犬一点 ~とある便利店での休日にて~
ぐぅぱーさん主催の『空色の書架』参加作品、第一弾です。今回は『休日』がテーマということでほのぼのにしてみました。
「いらっしゃいませー、おはようございます! 本日“マグロまん”が10パーセントオフでございます!」
僕は眠気でぼんやりと霞む目をゴシゴシとこすりながら、店のレジの前に立ちつくしていた。ちょうど外では太陽が昇ったところだろうか。そんなことをぼんやりと考えていると、僕の腰を後ろから誰かが肘でつついた。
「……棒立ちは厳禁です。さっさと品出ししてきてくれませんか?」
「あ、ルーシアさん! すみません、いってきます。レジ点検お願いします」
ルーシアさんというのはバイト先の先輩にあたる存在だ。ルーシアさんはスラリとした女性で、そのクールな人柄にバイト内での評価も高い。そして僕的な印象としてもルーシアさんは他のバイト仲間と違って“方言”がないところが僕の疎外感を和らげる要素となっていて良いのだった。
そんなことを考えているときにルーシアさんとは別のカイル君が、こちらをじっと見てきた。歳を考えると一個下なのだが、ここのバイト経験では僕よりも先輩にあたる。ちなみに彼は“方言”が強い。
ちなみ、なにより僕と他の仲間達とは“方言”以上に異なる点がある。
「ほら“犬”っていうのは忠実に働くもんなんだろー。俺らの分まで頑張ってくれニャ」
僕はボーダーコリー種のれっきとした“犬族”である。一方他のバイト先の仲間達はあんまり種類に詳しくないのだが、しかしこちらも間違いなく皆“猫族”なのだ。
ここ、“アザトホール”のキットン町は猫族が多く住まう地域なのである――――。
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僕らの住んでいる“龍の島”と、“人の島”は、二つ合わさって“アザトホール”と呼ばれている。広大な海に二つの島。そこには異なる宗教が存在していた。それにより誤解が誤解を生み、気が遠くなるほどの過去から戦争を繰り返している。その宗教での最大の論点は、このアザトホール含め全ての世界を統べる最高神の“容姿”についてだった。
動物の姿である龍<イツァナム>の姿であるのか、人間の姿である人<イシュルタ>の姿であるのか。お互い自分達の姿こそが神の末裔だと主張するのだ。主張することをやめた方が、下位民族として己の存在を認めなければならないからである。かくして戦争は繰り返されている。
……とかいう堅い話は置いといて。とにもかくにも龍の民として生まれた身としても、実に様々な姿を持って生まれてくる。鳥類に魚類、犬に猫。しかし人の民として生まれた者達にも負けないほどに互いの長所を活かして、安定した経済や政治を体現している。
「六時から開店です。ガイさん、早くしてください」
「あっ、すみません。ちょっと待っててください」
ルーシアさんに僕の名前を呼ばれて我に返る。そんなことを考えているうちにまた僕は手を止めてしまっていたようだ。僕は慌てて飲み物を棚のほうに並べていく。僕の勤務時間は九時までである。これから長い長い三時間が始まるのだ。僕は全て棚に品物を入れてレジのほうに戻った。
【6:45】
新聞が売れるラッシュを終わり、一息つきながら漫画本をビニールに入れているときだ。一人目の“厄介者”が現れた。目の前にはサングラスをして三角耳にピアスをした、いかにも不良なお兄さん猫だ。彼はボソッと僕に注文をする。それを僕はどうしても聞き取ることができなかった。僕は心底嫌に思いながら、聞き返す。
「……すみません、もう一度お願いできませんか?」
「“omega”の六ミリ二つと、“love”のロング四つ!」
僕はその言葉を聞くなり血の気が引いていくのがわかった。この注文は新入り殺しの“マタタビ”の注文だ! 僕はそう確信したのだった。マタタビというのは小さい四角のケースに一ダース入っているもので猫族の精神安定剤のようなものだ、それの種類は僕のバイト先である『nya-son』には全部で二百十三種類にも及ぶ。しかも“omega”という銘柄に関してはメンソールやら、マイルドやらの味の種類まである。犬である僕にはそもそも興味さえ湧かなくて、どうしても覚えられない。僕は必死でマタタビの置いてある棚を探すが見つからない。
「あー、違うニャ! そこそこ!!」
猫のあんちゃんはガムをくちゃくちゃ噛みながら、棚を指差す。僕はその方向を見て何回も「これですかぁ!」と聞くのだが、猫のあんちゃんは首を縦に振らない。
「だー! もう電車きちまうよ。もういいニャ!」
そうすると、ついに猫のあんちゃんは諦めてしまい、レジを出て行ってしまった。その間にも会計を待つお客様は増えてきている。僕はしばらくショックでまた口を開けて立ち尽くしてしまっていた。
「ガイ君! ちゃんと手を動かして!!」
僕は泣き出したくのを抑えて、猫族のお客さんのレジ打ちをしていた。
【7:50】
僕は先程の失態をルーシアさんとカイル君から怒られた。そして落ち込んでいたのだが、そんな気持ちをどうにか立て直した。今はお客様がきていないのでコロコロという弱い粘着シートのついたローラーをレジの机の上で転がしていた。そこには僕の茶色の毛、ルーシアさんの黒い毛、そしてカイル君の白い毛。他にもお客様の色々な毛が取れる。仕方ないこととはいえ、十分置きくらいに転がさなければならないのは辛いところだ。
僕が一レジのコロコロをやっているところで、反対側のカイル君は口が裂けるほどの大きい欠伸をして、ほぼ目を閉じている状態で狐目になっていた。あれだけ怒っといて、今ではあんな感じだ。本当に猫さんというのは気まぐれだ。
……おっと、これ以上考えると悪口が頭に浮かんでしまいそうだ。ガイ、眠気のストレスなんかに負けちゃダメだぞ。僕は自分に喝を入れて、またコロコロに専念した。
【8:55】
あと五分で勤務が終わる!レジの右上に表示されるこの時刻の表示を見ながら、僕はウキウキしていた。これが終わったらやっと僕は休日を満喫できる。今まで来店したお客さんも家族連れできていたりした。僕も久しぶりに実家に帰ろうか。僕も“犬弁”でたまには喋りたい。「僕もターキー食べたいワン!」とか、言いたい。
……そんなことを考えていると本当に帰りたくなってきた。
【9:05】
「お疲れさま、ガイ君。はい、これ」
僕はバイトが終わり、バイト着から私服に着替えているところでルーシアさんから声をかけられた。振り向くと、ルーシアさんは僕のバイト先『nya-son』のレジ袋を持って立っていた。相変わらずクールな表情だ。しかし珍しく長い尻尾が左右に揺れている。
「あの……いつも頑張ってるから。これ食べるといいニャ」
僕はルーシアさんから袋を受け取り中を覗いた。そこにはルーシアさんが蒸していた“マグロまん”が
入っていた。僕はそのルーシアさんの横でカイル君がニシシッと楽しげに笑っているのが見えた。
「あっ……ルーシアさん、方言が」
僕は思わずそう言うと、ルーシアさんはハッとした顔をした。そしてその後にぷいっとそっぽを向いて「お疲れ様」の言葉を残して扉を乱暴に開けて出て行ってしまった。僕は“マグロまん”を手に持ちながら、尻尾をブンブンと振っていたルーシアさんの方向を去ってしまった後もずっと見つめていた。
方言も悪くないな、そんなことを思いながら。今度の休日はどこか遊びにでも誘ってみようかな、でもまた怒らたらどうしよう。そんなことも思いながら。やっと僕の休日が始まった――――。
>END