四話
手を繋いで意気揚々と宿に戻る。食べさせ合いをしたからか、ユキの機嫌は頗る良い。小さな声で鼻歌を歌うくらいに機嫌が良い。
部屋に戻って荷物を置き、ニコニコ笑うユキを抱き締める。ちょっとね。我慢出来なくなった。
「み、きゅ、にゅわ!わ」
驚くほど可愛い奇声をあげるユキを、更に強く抱き締める。ユキはまだまだ小さいから、僕は膝立ちだけど、それでも僕の方が目線が高い。
抱き締めた体も華奢で、もう少し力を入れたら砕けてしまいそうだ。僕の側に一年も居て、よく無事でいてくれたと思う。
「いきなりどうしたの?動けないよ」
少しだけ体を捩るユキだが、腕もまとめて抱き締めているから動けていない。
「別に……なんでもない」
むにむにと頬を摘まんでみると、ユキは笑って僕の肩に顎を乗せる。角度の問題で指が届かなくなって少し残念。
代わりに頭を撫で、さらさらの髪の手触りを堪能してから立ち上がる。ユキの頬が少し赤くなっているのが可愛らしいし、なんとも嬉しい。
「お風呂、入ろうか」
「うんっ」
元気よく返事をして、ユキは旅行鞄を漁る。タオルや石鹸を引き出し、僕の分の着替えまで出してくれる。本当に気の利く良い子だ。
しかし、こんな良い子にも思春期やら反抗期は訪れるのだろうか。『一緒にお風呂入りたくな〜い』とか言い出すのだろうか。そんなこと言われたら多分ヘコむ。
いや、一緒に風呂に入らないくらいならまだいい。ユキも女の子なのだから、そういう気持ちが湧くこともある。しかし、『光みたいなオッサンに服洗われたくない』とか『部屋一緒とか無理』とか『こっち見んな。触んなオッサン』なんて言われたら、絶対泣く。今は僕がユキの洗濯物も一緒に洗っているが、いつか僕とユキが別々に洗濯したりし始めるんじゃないだろうか。下手をすると、旅行鞄だって分けることになるかも知れない。そうして二人がスレ違っていくうちに……『私、彼氏と一緒に暮らすから。バイバイ、オッサン』なんて言われたりして……。更には恋人と幸せな家庭を築いて、僕の存在自体を忘れて……。
「どうしたの?光」
目の前にいるユキは小首を傾げ、自らの服と共に僕の着替えを両手で抱えている。こんなに可愛い子に嫌われたりしたら僕は……。
「光、大丈夫?気分悪くなっちゃった?」
いやいや待て。落ち着けよく考えろ、柊 光。こんなに良く出来た子が、彼氏作っておさらば、なんてふざけた真似するわけないだろう。僕はもっとユキのことを信頼するべきだ。
「ん。なんでもないよ。元気だから、大丈夫」
よし、大丈夫。ユキにも反抗期くらいくるだろうが、それは成長する過程で訪れるものだ。別に性格が悪くなるわけではない。風呂や部屋や洗濯が別になる可能性はあるが、ユキに嫌われはしない……と、信じたい。
そっかそっか〜と微笑むユキの肩を押し、部屋から出て廊下の先にある風呂に向かう。拒否はされない。今はまだ大丈夫だ。
風呂には誰も入っていないようで、気兼ねなくユキとイチャイチャ出来そうだ。イチャイチャと言っても、ユキにその気があるかは知らないが。ともかく、僕がユキにベタベタ出来る。
僕が若干ながら危険な思考に陥りかけていると、徐に服を脱ぎ始めた。きっと、僕に見せ付けているように見えるのは気のせいだ。だって、流石の僕も幼女の脱衣シーンを見たところで欲情は覚えない。ユキが可愛いとは思うけど。
おっと。別にユキのさらけ出された肌に見惚れていたわけではないけれど、いつの間にかユキは下着のシャツに手をかけていた。このままではユキだけ一人で裸になってしまう。
徐に服を脱ぐユキに追い付く為、僕は速やかに服を脱ぐ。動き易く着脱しやすい服を好んでいるから、ユキに遅れること数秒、僕も服を脱ぎ終わる。
