悪役令嬢の取り巻きをやめると決めたら、なぜか悪役令嬢がついてきました
取り巻きAの、ささやかな退職のお話です。
わたし、クロエ・ベルナールは、取り巻きである。
王立学園でいちばん怖いと言われる令嬢、ヴィクトリア・グランフェルト公爵令嬢の、うしろに立っている三人のうちのひとり。右うしろ担当。
仕事は、主に三つ。ヴィクトリアさまが誰かをにらんだら、いっしょにうなずく。ヴィクトリアさまが「まあ」と言ったら、「まあ」と言う。ヴィクトリアさまが扇子を落としたら、拾う。
入学して二年、わたしはこの仕事を、まじめに続けてきた。
理由は、かんたんだ。うちは貧乏な男爵家で、グランフェルト公爵家に、父がお金を借りている。娘が公爵令嬢のそばにいれば、返済を少し待ってもらえる。それだけ。
でも、先週。
父が、借金を全部返し終えた。
◇
「……やめよう」
朝、寮の部屋の鏡の前で、わたしはつぶやいた。
取り巻きを、やめよう。
べつに、ヴィクトリアさまが嫌いなわけではない。むしろ、二年もそばにいれば、悪い人ではないことくらい分かる。言い方がきつくて、顔が怖くて、笑うのが下手なだけの人だ。
でも、わたしには、やってみたいことがあった。
図書室の、薬草学の棚。二年間、ヴィクトリアさまのうしろに立っていたせいで、一度もゆっくり見られなかった棚。
(今日から、昼休みは図書室に行こう)
わたしは、胸の前で小さくこぶしを握った。
◇
昼休みの鐘が鳴った。
いつもなら、わたしはヴィクトリアさまの右うしろについて、中庭のいちばんいいベンチまでお供する。
今日は、ちがう。
わたしは、教室を出ると、反対方向へ歩き出した。図書室のある、北の棟へ。
三歩、歩いたところで、うしろから声がした。
「クロエ。どこへ行くの」
ふり向くと、ヴィクトリアさまが立っていた。
金色の巻き髪。切れ長の目。眉間にしわ。今日も、とても怖い顔だった。
「あの、ヴィクトリアさま。わたし、今日から……」
言え。言うのだ、クロエ。
「今日から、取り巻きを、やめようと思いまして」
廊下が、しんとした。
ほかの取り巻きの二人が、ヴィクトリアさまのうしろで、目を丸くしていた。通りがかった生徒たちが、足を止めた。
ヴィクトリアさまは、扇子を口もとに当てたまま、じっとわたしを見ていた。
「……そう」
それだけ言った。
「では、失礼いたします」
わたしは、ぺこりと頭を下げて、北の棟へ歩き出した。
心臓が、どきどきしていた。でも、足取りは、少しだけ軽かった。
◇
図書室は、静かだった。
薬草学の棚の前で、わたしは一冊の本を抜き出した。『北の山の薬草図鑑』。表紙の絵が、ずっと気になっていた本だった。
窓ぎわの席に座って、ページを開く。
――カミツレ。白い花びらと、黄色い真ん中。眠れない夜に、お茶にして飲む。
(……やっと、読めた)
うれしくて、思わず頬がゆるんだ。
そのとき、向かいの椅子が、ぎい、と引かれた。
顔を上げると、ヴィクトリアさまが座っていた。
「……ヴィクトリアさま?」
「何」
「あの、なぜ、ここに」
「図書室に来てはいけないの?」
「いえ、そういうわけでは」
ヴィクトリアさまは、近くの棚から適当に一冊抜いて、ばさりと開いた。『近隣諸国の関税の歴史』。絶対に興味がない本だった。
わたしは、図鑑に目を戻した。
ヴィクトリアさまは、関税の本を、一ページもめくらなかった。
◇
次の日も、ヴィクトリアさまは図書室に来た。
その次の日も。
わたしが窓ぎわの席に座ると、少しして、向かいの椅子が引かれる。ヴィクトリアさまは、毎日ちがう本を開いて、一ページもめくらずに、昼休みの鐘が鳴るまで座っている。
五日目、わたしは、とうとう聞いた。
「ヴィクトリアさま。……その本、さかさまです」
ヴィクトリアさまは、手もとの本を見下ろした。『王国の治水の記録』が、たしかにさかさまだった。
眉間のしわが、深くなった。耳が、少しだけ赤くなった。
「……知っていたわ」
「はい」
「わざとよ」
「はい」
ヴィクトリアさまは、本をばたんと閉じた。
それから、長いこと、窓の外を見ていた。
「……あなたが、いなくなると」
ぽつりと言った。
「右うしろが、静かなのよ」
わたしは、図鑑から顔を上げた。
「残りの二人は、わたくしが何か言うと、すぐに『まあ』と言うわ。でも、あなたは、言う前に少しだけ考える顔をしていた。……わたくしの言い方がきついときは、ちゃんと、困った顔をしていた」
「……見えて、いたんですか」
「うしろにいたって、扇子に映るのよ」
ヴィクトリアさまは、扇子をぱちんと開いて、また閉じた。
「わたくしには、友だちがいないの。取り巻きは、いるけれど。……それで、あなたが取り巻きをやめるなら」
ヴィクトリアさまは、こちらを見ずに言った。
「わたくしも、取り巻きのいる令嬢を、やめてみようかと思って」
◇
わたしは、しばらく、何も言えなかった。
それから、図鑑のページを、ヴィクトリアさまのほうへ向けた。
「……カミツレ、というんです。眠れない夜に、お茶にして飲むと、よく眠れるそうです」
「そう」
「ヴィクトリアさま、ときどき、朝、目の下が青いので」
ヴィクトリアさまの眉が、ぴくりと動いた。
「……それも、見えていたの」
「右うしろからでも、見えます」
ヴィクトリアさまは、少しのあいだ、わたしの顔を見ていた。
それから、扇子で口もとをかくした。かくれきれていなかった。口の端が、ほんの少しだけ上がっていた。
二年間、うしろに立っていて、一度も見たことのない顔だった。
「……今度、そのお茶、いれてちょうだい」
「はい」
「取り巻きとしてではなく」
「はい。……友だちとして、ですね」
ヴィクトリアさまは、答えなかった。
かわりに、さかさまだった治水の本を、もう一度、ちゃんと上下をそろえて開いた。
今度は、一ページだけ、めくった。
◇
次の週から、学園の中庭のいちばんいいベンチは、空いたままになった。
かわりに、図書室の窓ぎわの席に、いつも二人の生徒が座るようになった。
薬草の図鑑を読む男爵令嬢と、毎日ちがう本を、一ページずつ、ちゃんとめくるようになった公爵令嬢。
ほかの取り巻きの二人は、最初こそ戸惑っていたけれど、そのうち、それぞれ好きな場所で昼休みを過ごすようになった。ひとりは剣術の練習場に、ひとりは音楽室に。
ヴィクトリアさまは、それを見て、ふん、と鼻を鳴らした。
「みんな、やりたいことがあったのね」
「ヴィクトリアさまは、ないんですか」
「……今、探しているところよ」
そう言って、ヴィクトリアさまは、わたしの図鑑を、横からのぞきこんだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
悪役令嬢の取り巻きAが、取り巻きをやめたら、悪役令嬢がついてきてしまうお話でした。怖い顔で、本をさかさまに持って、友だちのなり方を探している公爵令嬢。右うしろから見えていたものは、意外とたくさんあったようです。
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