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月がぼんやりと夜を照らすものの、雲行きは怪しい。
都心部から少し離れた静寂に包まれた街に、この辺りでは珍しい田舎家は広い土地を所有していた。
その家に唐突に尋ねた者がいた。
篠原である。
インターホンが鳴り「どちら様ですか?」と言った女性の声が聞こえた。
「木下さんの同僚で少し仕事の要件で寄らせていただきました」
勿論篠原だと言って奥さんを警戒させないための嘘である。
木下は都心部でサラリーマンをしている。
仕事の話と言えば怪訝に思っても出てくるだろうと踏んだのだ。
しばらくして家の中でいくつか言葉が飛び交った後、かったるそうな木下が出てきた。
どこにでもいるようなおっさんで背は自分よりも少しだけ高い。
小太りで髭の処理を数日していないのか白髪の混じった髭が見える。
野蛮そうな瞳にいけ好かない顔立ち。
玄関の扉が開かれて木下が篠原を捉えると同時に一瞬誰なのかを認識するような表情と沈黙が挟まれた。
その沈黙の間に後ろから「だれ~?」と小さな足音がした。
やっと思い出したかのように「ああ」と木下は零すと「今更なんのようだ?」と嘲笑交じりに聞いた。
奥歯を噛みしめて怒りを抑えると「お前を捕まえる証拠を見つけた。話がしたい」といった。
勿論証拠などない。
木下を外におびき出す嘘である。
「証拠ぉ?」
そんなものあるはずがない、とでもいうように嘲るような口調の木下であったが、篠原の沈黙と睨むような瞳に何か証拠を残すことでもあったのかと心配になってきたようだ。
後ろで「ねぇねぇ、お父さんだぁれ?」と木下の足に纏わりつく幼子が見えた。
まだ小学生にもなってないだろうか。
父親に似ても似つかぬ可愛い男の子がいた。
そして奥からは赤ん坊の泣き声も聞こえてくる。
何故子供を持つこの男が人の娘を・・・。
理解しがたい心境と再び怒りが心の奥で沸々と沸騰してくる感覚があった。
「ちょっと待ってろ」
木下はそう乱暴に言い捨てると一度玄関を締めて、服を着替えて出てきた。
家の中で子供が「ママ―ママ―」という声が聞こえてくる。
「ここでは話したくないだろうから移動しましょう」
きっと木下も警戒している。
20にもならない娘を殺すような男だ。
いつ牙を剥くかわからない。
警戒しながら男を近くの河川敷までおびき出した。
「どこまでいくつもりだ篠原」
この男が自分の名前を憶えていたことに少し驚いた。
「ここくらいでいいだろう」
街頭も少なく、近くにはテニスコートやら古びた遊具が見える。
木下はそんな篠原を見てフンと鼻を鳴らした。
「待ち伏せでもしてるのかと思ったらお前一人で本当に俺に証拠を突きつけにきたってのか?」
「いや、証拠なんてない」
「は?」
篠原の手のひら返しに拍子抜けしたのか、ポカンと口を開けて呆気にとられたかのようなあと大きく笑い声をあげた。
「じゃあなんだ?俺を殺しにでも来たか?」
笑いが収まらないような様子の篠原に木下は至って真面目に「そうだ」と答える。
それがまたおかしかったのだろう。腹を抱えるように笑い出した。
「こりゃ傑作だ。
お前みたいな善人面した野郎が俺を殺せるわけねぇだろ?ふざけてんのか?」
笑っていた木下は途端獰猛な瞳で獲物を見るように篠原を見た。
これこそ人を殺す瞳だ。
「そうだな。俺にはお前のようなあんな残酷な人殺しはできない。
だから悪魔に魂を売ったんだ」
「はぁ?何言ってやがんだ。まぁ、いい」
そう言って篠原は懐に忍ばせておいたのだろうナイフを取り出した。
外に呼び出した時点で警戒していたのだろう。
篠原に迷いはなかった。
「牛鬼」
『このオトコか』
蠢くような声が水辺から聞こえた。
そこから這って出てくる蜘蛛のような胴体。
月夜にギラギラと獲物を狙うかのような獰猛な目つき。
次第に月に照らされその姿は露わになった。
その姿を見るのが二度目であり、己の望みを叶えてくれると知っているとしてもやはりその姿は腰を抜かすほど恐ろしいものには違いなかった。
「木下。お前には死よりも苦しい罰を下してやる」
地面が蠢くように揺れた。
「な、なんだ!?」
その時になって漸く木下は牛鬼の姿を捉えた。
『なんとも業の・・・理不尽なことよ』
