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数日たったとある朝刊に目を通していると一面ではないが、ぱっと目につく大きさ記事でまた殺人事件が記載されていた。被害者はまた実家暮らしの10代後半女性だったらしい。
篠原(朝比奈は中年の男がそういう名前であるということを、後に新聞を見た時にしった)が犯人だという木下の犯行なのか。
しかし再びこの事件が起こったからには警察は新たな犯人を追及する以外に風当たりが強くなる一方の世間様に面目を保つ方法はないだろう。
いつもの6畳間で朝の珈琲を飲みながら新聞に目を通していた朝比奈は大きなため息をついて、懐にしまっていた玉を取り出した。
「やっぱりそうなるわな」
透明であった玉は中心から濁り始め、徐々にそれは玉全体に広がり、ついには濁った川の色のような青になった。
玉を再び懐に戻して、珈琲カップを煽り飲み干すと重い腰を上げる。
「下準備するとしますか」
そう一人呟いて奥の部屋へと続く襖をあけてから篠原が店を訪れたのは1時間も経たない昼前であった。
店に朝比奈の姿が見えなかったのだろう、6畳間の暖簾を押して「すみません!」という声が聞こえた。
以前の控えめで大人しい印象からは考えられない怒りを含んだ声色が聞こえたが朝比奈であったが面倒で腰をあげるのを躊躇っていると再び声がかかったため思わず出た大きなため息とともに腰をあげて篠原を迎えた。
「いつになってもあなたが連絡くれないからまた事件が起きたじゃないですか!」
まさかの第一声に呆気にとられたが本日二度目のため息とともに「俺のせいかよ」と零した後とりあえず上がれよ、と6畳間に篠原を招いた。
「もっと早く依頼の連絡をくださっていれば木下の野郎がまた事件を起こすこともなかったのに・・・!」
悔しそうに茶舞台を拳で叩いた篠原に失笑が零れた。
そんな朝比奈に勿論篠原は怪訝そうな表情で睨んできた。
「アンタの依頼をもっと早く受けてそうして復讐していれば今回の事件はなかったって?」
「だってそうでしょう!?あんな殺人鬼がいなかったら私の娘も今回の娘も・・・」
朝比奈はどこからか取り出した煙管に火をつけ一服しては紫煙を吐きだし立ち上がる。
「この世にもし、なんて過程は存在しない。それにあんたの娘も・・・」
その言葉は篠原の強い口調によって遮られた。
「そんな詭弁を聞きに来たわけではありません。依頼、受けてくださるんでしょうか?」
2度目の紫煙を吐きだし、灰皿に煙管の煙草葉を落とすと朝比奈は襖を開けた。
その先には先日まであった漆の茶舞台はなく奥には異様な雰囲気と紙垂を吊るしたしめ縄が直径3メートルほどの円を作り、その中の床には五芒星の描かれた大きな板があった。
電気はついていなかったため朝と言えども薄暗い。
「その望み叶えましょう。最後に一つ。この先に進めば後戻りはできません。それでもあなたは望みますか?」
急に丁寧になった朝比奈に篠原は前の雰囲気と合わせ少し圧倒されたかのように黙った。
「ええ」
そういって立ち上がった篠原に部屋へと入るように促す。
二人が入ると襖は一人でに静かに閉じた。
そんな奇異な出来事に篠原の緊張は一層高まったのか朝比奈を何度も見やる。
前に用意されたものたちを見るからにこの男が今からやろうとしていることが常人の踏み込んでよい範囲の物事ではないことを篠原はすでに理解できていた。
最後の陽が差し込む襖も締め切った今は先ほどよりも随分と暗い。
朝比奈がそっと何かを払うような仕草を見せると部屋の四方で蝋燭のような火が付いた。
沈黙に篠原の固唾を飲む音が聞こえる。
「見えるか?」
そういって差し出されたのはあの玉であった。
薄暗くて見えにくいがそれは透明さをなくして何かに濁ってしまっている。
「これがあんたの憎しみの色だ」
その声に頷くように四方の火がゆらりと揺れて、二人の影も揺らいだ。
朝比奈が部屋の中央へと向かう。
しばらくして彼の催促に篠原もそれに倣うと朝比奈は何かの印を組むようにして少しの間瞑目した。
その静寂に火も揺らぎを一切なくし、そっと目を開けたのだろう朝比奈が玉をしめ縄の円の中-五芒星へと投げ込むと途端その玉は大きく燃え上がり、火は青く光った。
この世のものではないような青い火が徐々に大きくなるにつれ、その中から何かが蠢くような姿も徐々に大きくなっていく。
目を凝らすと炎の中で丸いものが目に入った。
炎は勢いを増すがしめ縄から外にはその火は一切漏れていないようだ。
まるでその中だけが別次元にあるかのような錯覚に襲われた。
最高潮に達した火は徐々に勢いを衰えさせ、その中に‘何か’がいることがはっきりしてきた。
「ひっ・・・」
喉の奥から悲鳴が零れる。
目の前に現れたのは人間ではない伝承にしか聞いたことのない異形の者であったからだ。
一歩二歩と自然と足が退き、つまずいて尻もちをついた。
「な・・・なんだ。これは・・・」
篠原の声は弱々しく震え、体も小刻みに震えだした。
前に映る異形のもの正体は、頭は牛で鋭い牙を持ち、蜘蛛のような胴体と足を持っていた。暗くてよくは見えないが胴の色は濁った川の色に見える。
そして尻もちをついた篠原の3倍はある大きさである。
「これがあんたの恨みの正体であり、望みを叶えてくれる‘鬼’だ」
鬼。
伝承でしか存在しない架空の存在を言葉にし、そして召喚した。
鬼よりもそんな目の前で悠々と立つ男のほうが恐ろしく思った。
「安心しろ。こいつ、牛鬼はお前を襲ったりしない。ヒトを殺して食うよりも業の方がこいつらは好むからな」
この鬼が代わりに望みを叶える?
