1-1
青く煌めく海の上を走行する海上汽車。立て付けの悪い上げ下げ式の窓をぎこちなく押し上げると、潮風がふわりと車内へ流れ込む。そして海特有の磯香りが鼻腔に広がる。
窓の外では、陽の光を受けた水面が細かな鱗のようにきらきらと輝き、遠くには白い飛沫をあげて跳ねる魚の影が見えた。
透き通るような海は、快晴の青空を反射して、まるで空の上を走っているよう。
死ぬまでに一度は見たい絶景、と謳われるほどの人気を誇るこの海上路線は、今日も例外なく賑わっていた。全席個室の車内は常に満席で、見知らぬ者同士が同じ部屋に押し込められることすら珍しくない。相席となった個室には、旅人たちのざわめきや、かすかな笑い声が絶えず満ちている。
だからこそ、ひとつの個室にたった一人で座っているその姿はあまりにも不自然であった。この路線において、一人きりの個室など、本来存在しないのだから。それでもなお、その部屋には誰も入ろうとしない。まるでそこだけが切り離されたかのように。
窓から吹き込む風に、緩く結ばれた黒髪が揺れる。それはただそこにいた。置物のようにそこにいた。それはあまりにも希薄な存在感。生き物であるはずなのに、息遣いすら感じさせない。意識してみなければ、気づくことすらできない。同じ空間にいるはずなのに視界から滑り落ちていくような。だからこそ誰も、この個室に足を踏み入れない。満席のはずの海上汽車で、この一室だけが残されている理由はそこにあった。
しかし、当の本人はいたって無自覚である。それは特別な力でも、意図したものでもない。ただ生きる術として身につけた癖のようなものだ。気づかれず、関わられず、残らない。そうして、風のように自由に生きてきた。黒髪はかつて旅人であった。師匠と共に各地を渡り歩く者であった。
これは、そんな旅人が絆をつなぐ物語。
こんこん、と扉を叩く音が聞こえて目を向ける。硝子の向こうに立っていたのは同じ制服に身を包んだ、ローズグレーの髪色。
ぎぎ、と立て付けの悪いスライド式のドアを開けると外のざわめきがわずかに流れ込んでくる。自分よりも頭ひとつ分背の高い彼は、どこか遠慮がちに、申し訳なさそうな表情でこちらを伺いながら口を開く。
「すみません。ここ、座ってもいいですか」
大きなボストンバッグを抱えているところをみるに、先ほど停車した駅から乗車したのだろう。満員の海上汽車の中で、元々いた場所からわざわざ移動する者は多くない。
「どうぞ」
促すように視線を室内へ向けると、彼は安心したように相好を崩した。よほど満員の車内に揉まれたのだろうか。
彼がボストンバッグを頭上にある荷物棚へと持ち上げる。その間に自身は元の席へと腰を下ろした。やがて彼も向かいの席へと腰を落ち着かせる。向かい合う形になると、自然に沈黙が落ちた。黒髪は初対面でもあろうと会話がなくて苦労する性分ではない。しかし彼は違うようだ。どこか落ち着かない様子で視線を彷徨わせ、何度か言葉を探すように口を開きかけては閉じる。そうして、意を決したようにこちらを見ると。
「君も、アルカデリウム魔法学校の新入生…ですよね」
小首を傾げてこちらを伺う様子は小動物のような雰囲気を感じさせる。自身よりも頭ひとつ分、背丈があるというのに…不思議だ。
そう考えているうちに返答を忘れていた。沈黙がわずかに長引く。意図せず無視してしまった形になり、彼の表情にかすかな不安が差した。
「あ…はい、新入生です」
咄嗟に口からでた言葉は、それだけだった。
うん、我ながら出だしは最悪だ。
そう、これだけでも察するように黒髪は対人関係に若干難アリな16歳の元旅人なのである。
趣味程度に自分の脳内で生まれたものを執筆します