うん。別にユキの視線が冷たいなんてこともない。いつかこの視線が汚物を見るようなものに変わる可能性があると考えると、お兄さんはとても悲しいよ。仕方のないことではあるだろうから、今のうちから覚悟はしておこう。
因みに、ユキの可愛らしい裸体を描写するつもりはない。ユキの体を誰かに教えるなどと馬鹿な真似、誰がするものか。
「光。はい、タオル」
にこやかな表情を浮かべて、ユキにタオルを差し出される。洗ってくれということか。僕にユキの体を隅々まで洗い流せということなのか。
僕は喜んで引き受けますよ。こんな可愛い子を前に、一体誰が僕のことを変態呼ばわり出来るというか。
「光、起きてる?」
風呂から上がり、同じベッドで向かい合って眠るユキが呼び掛ける。僕は特別夜目が効くので、暗闇の中でもわりとはっきりとユキの顔は見えている。それはつまり、ユキの寝顔が見放題ということで、最近は睡眠不足がちょっとした悩み事だったりする。正に可愛いは罪。
「起きてるよ。どうかした?」
「ううん……。なんでもない」
ユキの表情を見るに、どうやらガッカリしているようだ。僕に眠っていて欲しかったのだろう。僕が眠ってから、何かするつもりだったのだろうか。
何にせよ、僕は出来る限りユキのやりたいようにさせてあげたい。
「そう。おやすみ、ユキ」
「うん。おやすみ」
まぁ、もちろん寝ないけど。ユキが夜中勝手に出掛けるつもりだったら困るし。ユキに限ってそんな危険なことをしないのはわかっているけど、万一を考えてしまうと油断出来ない。
それから小一時間ほど経った頃、再びユキが意識の確認をしてきた。当然のように僕は起きているが、返事はしない。狸寝入りだ。
僕が眠っていると判断したらしいユキは、横になったまま僕の頬を撫でる。そんなことをされれば本当に眠っていても起きるのだが、今回は寝たふりを続ける。
暫く僕の頬とか耳とか髪を触っていたユキだが、満足したのか小さく笑って手を放した。
やっと寝るのか?と思ったが、どうやら違うようでゴソゴソと身動ぎする。そしてユキはベッドから降りて足音を消して歩く。足音を消す技術は最近必要に迫られて修得したものだ。なかなかレベルは高い。
顔を向けるわけにはいかないので気配を探っているが、部屋から出るつもりはないようだ。部屋の隅でしゃがんでいる。
それから暫く何も変化がなく、眠ってしまったのかと思い始めた時、突然部屋の魔力が動いた。ゆっくりとだが、確実に一定の方向、ユキの下に集まっている。ゆらゆらと不安定な魔力がユキの下に集まり、少しずつ濃度を高めていく。
その様子を背中で感じ取り、僕は沈黙の中で微笑む。
ユキは以前から、魔法を使いたいと溢していた。魔法を使えるようになって、僕の役に立つ何かをしたいと。
しかし、魔法とは、自己の内面を表す、個人個人の法だ。いくらユキが魔法を使いたいと願っても、ユキのルールに他人は干渉出来ないため、僕がユキに魔法を教えることは出来なかったのだ。自分の法は、自分で見つけなければならない。
それはある時突然、脈絡もなく発現するものだ。きっとユキは、今日のいつかに自分の法を見付けたのだろう。
ずっと使いたいと言っていた魔法、それが使えるようになった。内容はわからない。
でも、ユキが見付けた自分だけの法。ユキに害を及ぼすことなんて絶対にない。
なら、もう安心して眠っていいだろう。きっとユキは、いつか自分から魔法が使えるようになったと打ち明けてくれるはずだ。
小さく喜びの声を上げるユキを背後に感じながら、僕は眠ることにした。本人が秘密にしていることを下手に知ろうとするのは野暮というものだ。