パッと理解はしがたかったが、確かに恐ろしい鬼ならば人など赤子の手を握るように殺せてしまうのかもしれない。
『おい、小童』
唐突に地響きのような震えと共に低い声が響いた。
その声はおそらくしめ縄の中にいるあの異形の者のものなのだろう。
「牛鬼。しばらく式神として使わせてもらうぞ」
『引きずりだされたと思えばヒトの式として動けだと・・・』
「代価は望みに見合ったこの男の業。文句ないだろう?牛鬼」
ギシリと床が軋む音がした。
代価は業。業とは一体なんなのか。
『いいだろう。暇潰しくらいにはなる。小童早くこの結界を解け』
その言葉のすぐあとに四方の火は消え、しめ縄と五芒星が燃えて灰も残さず消えた。
途端牛鬼の姿は消えてなくなり四方を見渡してもやはりどこにも姿は捉えられない。
「さっきの結界は鬼を映し出す力もある。常人には鬼は見えん。
あんたが望めば牛鬼は望みを叶えてくれる」
「さっき言った代価は業ってどういう意味・・・なんだ」
鬼が望みを叶えてくれるのはわかった。
しかし男は説明が足りなさすぎる。
「悪魔に魂を売ってでも叶えたい望みなんだろう?代価がなんであれ気にする必要はないんじゃないか?」
朝比奈はそういって妖艶ともとれるような微笑みを浮かべた。
その微笑みを見て背筋に怖気が走る。
この男はもしかすると木下なんかより数倍危ない奴なのかもしれない。
しかし確かにそうである。
復讐のためならば死んだって構わないと決めたじゃないか。
「そうでした」
篠原はそう頷いた。
『小童』
どこからかそんな声が聞こえた。
しかし牛鬼の訝しむような声は続かなかった。
「じゃあまぁ、頑張って望みを叶えてくることだな」
「ええ」
朝比奈の骨董品店より出た篠原は背後に何かいるような気配に気が気ではなかった。
例えそれが自分の望みを叶えてくれるモノだとしても、それは生きている内で常人ならば決して会いまみえる機会のない異形のものなのである。
あの男がいうには襲われる心配はないとはいうものの、腹の見えない男の話を鵜呑みにするわけにはいかない。
復讐を終えるまでは何が何でも死んでたまるか。
恐怖と歓喜の入り混じった興奮を抑えながら篠原は帰路についた。
今日は休日ではない。しかしあのニュースを見てたまらず会社に休みの電話を入れて骨董品店へ駆けてきたのである。
今や独り身である篠原には広すぎる一軒家に入ると、勿論誰も出迎えてはくれずガラリと寂れた玄関が目の前に広がるだけであった。
湧き上がる寂しさと切なさが途端憎しみへと変わる瞬間は常に耐え難いもので、復讐という二文字を掲げてからは常にそれを背負ってきた。
今や言葉だけではなく実行へと移せる力を手に入れた。
しかし一体どうやって復讐をしたものか。
死ではない。遥かに耐えがたい苦しみをどうやったら与えられるのであろうか。
篠原は脱いだ靴をちゃんと揃えて並べ、キッチンで水をコップに汲んで食卓へとおいた。
それからリビングのカーテンを開けるとすこしばかり手入れした庭が見える。
小さな溜息をついて椅子へと座り、水を一度飲み下して視線を膝に落とした。
気のせいか目に見える世界が暗く見える。
外はこれでもか、というほど晴れわたって雲一つも見当たらなかったのに。復讐の手立ては見つかったのに。何故こんなに世界は暗いのであろうか。
『どうしたヒトよ』
蠢くようなそんな声が家のどこからか聞こえた。
天井のような、地面の奥深くからのようなそうして頭に住み着いているようなそんな声に思わず辺りを見渡した。
『漸く復讐が出来ようとしているのに嬉しくはないのか』
「うれしいさ。だから今どうやって復讐したものかこうやって考えているんだ」
『このワシに任せれば手足の一本や二本喰らって来ようぞ』
相変わらず低く蠢くような声が少しだけ楽しそうに聞こえた。
「俺は・・・あいつに死よりも辛い苦しみを与えたい。生きていることに絶望するくらいに。けれどその地獄から決して出してやるものか」
しばらく牛鬼は何か考えるようにしばらく何も言わなかった。
『ふむ、いい考えが思いついたぞヒトよ』
「いい考え?」
『まぁ、この残忍で獰猛とヒトが恐れる牛鬼に任せておればよい』
低く地鳴りのような音が鳴り響いた。
篠原はそれが牛鬼の笑いであること、牛鬼は本当に死よりも辛い苦しみを与えてくれるということをなぜかわかったような気がした。




