるのか?」
「ああ、ついていくぞ」
「そうか……」
そう言って深くため息をつくと、吐き出すようにこう言った。
「仕方ないか…。それじゃあ安全策を取ろう。古いなじみの家に声をかけてみる。もしかしたら力を貸してくれる奴がいるかもしれない。だがまあ、明日は今まで以上に激しい命のやり取りになるだろう。今日は早く寝てゆっくり休め。明日は朝ここに5:00に集合だ。遅れたらおいていくからな」
親父の言う通り今日はもう休んだほうがいいだろう。
まだ疲れも残っているし、明日にも備えなくてはならない。
俺は家に帰ると飯を食うのもそこそこに寝床についた。
なれないせいか、うまくまとまりません。
それに、釣りのことをよく知らないために固有名詞を出さずに書くことになってしまっています。やはり調べたほうがいいのでしょうか。
現実と違うことがあっても、そこは異世界だからということでお願いします。