74.母ちゃんの小説 第36話
少年は空を見上げていた。
彼の頭上には無数の星が瞬いている。今夜の月は満月に近いはずだが、まだ森に遮られて見えない。
「どうした、透」
少年の後ろで声がした。彼は振り向いて声の主をみとめた。
「お父さん」
透の父、川嶌 浄は神社での仕事を終え、家に帰るところだった。
「何を見てる」
透はしばらく呆けたように父を見つめていた。そして口を開いた。
「何かが見えたような気がして」
「何が」
透は大きくまばたきした。薄い色の瞳に星がいくつか反射し、奥底の紫色を浮かび上がらせる。
「街が…街が見えた。ネオンできらきらしていて。…あれは東京…じゃないかな」
「東京」
浄は空を見た。
眼に入るのは満天の星ばかりだ。
「近いうちにまた「御召し」があるのかもしれないな」
浄はそう言うと空から目を戻した。
「でも、」
「…もう、二度と桃子ちゃんには行かせないから」
父の言葉を打ち消すように透は一気に言った。
「伝令の仕事が大切なのはよく分かってる。川嶌にしか許されない特別な任務だもんね」
透の瞳の光が増した。成長期前の幼い体つきに声変わりまえの少年の声を持つ透は肉体こそ充分に成長していないものの「シマ」一族川嶌家の特徴である長距離移動の力はすでに獲得し、コントロールできるようになっている。
「そうだ。大切な役目だ」
浄はうなずいた。
彼が伝令の仕事を息子に譲ってもう一年になる。
学業をしながら昼夜の区別なく宮司に変わって各地へ「飛ぶ」ことはかなりの負担となるはずだが、透は愚痴もこぼさず真面目に仕事をこなしている。攻撃力があり、妖魔退治などを得意とする島崎や城島などと比べると地味な能力にも映るが、島田の遠視とともに川嶌の飛翔は「シマ」の情報活動には欠かせないものだった。
「東京かぁ。いつか昼間に行ってみたいな。電車に乗って、ネズミーランドとかに行って…」
浄は苦笑した。
「ネズミーランドは千葉だ。東京じゃない」
「知ってるよ」
透は頬をふくらませた。
「でも、東京の近くなんでしょ。同じようなもんだよ、僕たちのところから見ればね」
浄はその頭を軽くこづいた。
「帰ろう。二人とも遅いと真澄がまた怒るぞ「私をないがしろにしてる」と」
「僕には「伝令の仕事を横取りしてやる」って言ってるよ」
真澄は透の一つ違いの姉でる。勝ち気で父にも弟にも容赦ない物言いをする。
二人は笑いながら肩を並べて家に向かって歩き出した。




