94.母ちゃんの小説 第45話
少年は神社の境内にある宮司の屋敷の離れにいた。
ジジ…ジジ…。
境内を取り巻くように茂る木々からひっきりなしに蝉の声がする。その合間に庭の池にしつらえた鹿威しが跳ね上がり、カタンと音を立てる。
しかし少年にはそれらの物音は全く耳に入ってこなかった。
「まあ、そんなに緊張する必要はない」
川嶌 透はその言葉に平伏していた上体をそろそろと起こした。
長い髪。
正座していても畳に着きそうなほど長い、白髪。
顔を上げると、ルビーにも似た輝きが透の目を射た。
「いつもお役目ご苦労」
「ありがとうございます」
透は再び畳に顔が着きそうなほど深くお辞儀をした。
「今日、お前を此処へ呼んだ理由は分かるだろう」
再び顔を上げた少年は頬を上気させ、うなずいた。
「はい。お勤めーー東京への伝令、でございましょう」
男はその真摯な表情を見ると、赤い目を細め、穏やかな笑みを浮かべた。
その顔は、雄司を助け東日本の探査分析を続ける島田涼に瓜二つである。
「そうか。透は予知も少し出来るようになったのか」
「あの、東京の景色がぼんやり見えただけです。予知だなんて」
少年は恐縮して弱々しくかぶりを振った。その瞳は一見茶色だが、時おり紫の光がちらちらと瞬く。
「予知は島田の専売特許というわけではない。どの家の者にも持ち得る能力で、訓練次第ではどこまでも研ぎ澄ますことが出来る。お前だって、そのうちに私と同じくらい見えるようになるかもしれない」
透は尊敬と畏怖の念を込めて島田 潤の血のように赤い目を見つめた。
「特にお前は島田の血が濃く出ているようだ。将来が期待できるぞ」
『島田の血』
潤はこの言葉を誇らしげに発音した。
川嶌家はもともと島田家の傍系に当たり、家を成してからも両家の間でたびたび婚姻関係が結ばれている。そして透の目の前の白髪の青年は、一族の要であるだけでなく、透の叔父でもあった。
潤は指先で髪をかき上げた。
「今回の仕事はお前が予知したとおり東京への伝令だ。しかし、ただ翔ぶだけではない。東京に着いたら島邑殿の下で諜報活動を行う」
「ちょうほう?」
「情報収集だ。島邑殿と影島はある事件に関わっているが、これが予想以上に根が深いようで…もっと大きなものの気配が背後にある。涼もレーダー役として働いているが…あいつは感応力は優れているが、体力のほうがついていかなくてね。機動力に欠ける」
透は涼の姿を思い浮かべた。
涼は宮司の名代として新潟に駐在しているため村へは年に一度、祭りの時期にしか帰らないが、宮司の伝令をしている透は月に一度は但馬の管理する山梨の山荘で涼と顔を合わせていた。
透よりひと回り年上で、近づきがたいほど冴えた知性の持ち主。
涼さんと一緒に。僕が。
一族の名代として働く誇らしさ以前に畏れがあった。
僕みたいなのが本当に役に立てるのだろうか。
「この仕事には家の格はまるで関係ない。ただ、相応しい能力を持つものが事に当たるのみだ」
潤が透の気持ちを見透かすように言った。
「だが、これは危険を伴う。…透、お前は今年いくつだったかな」
「十七です」
「十七というと、高校二年だったかな。あと一年で高校は終わるが、その後はどうするつもりだ」
潤の単刀直入な問いに透はしどろもどろになった。
「できれば、大学に行きたいです。父には相談し、学校の担任にもそう言ってあります」
「そうか。村を出たいのか」
「はい」
潤の赤い目を光がよぎった。
「それは自ら駐在を志願する意思表示。我々はそう解釈するが、それでいいんだな、透は」
「はい、そのとおりです」
言葉の重みに押されるように、透は思わず平伏した。
「なら、話が早い」
透の頭上で潤の声がした。
「今回の仕事が危険すぎるため、宮司様や律子様はお前のような未成年者にその役を任すことに難色を示しておられる。しかし、お前自身が村の外での参加を強く希望するなら別だ」
汗をかいた手が畳に張りつく。
「透」
名を呼ばれ、透は顔を上げた
「予知について、一つお前に教えておかないと。この能力は、元はといえば危険を回避するために発達した。だから一族の他の家の者より体力の劣る我々白い「シマ」にこの能力を持つ者が多い。それは知っているな」
「はい」
「そして、ひとたび危険を回避してしまえば予知は予知でなくなる。つまりは、未来は必ずしも予知のとおりになるとは限らない。お前が見た東京の景色は恐らく予知だろう。しかし、だからと言って予知に従って行動する必要はない。お前が行きたければ行け。だが、少しでも迷いがあるなら止めておけ」
思えば、島田家の当主から個人的に言葉をかけてもらったのはこれが初めてだった。潤は透と同じように正座をし、向い合うように座っているだけだ。しかし彼から発せられる気は同じ場所にいるだけでびりびりと透の全身を打ちすえ、揺さぶる。
「どうする、透」
静かに、だが、はっきりと潤は問うた。
透は武者ぶるいをした。緊張と興奮で体の筋肉がいくつか引き攣れてしまったようだった。
「——お受けいたします」
小さいが、はっきりした口調でそう言うと、透は叔父を見つめた。
紫水晶の瞳で。




