第三話 死神の宣告
ゆっくりと瞼を開くと、そこには信じられないものがあった。
天井から落ちて来たらしい巨大な照明機と、それに下敷きになっている人。
かなり大きな照明機が落下したためか、その部分の床がしゃげているのがわかる。
下敷きになっているのは髪の長い、さっきまでそこで輝いていた少女。
今は、その表情は見えず、赤い液体にまみれた手が照明機の下からはみ出して見える。
陽沙子の足下にまで赤い液体が飛び散り、錆びた鉄のような臭いが鼻孔を通る。
陽沙子は、今自分の目に映っているものが何なのかすぐに理解ができなかった。
先程何かが付いた気がした頬を触ってみると、手に赤い生温い液体が付いた。
そっか、これは血か。
やっとのことでそれを理解する。
周囲から人々の悲鳴が聞こるような気もしたが、陽沙子には何も聞こえなかった。
しかしある瞬間突然、陽沙子の聴覚が働いた。
「人間…。お前達ほど醜い生き物はないな。」
低く、何かに対して憎しみを持ったようなドスのきいた声が聞こえきた。
「誰?」
非常の事態が起きているにも関わらず、陽沙子はある領域を越えた冷静の中に居た。
再び声が聞こえる。
「お前の姉、新井美紗子はたった今死んだよ。不慮の事故でな。」
お前の姉が死んだ。
美紗子が死んだ。
美紗子が死んだ?
その言葉を聞いて、陽沙子の中の何かがプツンと切れた。
死んだ。美紗子が死んだ。
死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。
じゃあ、この照明機に敷かれて血まみれになっているのは美紗子?
そっか。美紗子は死んだんだ。
もう帰って来ないんだ。
「……う…あ、…あ、あ、ああああああああああああっっっっっ‼‼‼」
体育館に、陽沙子の狂ったような叫び声が響く。
「っひ‼…あ、ああ、う…」
陽沙子はその場には座り込んだ。
今、自分の中で激しく渦巻いている感情が何なのかわからなかったし、わかろうとする余裕もなかった。
悲しいのか、悔しいのか、怖いのか…
ずっとコンプレックスだった美紗子の死を理解した陽沙子は、混乱に陥った。
しかし、低い声は容赦なく言葉を続ける。
「今日この時間に新井美紗子が死ぬことは、運命だったのだ。死神である、この私が決めた…な。」
混乱して周りが見えなくなっている陽沙子の視界に、突然はっきりとしたものが映った。
黒いモヤのような影。
混乱しているのに、何故かその影だけははっきりと見え、低い声の持ち主がその影であることがわかった。
「しっ、死神…?あ、あんたが美っ、美紗子を殺したの⁉」
やっとの思いでそう叫ぶ。
「醜い。本当に醜いな。」
黒い影に表情は無いのに、声から軽蔑の意が感じられた。
急に死神と名乗るその影が怖くなる。
「出来が良く、自分と真反対の姉を素直に憧れられず、憎しみの感情さえ抱く人間もいる。…なんて醜い。」
「ち、違う、私は…」
死神に対する恐怖と、美紗子の突然の死による恐怖とでガタガタ震える。
「…新井美紗子を助ける方法が一つある。」
死神が、今度は楽しそうな声でそう言う。
その楽しげな感じが逆にもっとおぞましいものに感じられた。
しかし、その言葉に惹きつけられるのもまた事実であった。
陽沙子は無言で死神の次の言葉を待つ。
死神が、ニヤリと不敵な笑みを見せた気がした。
「新井陽沙子、お前が身代わりになることのみで新井美紗子は助かる。」
最初、陽沙子にはその言葉が理解できなかった。
『 美紗子はもう死んでしまっているのに、身代わり…?』
死神が続ける。
「これはゲームだ。私は、醜いお前達人間の答えが聞きたい。
新井美紗子が今死んだのは、私がそういう運命を作ったからだ。」
オカルトは信じない陽沙子だが、今この死神が言っていることは全て本当のことのような気がした。
だんだんと鼓動が速まる。
「私の力を持ってすれば、時間を巻き戻すことで新井美紗子が死ぬという運命を取り消すこともできれば、新井美紗子が死ぬ時間を先延ばすこともできる。」
常識的に考えれば信じれるはずなどないのに、何故か正しいことに思える。
「そこで私はお前に問いたいのだ。」
陽沙子は、次に死神が何が言いたいのかわかるような気がした。
手に汗が滲んでくる。得体の知れない恐怖がこみ上げてきた。
「私は新井美紗子の死を一週間引き延ばすことにする。新井美紗子は一週間後の同時刻に同じ場所で同じ死に方をする事になる。
その運命から逃げることは不可能だ。何より、今彼女が一度死んだことを記憶したまま一週間を過ごすのはお前だけだしな。
他の者の今見た記憶は全て消させてもらう。
…私は今、『運命から逃げることは不可能だ』と言ったな?しかし、お前が新井美紗子が死ぬ瞬間に彼女を庇うことのみにより、運命から逃げることができる。」
死神の言葉が、陽沙子の体に恐怖として一つ一つ染み込んでいく。
陽沙子は、死神を震えながらじっと見つめることしかできなかった。
『私が身代わりになったら、美紗子は助かる。私が美紗子の代わりに死んだら美紗子は助かる。……私が死んだら。死ぬ。死ぬ。死ぬ…』
陽沙子の頭はそれ以上働くことができなかった。
ただ、全身を震わせ、心臓が大きな音をたてて辛うじて機能しているだけだ。
「私は、自分のことしか考えられない人間に失望している。これはゲームだ。一週間後、お前の答えを知るのが楽しみだ…。」
底知れぬ悪意がこもった声が笑っている。
「お前は、実の姉妹の身代わりになれるか?」
死神の、最後のその言葉を聞いたところで陽沙子の意識は途切れた。