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夕日と暁と。 ~狼の幸福論~

『空色の書架』出展作品第二弾!お題は『ある朝の日に』です。またもやしっとり系で攻めていきます。笑

「ねぇ……あなたはこの世界をどう思ってる?」


 橙色に染まる風景の中、一人の女性はこう呟いた。これは隣にいる男性に対しての言葉ではない。この言葉はまだ女性の中で誕生を待つ、小さい小さい生命いのちに対してのものだった。


「私達、まだあなたに名前をつける勇気が出ないの……だから教えて?」


 男女の――――否、夫婦の間を風が吹き抜けていく。女性の長い黒髪は、美しくなびいていた。彼女らは見渡しのいいビルの屋上に立っていた。女性は自らのお腹をかなしげに、そして悲しげに抱きしめる。その表情をフードを被った男性は見つめていた。その顔は人間のものではなく――――鋭利な表情をした狼のものだった。


「あなたはこの世界をどう思ってる?」



*****



私達の住んでいる“龍の島”と、“人の島”は、二つ合わさって“アザトホール”と呼ばれている。広大な海に二つの島。そこには異なる宗教が存在していた。それにより誤解が誤解を生み、気が遠くなるほどの過去から戦争を繰り返している。その宗教での最大の論点は、このアザトホール含め全ての世界を統べる最高神の“容姿”についてだった。


 動物の姿である龍<イツァナム>の姿であるのか、人間の姿である人<イシュルタ>の姿であるのか。お互い自分達の姿こそが神の末裔だと主張するのだ。主張することをやめた方が、下位民族として己の存在を認めなければならないからである。かくして戦争は繰り返されているのだ。


 お互いの姿をお互いが否定し合う。そこには価値観の合意などありえないもののように感じるだろう。しかし、共通したものも存在するのだ。


 それは、龍<イツァナム>の姿と人間の姿である人<イシュルタ>の姿を混ぜた雑種ミックス、謂わば“半端物”。


 それは龍の島、人間の島のどちらともを捨てた者達から生まれた醜いものとして、扱われていた。それだけで不当な仕打ちを受け、充分な権利も与えられないまま“駆逐”されてしまうことも珍しくない。


 人の民として生まれた女性、龍の民として生まれた男性。お互いに生産的な、建設的な恋だとは思わなかった。両者とも何度も諦めようとした。しかし、それでもなぜ好きという感情を、種族が違うからといって隠さなければならないのだろう。その強い思いは磁石のように二人を再び、引き合わせた。そして女性はついに子を身篭ってしまったのだった。


 この喜びが、苦しい。産む気でこの決断をした。何があってもこの子を守ろうと、そんな一心だった。だが、その新しい生命がお腹の中で大きくなり、それが動いてくるのがわかるようになると死んでしまいたくなるように不安に襲われた。


 新しい生命は、このお腹から出てくることを望んでいるだろうか。そもそも、この世界が自分を傷つけにやってくることを知っているのだろうか。


「……俺は赤ちゃんが、この世界をどう思っているかはわからない」


 男性はぼそりと呟いた。身体の芯まで響くような低い声。そして男性は自分の顔を隠すフードを取った。三角耳に尖った鼻、そして見るものを怯えさせる刺さるような眼光――――狼の容姿をした“龍の民”は“人の民”である愛する人へ視線を向けた。


「――――ここで飛び降りて、仲良く心中。悪くないさ、確かに俺らからすれば。子供のためだって思いながら死ねるし、万々歳だよ」


 狼の顔をした男性は、ビルの端に立つ。そしてしゃがみこんだ。女性は慌ててその男性の腕を掴んだ。その瞳からは涙が溢れ出していた。


「だけどな、俺らは実に簡単な思い違いをしている。どこの誰が死後の世界を見た? どこの誰が神様を見たと言った? 全部、口からでまかせの妄想さ。国を守りたい、誰かを守りたい。そして己を守りたいから放つ、ただの絵空事なんだよ。それじゃあ、龍の島も、人の民も、――――そしてお前も、俺も一緒なんだ」


 その言葉を聞いたときには、女性は狼の男の胸ぐらを掴んでいた。そしてそのままビルの中側に放り投げる。気が動転しているのか、血走った目でその男を睨んでいた。


「じゃあどうすればいいっていうのよ!! 貴方の考えだってわかる! でも貴方一人がそう言ったところで何も現実は変わらない! 変わらないの! 結局、理想論なのよ……」


 血を吐くような勢いの彼女の叫びを、狼男は聞いていた。大きな耳で一心に彼女の言葉を聞き入れていた。それはどれだけ痛みを伴うものか、想像もできない。


「――――偉人は狂人だ」


「……え?」


「何かを変えるには、今まででは思いもしなかった、新たな価値観が必要なんだ。王政を廃止した民による人権革命。手工業から機械を導入した産業革命。その価値観に、民の“ニーズ”さえ合致すればそれは勢力を持ち、大多数マジョリティとして成立する」


 狼男は、ビルをもう一度見下ろした。そこに広がる景色は彼にどう写ったのだろうか。


「常に有り続けるもの。常に俺達を支える、神のような存在。それは今流れている風であったり、橙色に全てを染める夕日であったり、空を覆う星屑だったりするのではないかな」


 そしてそっと女性のお腹を撫でて、裂けた口でにっこりと微笑んだ。


「早く出ておいで……怖がらくていいんだ。世界はとっても美しい。嫌われていても、仲良くしようとする気持ちを忘れるな。受け入れて、自らが作り上げていけばいい。何より、一番最初にお前はお母さんという、最高の女性に抱いてもらえる」


 女性は堪えきれず、また泣き出した。それは先程のような身を削るような涙ではない。狼男を力の限り強く抱きしめて、まるで子供のように――――泣いていた。


「ほら、家に帰ろう」



*****



 ある日の朝、女性のお腹から“生命”が誕生した。そしてその女性は母親となった。そのパートナーである狼男も、同時に父親となる。そこで、父親はすぐに驚かされることになる。


 子供は双子であった。一方は母親似で男の子、もう一方は父親似で女の子だ。狼男の太陽ソレイユと赤ん坊に名付けようとしていた計画が崩れ去ってしまったのだった。


「二つに分けてあげればいいじゃない。暁と夕日に」


 女性は双子を抱きしめて、幸せそうに笑う。その妻を見て、また幸せそうに狼男は笑うのだった。そしてそれが出発の船出だと言わんばかりに、新しい二人を家族として迎え、その一行は“アザトホール”を後にした。自分達と同じ心を持つ同士を探しに行くために――――。


 この双子が後に“龍の島”と、“人の島”を指す“アザトホール”を吸収することになる、“自然”を神の化身として信仰する“マール”という国の君主になろうとは、このときは誰も、知らない。






 >END

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