56.母ちゃんの小説 第28話
ひそやかな衣ずれの音がした。
人影が近づいてくる。
『……』
まだ若い、少女といってもいいくらいの娘であった。袖の長いガウンのような白い服を着、その髪は珍しい形に結い上げられている。
そして彼女の腕には同じく白い布に包まれた生まれて間もない赤ん坊が抱かれていた。
『もうこの国は終わりです』
言葉とともに髪飾りが揺れ、ちりちりと微かな音を立てる。
『私は王とともにこの国を最期まで見とどけます。でも、あなたはお逃げなさい。船が用意してありますから、早く』
『いいえ、姉上。私も姉上とご一緒に』
自分でない声が、少女に向かって発せられる。
少女は目に涙をためて首を振った。
『いけません。あなたは生きなければ。生きてこの国のことを憶えていて。そして…』
彼女は腕に抱く赤ん坊に目を落とした。
『どうかこの子も連れて。逃げて』
『姉上』
少女は顔を上げた。
その顔には幼いながらも毅然とした表情が浮かんでいる。
(…誰かに似ている…)
『王子とはいえ、この子は生まれたばかり。国々の争いには関係ありません。落ち延びて、どこかでひっそりと生きてくれたら…』
『姉上』
少女の大きな黒い瞳から涙があふれ、こぼれ落ちた。
『どうか。これは王妃としてではなく、姉として、この子の母としての願いです』
その腕の中で赤ん坊がむずがった。
『分かりました、姉上。王子をお預りいたします』
細い腕が伸び、赤ん坊を受け取った。
『早く。追手が迫っています。船は城の裏の岬に隠してあります』
『姉上も、どうかご無事で』
少女はその言葉に寂しげな微笑を浮かべた。
「おやすみでしたか」
障子の向こうから男の声がした。
「いいえ。寝てはいなかったのだけど、いつの間にか夢を見ていたみたいで。——またあの夢を見ました」
「疲れていらっしゃるのでは。こんな朝早くに申しわけありません」
「いいえ。障子越しも何ですから。お入りなさい」
「では失礼いたします」
障子が音もなく開き、白い影が部屋に入ってきた。
「お早うございます。律子さま」
畳の上に正座して一礼すると長い髪が膝に垂れた。
履いている黒いズボンとコントラストを成す真白な髪であった。
「お早うございます」
御簾を隔てて島邑律子は挨拶を返した。
「いつもご苦労さま」
御簾の向こうで男が顔を上げた。
白い髪に赤い瞳。島田家に多発する白子の特徴を彼は最も顕著に表わしている。
「シマ」の村に居ながら瞬時に日本各地に気を飛ばし「シマ」の青年たちと連絡を取るレーダー役、島田潤である。
「何かあったのですか」
律子の問いに島田は微笑んだ。
「いえ。村はいたって平穏です。ただ少し気になるものが動きまわっているようです」
「気になるもの」
赤い瞳がルビーのように光った。
「ええ。しかし、それが何ともとらえどころのない気の群れで。一体、何か目的を持っているのやら、私にもはっきり分かりかねるのです」
「それはどこに」
島田は髪をかきあげた。髪の下にあるのは四十に手が届くとは思えない、しみ一つない陶器のように白く滑らかな肌をした青年の顔である。
「東京です。以前から見えにくいところでしたが、近ごろは見透せないときもあるくらいです」
東京、と聞いて律子はもたれていた脇息の背を握りしめた。
弟・雄司の管轄地である。
「たぶん雄司と影島が調査を始めていると思うけど…連絡が取れないというのはいざというとき心配ですね」
御簾の向こうで島田はうなずいた。
「事務的な連絡なら電話やFAXでできるのですが「活動時」の連絡係として川嶌の力をお貸しいただきたいのです」
「伝令の川嶌をですか」
「ええ。連絡にはうちの涼を使うのが一番楽でしょうが、あいつもなかなか手ごわい連中を相手にしていますから、手伝わせるわけにもいきませんで」
若い島田の顔に微かに自慢げな父親の表情が浮かんだ。実際には孫もいる年齢であるが、涼の兄ぐらいにしか見えない。
「川嶌、といっても浄は今、宮司の仕事を手伝っているようですが」
「私は透を使うつもりです」
「透ですか。でも、あの子はまだ高校生でしょう。この仕事はあの子には危険すぎませんか」
島田はルビーの目を細めた。
「透ももう一人前の「シマ」です。今では浄に代わって宮司さまの名代で伝令をいたしておりますし。じゅうぶん働けるはずです」
御簾の奥で律子は居ずまいを正した。
「そうですか。分かりました。では、透を使いなさい。でも、くれぐれも言っておきますが、あの子の意志を尊重して無理強いはさせないように」
「それはご心配なく。あの子を使わずに済むよう、私もできるかぎり遠視をいたしますので」
「お願いします」
島田は再び畳に手をついて深く礼をすると、静かに退出した。
写していて「あれ、これって違う話じゃ?」と不安になった回でした。
やっと複数女子が出てきたと思ったらあっさり退場なんてひどいです。
by「俺」




