90.母ちゃんの小説 第43話
不意に遥が顔を上げた。
「雄司、今、何か感じなかったか」
雄司はあたりを見回し、首を振った。
「何も。例の気か」
遥は首をすくめた。
「いや、そんなんじゃない。何かもっと、こう、身近な感じがした」
「島田じゃないのか。何か見つけた、とか」
遥は腕組みをした。
「さあな。俺達はカメラ役に徹して分析はしていないが、島田のレーダーにはもう何かが引っかかって来ているのかもしれないな」
「じゃあ、そろそろ戻るか」
雄司は腕時計に目をやった。もう四時近い。
「歌舞伎町を中心に、ツインタワーも、地下街も、目ぼしいところは充分見てまわったはずだ。後は島田の分析結果を見るだけだ」
「なら、さっさと飛んじまおう」
とっくに店じまいをした居酒屋の角を曲がり、人気のない路地裏まで来ると二人の姿はかき消すように見えなくなった。
「到着、と」
遥は獣のような敏捷さで展望台のフロアに爪先立ちで降り立った。雄司もほぼ同時に着地している。
二人は待っているはずの島田涼の姿を求めて周囲に目を凝らした。
「島田?」
新宿方面に面した西側に涼はいた。フロアに地図を広げ、その上にうずくまっている。
「大丈夫か」
涼は二人の姿を見とめ、微笑を浮かべた。
白い顔がいよいよ白い。
「ええ、どうにか。新宿の毒気は大したものですね。それと…」
彼は展望台を覆うガラスを指さした。
そのうちの一枚に大きな亀裂が入っている。
「これは、雄司さんたちがこちらに来る数分前に起こりました」
遥は亀裂を指でなぞった。
「ひでぇな。これ、強化ガラスだろ。どうやったらこんなになるんだ」
亀裂は蜘蛛の巣のように一点から放射状に広がっている。そしてその点の延長上に涼がいた。
「ケガはないか」
雄司は涼の側に寄り、片膝をついた。涼は首を振った。
「ええ。すんでのところで意識を気で覆って存在を隠しましたから、攻撃は僕を見失ってガラスのところで拡散したようです。でも、おかげで、いくつか分析していた箇所がすっぽり消えてしまいました」
涼は舌打ちをした。攻撃されたことよりも、せっかく手に入れた情報を失ったのを悔しがっているようだった。
「これは…やっぱり奴らの攻撃だろうか」
雄司は猛禽の爪跡にも似た凶々しい亀裂を仰ぎ見た。
「確か影島どのが何かを感じたすぐ直後でした。時刻は四時五分ほど前」
ガラスの向こうには次第に闇が薄れていく東京の空が見える。
「攻撃は明らかに新宿方面からです。正確には二丁目のどこかから」
「場所の特定はできないのか」
雄司の問いに涼は力なく首を振った。
「残念ながら。通常なら楽にできるのですが、二丁目は頑丈な気のシールドが張りめぐらされていて、お二人の目を通してしか視えませんでした。そして、攻撃はそのシールドの中から来たんです」
「そんなに強力な力を持つ者が「シマ」の他にいるとはな」
「者たち(・・)と言うべきでしょう。あれは明らかに複数によるものです。シールドで覆う者と攻撃を加える者、気は二手に分かれていました」
「いつの間にそんな勢力が東京に巣食っていたんだろう」
雄司はひび割れたガラス越しに街を見た。
間もなく夜が明ける。
『くそ。逃したか』
『一瞬早かったら、アイツを命ごと掴み取れたのに』
『歌舞伎町と東京タワー。どちらにいたのが頭なのか』
『とにかく、奴らが我々の敵であることはこれではっきりした』