憐れむような牛鬼の言葉と男の悲鳴が河川敷に響き渡り、それは水の音に飲まれていった。
翌日朝一のニュースで○○市△△区河川敷で事件があったとのニュースが流れた。
近くに住む木下という男が水辺近くで倒れているところを、家を出たきり帰ってこないと心配した奥さんが見つけたそうである。
男は意識不明の重体であったが、まもなくして意識を取り戻したそうだ。
男が倒れていた一体の動植物が腐敗し、死に至っていることが後の捜査で判明した。何かしらの毒による殺人未遂かと思われたがおかしなことにまるでそのすべての毒を掬い上げたように一切の毒物反応はその一辺から見受けられなかったと警察は報告している。
第一発見者の奥さんの証言によると木下さんは同僚から仕事の話で呼び出され、家を出たとのことである。
その時に子供がその人物を玄関で見てはいるものの、顔は覚えておらず、木下さんが出ていったあとに「鬼が・・・鬼がお父さんを連れて行っちゃう」と言っていたらしい。
最初は子供の戯言だと気にしていなかった奥さんであったが、帰ってこない夫を心配して探したところ近くの河川敷の水辺の傍に倒れていたとのことである。
警察はその同僚と名乗る男が怪しいと捜査を進めているが、殺人に使われた詳細についてはまだ詳しくはわかっていないそうだ。
そんなニュースを見て朝比奈は煙管の紫煙を吐きだした。
牛鬼とは水辺を好み、毒を吐いて人間を食い殺す残忍で獰猛な妖怪の一種である。
ニュースでいっていた毒物のようなものはきっとそれに違いない。
木下の様子はニュースでは詳しく話されていなかったが、一体どうなったのだろうか。
思ったより早い実行だったため、奥の部屋はまだ用意してはいない。
さて、と立ち上がり奥へ続く襖を開けたところに案の定篠原がやってきた。
目の下に隈が出来ている。
あれから一睡もしなかったのか。
「どうだった。復讐の味は」
襖の奥へと進みながらそう尋ねてみるが、篠原は一言も発さず覚束ない足取りで中へと入ってきた。
きっと今なにを話しかけても応えないだろう篠原は放っておいて、さっさと準備に取り掛かった。
最後に清明桔梗を中心に置こうとしたときに、篠原が消え入りそうな声で何か言った。
「木下は・・・二度目の事件とは無関係だったんでしょうか」
二度目。それは篠原の復讐のスイッチをいれた、牛鬼という鬼を呼び出すキッカケとなったあの事件だ。
「木下は牛鬼を見て、確かに娘は俺がやったが、次の事件は俺じゃないと叫んだんです」
「で?だからなんだ。たとえその言葉が本当であったにしろあんたはあの男に娘を殺され、復讐すると決めた。そのキッカケが二度目の事件だったってだけだろう」
きっと復讐を終えてみて、言い知れぬ何かが木下の胸に留まってるのだろう。
復讐とは何も生み出さない。けれど人間とは与えられた憎しみを返さなければ一人では背負っていけない生き物である。
余程の強者か、余程の弱者以外は。
「さて、牛鬼を還す」
紙垂の垂れたしめ縄が3方にあり、真ん中には五芒星。
朝比奈の目にははっきりと映っている牛鬼がこちらをジッと見た。
そして何か思い出したように獰猛な目を見開く。
『小童。思い出したぞ。お前は間継の次男坊か』
声は篠原にも聞こえているのだろう。
死んでいるような瞳で小首をかしげていた。
「俺は鬼の知り合いなんていねぇよ、さっさと失せろ」
『妖怪よりも鬼のようなヒトのくせしてよくいう』
「生憎俺は自分の手は汚さない性質なんでね」
牛鬼の嘲りに朝比奈は淡々と返すと、牛鬼は怪訝だという風にまたもや朝比奈をジッと見た。
『小童、お主よもや視えておらぬのか』
次は朝比奈が眉間に皺を寄せ、牛鬼を見る番であった。
そんな朝比奈の様子に牛鬼は何が面白いのか地響きのような笑いを響かせた。
『これは傑作なことだ。良い土産話ができたわ』
「御託は良いからさっさと還りやがれ」
牛鬼はのそりと篠原に寄った。
篠原にはそれが見えてはいない。
「契約完了だ。あんたの復讐は成し遂げられた」
朝比奈の言葉に篠原は怪訝な目で見返した途端、牛鬼がまるで篠原を飲み込むように獰猛な目つきで彼を’喰らった’。
途端篠原はその場に崩れるように倒れた。
満足そうに牛鬼はのそりと五芒星へと向かうと、独りでに最後のしめ縄が括られた。
そして牛鬼は愉快気な表情(朝比奈にはそう見えた)でゆっくりと炎の中に消えていった。




